子供時代

静かな秋の夕暮れ前の時間

庭の裏で洗濯物を取り込んでいると

子供たちの遊ぶ声がする。

夕飯までのこの時間をめい一杯遊ぶ子供たち

ふと、自分の子供の頃の記憶がよみがえった。

3歳から小学校3年生まで過ごした東京の社宅の記憶が。

 

今私たちの住むコンドミニウには8世帯が住んでいて

そのうち二組をのぞいてみんな子供がいる。

その上子供たちはほとんど同じシュタイナー学校に通う

子供たちだからすぐに仲良くなった。

下は4歳の幼稚園児から上は18歳くらいの大きいお兄ちゃんたち。

さすがにティーンエージャーのお兄さん達はまれにしか

見かけないが、一緒にプールに入ればジュースをくれたり

一緒に遊んでくれる。

日頃はその幼稚園の子供から小学校低学年の子供たちが

おっきい子も小さい子もみんな一緒になって

遊んでいるのだ。

コンドミニウにあるプールに飛び込んだり、はたまた芝生の広場で

枯れ木や端材で基地作り、みんな裸足で駆け回り

棒切れを剣にしたり弓矢を放ったり、王様になり海賊になり。

とにかく時間を忘れてよく遊ぶ。

敷地の中にある果樹はおやつになる。マンゴー、ジャブチカバ、

ザクロ、パッションフルーツ、アセロラなどが実ればついばむ。

気がつけばよそのうちでおやつをごちそうになる。

親の知らぬ間にどこの家でもすっかり顔なじみのようす。

 

あちらでリンゴケーキこちらでバナナケーキ、人参ケーキ。

「あら、いらっしゃい。おやつ、食べてく?」なんてうちのドアから

ひょっこり入って来る可愛いお客さんを私も招き入れる。

もじもじとやってくる子供たちが芋づる式にやってくる。

あっという間になくなるケーキがなんだか嬉しい。

危険というイメージのあるブラジルでもこの中はパラダイスだ。

コンドミニウの中は住人しか入れないし、他人がいればすぐわかるので

安心して子供たちが家から飛び出していける。

広すぎも狭すぎもしない敷地の中の全ての空間を子供たちは

存分に遊び回ることができる。

私たち大人にはもうすっかり見慣れた,限りのあるように見えるこの場所が

彼らにとっては無限の空間であり,毎日新しい発見を与えてくれる

魅力的なパラダイスなのだ。

 

私の子供の頃もそうだったなぁと思い返す。

環七沿いにあった社宅はあの頃でも既に空気は悪かっただろうに

私にとっては楽園だった。

一歩社宅の敷地に足を踏み入れれば,我が庭のように

どこでもくまなく遊び尽くしたものだった。

車は入ってこないし、知ってる人と雰囲気は異物を寄せ付けない

安心があった。

庭には枇杷、柿、ゆすら梅等がありおやつがわりにしたものだった。

木にのぼり、かけまわり、小学生から幼稚園まで一緒になって

遊んでいたのはまさに今の我が子たちと同じだ。

なじみのエリアをはじめ、ちょっと遠くの棟まで探検にでる。

大人からしてみればほんのちょっと先の場所でさえ

私たちには未知なる旅だった。遊具もいらない、おもちゃもいらなかった。

季節の植物たち,木っ端に石ころ、虫たちとよく遊んだ。

そのあとにもいろんな場所で色んな思い出があるけど

今でもなつかしく思い返すのはあの場所での思い出。

私たちの楽園。

思う存分遊ばせたもらえたかげにはきっと親たちが

作ってくれた大きな安心の囲いがあったのだろう、

私の知らないところでよそのお宅に

頭を下げたこともあったのだろうと今親になって気がつくこともある。

 

そして今、私はここブラジルで自分の子供たちがかつての

私のように果てしない冒険と魅力的な世界との出会いとを日々を

ここで繰り返していることに気がついた。

まさかそんなことがここでは起こる訳もないと思っていた

あの頃の子供時代が、異国で空間と時間を越えて繰り返されている

この不思議と驚きに包まれながら。

 

秋風の中で、翻る洗濯物のすきまから聞こえる子供たちの遊ぶ異国語を

聞きながら遠く,近く、世界を感じながら

とても幸せな気持ちになった。

あの時のあの時間が繰り返されることの幸せに。

かけがえのない子供時代の贈り物となる今をここで紡いでいる

ことに。この運命の不思議に。

 

 

 

1 コメント

  1. yoyotto

    日登美さん。はじめまして。こんにちは!
    いつもブログを楽しみに拝見しています。
    子ども達が思いっきり遊ぶその声が洗濯物を取り込む時に聞こえてくるなんて、本当に幸せですね。
    今ドイツに住んでいます。我が家の子ども達も近所の子達と晩御飯まで遊びまわって、まるで私が過した昭和の熊本の子どもの頃のようです。
    繰り返される幸せ、不思議でいて本当に素敵なことですね。