あなたのために

あの100年ぶりとも言わしめた9月初旬になっての気温30°越えが

続いた夏の名残もいつしか夢のごとく、ベルリンの季節はすっかり秋。

石造りの家の中も「ほっとする涼しさ」と感じる季節から「家の中が寒い。。」

と上着を羽織りたくなる季節になりました。

折しも今週は雨続き。窓から見える外の景色は灰色,地面はぬれて更に濃いグレー。

目に移る世界も盛者必衰。枯れ葉もまみえる季節の到来です。

 

そんな中我が家の子供たちが次々と風邪をひいています。わたしも久しぶりに

体調を壊しました。

そうなると家の中は散らかり、食事もろくなことができなくなります。

荒れ果てていく家の中は蝕まれてく体と呼応するようにも感じ始めます。

 

それでもやはり台所に立たねばならない。

私は「もはや台所で何かを生み出せる力など残っていないのだよ。」

とあても無くつぶやいて窓の外を見てもベルリンの空は無情にも雨。

寒々とした灰色の空から元気などもらえるわけもなく再び一人大海に

放り出された様な気持ちで散らかった家の中を歩いているとふと足下に、

そう足下に一冊の本をみつけました。

「あなたのために」私の尊敬して止まない料理家の辰巳芳子さんのご本です。

なぜこんなところに落ちているの?何故今ここに?

出会いというのは不思議なものです。

そしてふと「目に映るすべてのことはメッセージ〜」という魔女の宅急便の

主題歌の一節が頭をよぎりながら私はその本のページをめくり始めていました。

 

答えはそのなかにありました。

私はページをめくり続けていました。この本はスープの事についてかかれたレシピ本

であり、その全ては命のスープにまつわる話でした。

命のスープ。

一皿の、一椀のおつゆをもってして命と言わしめることのできる信念が

そこにありました。そしてその命のスープで尊い命を育み養うことの大切さ

そしてそこに在る愛について辰巳さんは深く問うておりました。

私は今これを求めていたのだ。そう思いました。

 

日々10人前ほどの料理をしながらいつしか日々のそれが雑になってきた

自分を思いました。おつゆ一つ心をこめて作れていたのだろうか。

いや、おつゆ自体最近口にしていなかったかもしれない。

確かにここはドイツです。日本ではない。だからあの本のようなおつゆは

できないかもしれない。でもそれは問題じゃないんです。

問題はそういう風な心持ちで台所に立っていたのかということだと思いました。

こうして久々のデトックスな風邪に気力体力もそがれていた私ですが

気持ちはあの暖かいおつゆへ向かっていたのです。

 

ご本を拝見するとそれはもう美しいスープにおつゆが並んでいます。

そのなかで今の私達に必要なものが心にぐっとせまってきます。

「これにしよう」そう決めて昆布を水に浸し、かつおぶしで出汁をとり

上等の一番出汁をとることにしました。これはまだ元気なこどもと回復

しつつある子供のお夕飯になるのです。大事にとっておいた鰹節が

ここで役に立ちました。

今まだ弱っている子供にはそして弱りかけている大人には玄米を炒って

梅干しと昆布とで味を引き出した玄米煎汁をつくりました。これは確かに

懐かしい味がしたのです。上の子が小さい時にはよくこれで風邪をのりきった

ものでした。

玄米を炒る香り、はぜる音。昆布の薫り、立ち上る湯気。

雑然と殺伐とした家中に食欲と活気を含んだ暖かな湯気が駆け巡りました。

外は雨の夕暮れ、けれどもうそんなことは私を脅かしたりしないのです。

私にはこのあたたかな夕食があるのだから。

 

案の定このおつゆは家族皆のからだに染み渡りました。

そして次の日もわたしは丁寧に心をこめておつゆを作りました。

けれどやっぱり家はカオス。台所も作ってはカオス。片付けてはカオス。

辰巳先生のご本のような凛と清々しい雰囲気にはほど遠く、風邪の雰囲気を

たたえた我が家は相変わらず。

それでもスープを作っている最中には

「あの子が寝て起きた時、これをすすればどれだけほっとするだろう」

という思いがよぎるのです。

そういう風に自分も弱ってしまったときにこそ体にしみる味を

覚えておきたい。そしてだれかが弱った時には「さぁこれをお飲み」と

命のスープを作ってあげられるようでありたい。

 

あなたのために。これ以上の心尽くしをわたしは知らない。

心の込め方、料理の仕方、日々忘れて薄れていきがちなこの要を

今一度心に留めたいと思う。

 

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