お弁当

長女が日本の高校に通う様になって一年経とうとしている。

なので今の我が家は子供が5人になった。

日常的なお世話が一人分減ったから子供が5人という気持ちが

するけれど、やっぱり母親のお世話というのは目の前のことだけ

ではないんだなぁと最近思う。

意識というか見えないところではいまだに何かをしている気持ちが

するからだ。そんなことを言えば長女は顔をしかめるだろうが(笑)

御飯を作る、洗濯をする、宿題をみて、習い事につきあって、

それだけでないのがお母さんなんだろう。

 

そしてふと娘はもう当分うちに帰ってくることもないんだ、と気がつい

た。

今頃?と言えばそうなんだけど、高校で日本に送り出したときから

そうなることになっていたはずだけど、やっとその実感がわいてきて

「もう暫くは、もしかすると一生一緒に暮らすということはないのかも

しれない」

ということが頭ではっきりと文字となって浮かんできた。

もちろホリデーや何かあれば一緒に時間を過ごすことはあるだろうけど

そのときには我が家は既に彼女にとっては仮の宿という存在になって

いるのではないかとおもう。

 

娘は巣立ったんだ。

まだ仮に、ではあるけれど。

そう思うと、いままで当たり前に過ごしてきた時間が急に

懐かしくなった。あっという間だったなぁと。

心にぽっかり穴があいたような気持ちはしたものの、

不思議と寂しさとか後悔の気持ちはわかなかった。

その気持ちを助けたのは中学最後の日のお弁当だった。

娘の好きなものだけをいれたお弁当。既に私が何を作るかも

娘には予想済みで「やっぱりね」と特にびっくりするような

弁当だったわけじゃないのだけど。

そのとき既に「これで最後の弁当か」という気持ちはあって

その思いの為に私にとっては忘れられない弁当になった。

というか弁当はただのその象徴であったかもしれない。お弁当を

通してわたしは何かやり遂げた気持ちがしたのかもしれない。

 

ともあれ、たいした弁当作ってきた訳でもないし、寝坊してパンを

買わせた日もあるし。何もなくてすかすかの弁当だった日もあるし。

詰めすぎて食べきれない!と叱られたこともあるし、

思い出せばほんとにすごいことなんて何もなかったと思う。

子供にしてみれば母親がお弁当を作るのは当たり前だろうし

「それがどうした?」っといわれるだろう。私もお弁当生活の

長かった少女時代を過ごしたけれど、母親にきちんと感謝した

ことなんか大人になるまでなかったと思う。

自分が母になった今になってやっと、母がどんな気持ちで作ってきたか、

どんなに大変だったかなど想像することもできるのだけど。

今回巣立ちつつある娘を思った時に、お弁当のもつもう

一つの意味に気がついた。

 

わたしにとってお弁当を作り続けさせてもらえた日々こそが

娘と私との絆の証だったのだと。

お弁当を作らねばならない環境が億劫だと思うこともあった、

やっぱり毎日早起きで大変だなぁと思うこともあったのだけど、

もしもお弁当を作っていなければ気がつかなかったことが沢山

あったんじゃないか?もしもお弁当を作っていなければ考えて

やれなかったこともいっぱいあったんじゃないか?

お弁当を通して娘に向き合わせてもらえたことで、自分がわかった

こと、気がついたこと、いろいろなことがあったんじゃないかと

いまでは思ってる。少なくとも、そうやってやり続けてきた日々が

今わたしにはかけがえのないものだったと感じられる。

もちろん、それは人それぞれだと思う。

 

そしてこんなもので絆と

言われてもね、と娘は思うかもしれない。

子供が望むものと、親が差し出すものは時としてちぐはぐになることが

ある。それがあまり大きすぎると問題だろうけど、やっぱりお互いに

お互いの角度からみていることがあるのだから、多少は仕方ない。

親だって親なりに一生懸命だし、逆をいえば、親から見て

「どうしてこんな!」ということも子供からしたら精一杯の

ことなんじゃないかとおもう。

(そうはいっても、その瞬間、親の定規でがみがみいってしまうことが

あるけれど)

絆は見えなくても強ければいい。あればいい。かんじられるはずだ。

家族なら、親子なら、夫婦なら。

それはそうかもしれない。

だけどやっぱり、目に見えるものが、手に取れる思い出が

何か形となってあるものが、手応えが欲しいと思わずにいられない

のも親の気持ちなのだ。少なくとも私には。

そう思ったときに、日々を紡いだ食卓が、作り続けた弁当が

娘と向き合ってきた日々なんだと私に教えてくれている気がした。

 

出来損ないの弁当も、親としてやりきれなかった自分のふがいなさも

全てが弁当の日々で救われる気すらする。

勝手に罪滅ぼしのような気持ちを弁当に押し付けていると

言えなくもないけれど、それだけ日々紡いできたことというのは

偉大な力を発揮する。

これまた親のエゴかもしれないけれど。

 

毎日の積み重ねが支えるもの、それは私が母であることの自信

であり、証拠であり、すなわちそれが愛の形でもあるのだろう。

日々を暮らすことはたやすくみえて、難しい。

たかが日々の食卓、日々のお弁当。うまく出来る日も出来ない日も。

頑張れる日も頑張れない日も。

とりあえず紡いでいくことでいつか見えてくるもの。

お弁当を通して、食卓を通して

子供がまた一人一人と巣立っていくときに、全うしたと思える

ようでありたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 コメント

  1. kiko

    お母さんが小さな頃にいかに密に接しているかで、遠くにいても繋がっているかんじしますよね。
    私と母はそんな関係だった気がします。幼児期が大事なんだなっ、て、やっぱりどんな時も思います。
    だから、娘さんは旅立っていく自信や冒険心が身についたんですよね。そして、色々な事を体験して、改めて日登美さんの素晴らしさに気づくはずです^^

コメントする