不便な暮らしと心地よさ。

我が家の台所には日本から持ってきた(ブラジル経由でやってきたというほうが

正しいでしょうか=)台所道具がいろいろあります。

なんといっても、台所は私の城だからそこに一つ一つ愛着のある

道具が、しかも天然素材の道具達がやってきては

新しく住む場所で、特には海外の家で、然るべき場所に

置かれていくのを見るとその度にほっと心が落ち着く気持ちが

したものです。

 

私はなぜか竹のかごやザルが好きでそれらが見える所に

あるとほっとします。

おむすびを入れる竹籠、青菜を茹でた時にあげる盆ざる。

そういうものが台所で、食べ物と一緒にある風景は

なんとも素敵なものです。

その他にもすり鉢やすりこぎで胡麻をあたるとき、味噌を当たる時

飯台に酢飯を作る時、これが木や土でできた器であるのと、

そうでないのとでは天と地ほどの差が有ると思うのです。

何の差かといえば。。それは感覚的にしか申せませんが、いや

敏感な方は味でも差を感じるかもしれませんね。

ともかく、ドイツでもブラジルでも台所で竹や木製の道具を

みかけることはほとんど有りませんのでこのアジア独特の

スタイルも私の心をほっとさせます。

 

天然素材のものに囲まれると都会の台所にあっても、す〜っと

呼吸が深くなるような、自然の中にいるような気持ちになれます。

目に見える姿形、そこからやって来る匂いなどもあるかもしれませんね。

けれどその反面天然素材には不便さがつきまとうのも事実です。

洗った後には木製品ならしっかりと乾かさなければなりませんし、

洗う時にも気をつけ無ければなりません。あまり乱暴に

扱えば壊れますし、金属には弱いし、食器洗い機にもいれられないし

温度差にも弱いです。ドイツの食器や道具はほとんどが食器洗い機

対応である事が重要視されているからその観点でいけばこれらの

道具は大失格です。

だけどそうやって手をかけながら、若干の不便さを感じる所に

実は心地よさが潜んでいることに私は最近気がつきました。

というか、私の主観ですが、人間はある程度の不便さがあるほうが

心地よく暮らしていけるのではないか?と最近思っているのです。

 

便利さを追求し、合理性を追求していくと、その先にあるのは

「もっと」だと思うのです。でも若干の不便であれば

「まぁいいいか。これで十分」という風にある程度満ち足りた

気持ちになりやすいと思うのです。その不便さの加減も人それぞれ

違うと思うのでそのバランスは一概に言えませんが

台所道具のことを除けばドイツでの暮らしは、「若干の不便」が

前提になっているように思います。

 

例えば、電車はちょっと遅れることもある。郵便物はすぐに

届かない。建物にエレベーターが無いことも多い。ペットボトルの

飲み物を買うには25セント支払わねばならず、それを買った店に

返却しないとそのお金は返ってこない。スーパーは基本

ビニール袋はくれない。電車には基本クーラーがない。日曜日は

基本店が休み。基本コンビニはない。

などなど。

日本での暮らしを思い返してみると、まさか先進国ドイツで?!と

思うような事がたくさんあります。

 

でも便利な日本に比べて一般的にうんと暮らしにゆとりがあります。

不便な事は多いかもしれないけれど、その分みんなのんびりと

暮らしています。

便利さが忙しい暮らしを招いて、不便さがゆとりのある暮らしを

もたらしているのは何か変な感じですね。

 

というのも、その便利をするかわりに誰かが働く必要があるし、

ということは皆が仕事をもっとしなくてはならなくなって暮らしの

ゆとりが減ります。またその分電気を使ったり余分なエネルギーを使います。

そうやって自分達の人生の時間や大事な地球の資源の無駄をするくらいなら

このくらいの不便を味わうほうがいい、というふうに

ドイツ人は考えているのではないかしら?そういう考えが中心となって

この若干不便でエコな暮らしが一般的になっているのではないかと

想像しています。

 

天然素材の不便さとはちょっと質は違いますが、どちらにしても

ちょっとの不便によって人の暮らしがいろいろな面で心地よいもの

になっていることは同じだと思います。

 

食卓でも同じだと思うのです。便利を追求してインスタント食品や

加工食品が沢山あります。その反面、家庭の味はどんどん

忘れられています。伝統の味も無くなっていっています。

インスタントが悪いとは言いません。

便利さと合理性というのは人生の中で必要なことが

あるのは確かですが、それが人生の暮らしのメインになっていくと

思いに反して暮らしは益々荒んでいくように思うのです。

 

便利になって、余裕ができて、益々時間を使って資源を使って

日々を削って、家族を削って、我々は一体どこへ向かっていくのか。

忙しいから益々便利な物が必要になって、暮らしや生活がなくなって

季節や時間の区切りがなくなって、益々便利な物が増えていく。

もうそろそろいいんじゃない?と思わなくもありません。

 

忙しいからこそ、ちょっと不便な事に心を向けてみる。

みそ汁を作る。米を土鍋で炊いてみる。

そんな一歩から大きな革命が起こるかもしれません。

もしかしたらこの不便な、めんどくさい作業の中にいるのが

合理的に忙しい毎日より心地よく感じるかもしれません。

 

ともあれ、天然素材の心地よさの秘密は以外にも奥深く

ドイツでの暮らしの不便さもまたありがたく感じる

今日この頃なのであります。

 

 

 

 

 

 

2 コメント

  1. とり

    いつも日登美さんのまっすぐに綴られている文章から多くの学びをいただいております。
    初めてコメントします。
    私は現在、3歳、2歳の年子の母で、今秋には第三子が誕生する予定です。

    私も常々、今回の文章と同じようなことを思っていました。
    私にとって、日本にいることはとても窮屈です。
    ただ今の生活を送るにあたって、窮屈な中でも自分なりの生活を楽しもうと努めています。

    結局、どこにいても、

    自分がどうしたいか、どうなりたいか。

    人生観にも通じますね。
    周囲のスピードに流されずに、自分自身の速度で人生を全うしたいです。 とり

  2. kaori

    初めまして、ではなくて実はドイツの学校でお会いしたことがある者です。
    我が家は2年半のドイツ生活を経て去年の8月に帰国しました。
    「例えば、電車がちょっと遅れる・・・」からのくだり、まさに私も毎日思っていることです。「もうそろそろいいんじゃない?」同感です。
    日本の生活に慣れてきた頃ですが、この気持ちを忘れないでいたいと思います。

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