家族旅行

長かったワールドカップもドイツの優勝で幕を閉じ

気がつけば一ヶ月ほどもある冬休みも

間もなく終わろうとしていた頃、家にいるのが退屈になって

学校が始まるのが楽しみになってきた子供たちを

最後の最後で思いがけない旅行に連れ出す事にした。

ブラジルにいる間に絶対に訪れておきたかった場所

イグアスの滝。

地球ががくっとずれ落ちたまま、そこに命が湧き出たように

あふれる水が流れ落ちるその滝の写真を見た時に

心臓がゾワッと毛羽立つような力強さを感じたのを覚えている。

そんな地球が生きていると感じられるような、地球が生きていたと

感じるようなそんな場所に家族旅行にでかけた。

今回も見事に無計画というかあまりにも突拍子もない

旅行だったが、もうそれに慣れたのか準備の手際は良い。

宿泊先はアルゼンチンにあるイグアスの町の小さなシェアハウスの

ような場所だから料理も出来る。

あかちゃんを連れて初めての長旅、しかも異国(って言ってもブラジルも

すでに異国と言えるけど)とあれば料理が出来るのはありがたい。

スーパーでもらって来る頑丈なバナナの箱に

圧力鍋やお米や梅干し、味噌などを詰め込むと不思議と心強くなる。

日本でよくキャンプに子供を連れていっていたころを思い出しながら

パッキングを進める。

気がつけば食料のパッキングだけは念入りであとはイグアスについての

インフォメーションもアルゼンチンについての検索もほとんどしないまま

車は既に旅に出ていた。

私の住む町から車で1500キロ。

1500キロと言えば日本の本州を横断出来るほどの距離だ。

それなのに「へぇ1500キロかぁ,遠いね」程度で

旅行に出ようと思ったのは土地感覚のない外国ならではだろう。

日本にいたとしたら、青森から下関まで車で行くのはかなりきつそうだと

簡単に察しがつきそうなものだけど、その辺のイメージがうまくできない

のが良くも悪くも外国なのだ。

見慣れた景色がぐんぐん遠ざかり、行けども行けども麦とトウモロコシが

広がる広大な土地をひた走る。

どこまでも見渡す限りの畑。こんなに遠くまで町もなく、家も無く

ひたすら畑が広がっているなんて本当にブラジルはとてつもなく広い。

それにしても広大な畑に植えられたこの麦やトウモロコシは

一体誰が食べるというのだろう?

途中にいくつもの集落や町を通り越しながら目的地へ向かう。

時々出て来る町の名前を地図でチェックしてみると、思ったより

進んでいない事がわかり愕然とする。もしかすると一日10時間ほどの

ドライブというのは何かの間違いで以外と5時間くらいでなんとか

なるんじゃないか、なんて根拠のない期待は見事に打ち砕かれる。

はるかかなた、1500キロの旅の重みをリアルに感じながらも

車はひたすら目的地を目指す。

今回もいつも通り地図はグーグルマップを手書きで写した紙切れのみ

で見知らぬ異国の地を走る。

詳細なデータのないこの状況も今やすっかり慣れてしまった。

この手書きの地図だって今や頼りないどころか信頼のおける

ものに感じられる。

私達はここに来てからいつだってこんないい加減な地図と

ちょっとの勘で目的地にたどり着いてきたのだから。

長時間ドライブの車内では子供たちがハリーポッターの

オーディオブックに釘付けになっている。

荷物と人で狭苦しい車内をハリーの大冒険と私達の大冒険が交差する。

家族旅行と言えば子供の頃よく渋滞を避ける為に深夜出発で

車に毛布を持ち込んで、暗い中お父さんが運転をしてくれたものだった。

夜中に起こされて「さ、行くよ起きて!」といわれると眠いような

わくわくするような変な気持ちがしたものだ。

朝方起きると車はすっかり東京のコンクリートを離れ、木々と土

から上昇する朝のさわやかな空気が飛び込んできたて長時間ドライブの

疲れを吹き飛ばしてくれた。

車のフロントガラスは夜じゅう走ったという疲れを見せるかの様な

小さな虫達のつぶれた死骸で随分汚れていて、

その澄んだ空気と汚れたガラスのギャップが余計遠くまで来たんだ、

と実感させてくれるのだった。

朝になりおなかが空いた子供たちには母が用意してくれたおむすびや

手でつまめるおかずが待っていて車の中はにわかに騒がしくなる。

何度も見た車内の朝の風景だ。

そんな時母はまだ運転している父に助手席からおむすびを食べさせて

あげていた。それを見るのが私は好きだった。

その思い出のせいなのか、私は車での旅行が今でも好きだ。

遠くても出来るだけ車がいい。もちろん快適な空の旅の良さもあるけど

このお家を持ち込んだような親密な空間が好きなのだ。

そんなわけで私ももちろん車ピクニックを準備していた。

必須アイテムおむすびは梅干しをいれて傷みにくく,酸味が

疲れを癒してくれる。それに若布ふりかけを混ぜて少し

塩気を強くしておくと疲れた体に美味しく感じられる。また

のり巻きも外せない。閉め切った車内では酢飯の酸味も美味しい。

キュウリと梅を巻き込んで、これまた子供たちに人気のピクニック

メニューになる。その他に、みかんやリンゴ、キュウリに味噌。

「だれか食べる人〜?」の声に

誰しもが「は〜い!」と威勢良く声を上げる。

おむすびの匂いってどうしてこんなに食欲をそそるのだろう。

車内に広がる匂いにおなかが空いていなくても、

つい一つ手に取ってしまうのがおむすびの魔力だ。

続いてもわっとした車内に広がるみかんの爽快に香りに、

みんなにわかに元気が出て来る。

幼い頃乗り物酔いしやすかった私はよくこうして車でみかんを

食べた。新幹線に乗ったら冷凍みかんを買ってもらった。移動に

みかんはつきものだった。

あの密室のような乗り物のなかで食べるみかんはいつも私を

助けてくれたのだった。まさかここブラジルでも日本のみかんが

手に入り、それをお供に車で旅をするとは思わなかったのだけど。

おむすびやのり巻きを食べる子供たちを横目に、運転手の主人に

「梅にする?それとものり巻きにする?」と尋ねる。

「梅にしようかな」というドイツ人の主人。なかなか日本人らしい

風情がわかる人なのだ。

助手席から手を伸ばし梅のおむすびを口に運んであげながら旅路を

進む。

みかんの香り、おむすびの匂い。日本とブラジル,思い出と今が

交差する車内。

ブラジルの国境を越え,橋一つ先はもうアルゼンチンだった。

驚いた事は橋一つでこんなに音が違うということだった。

私はそのとき初めて国が違うという事は音が違うという事だと

理解した。

音が違うと空気も違う、振動が違う、雰囲気が違う。

話す言葉が,リズムが違う。そして姿かたちも変えていく。

この南米という一続きの大きな大陸はこうして

国境を一またぎするだけで空を飛ばなくてもこんなにも

違いを生み出すことができるのだ、いうことは日本人の私には

衝撃だった。

そんな衝撃を受けながら人の会話を聞いてみると

ポルトガル語とスペイン語は似ていると言われるが

音はやっぱり違った。

そしてよく聞いてみると同じような単語があるのに

ポルトガル語を話す我が家の双子は

スペイン語を聞き取れなかった。おそらくリズムと音が

違うので全く知らない言語に聞こえたのだろう。

そんな子供たちの姿をみていると彼らがどれだけ音や振動の

相違をまたは共鳴を大人よりも繊細に感じ、

そしてそれらからいかに多くを吸収

しているのかということを思わずにいられなかった。

なじみの無い音ではあるがスペイン語は心地よかった。

優しく猫がそばにすりよってくるようなそんな感じがした。

親しみと戯れと、アルゼンチンはブラジルとはまた違う

ラテンの雰囲気だった。

そしてとうとう目的地イグアスの滝に向かった。

木々の中に見え隠れする川を眺めつつ遠くから「ど〜」と

絶え間なく、まるでこの森全部がその音に包まれるような

滝の落ちる音が遠くから響いている。そこには確かに滝が

あるのだ。

歩道を急ぎ足で進む。もちろんこの先を歩けば滝があるなんて

ことはわかりきっているにもかかわらず、体中でこの滝から

響く大きな振動をキャッチしながら少しずつ確かに滝の

目前に近づいているという感覚を歩道からでなく、自分の

内側から感じつつ歩みをすすめるのはとてもスリリングだった。

体が振動に呼応する。自然と体は畏れを抱く。

あまりにも大きな何かに、自分を越えた何かに出会うのを

楽しみにしながらも畏敬の念が否めない。

あぁ自然とはなんて大きく強いのだろう。

飲み込まれそうな大きな滝、しぶきをあげる水は

絶え間なく、この力は一体どこから湧いてくるのか。

まるで大海原の波を抱くような地球のパワーを目前にして

すっかり体も意識も飲み込まれる。

この場をしっかり咀嚼するにはまだまだ時間がかかりそうだった。

そこを通り過ぎて,見て、水しぶきをあびて

帰ってくるだけではすまないような気がしたのだ。

現実と非現実が交差するイグアスの滝で私はしばし呆然と

立ち尽くした。

目を閉じて周りにいる人も、滝さえも見ずにただ滝の側に

佇んでみた。

目をつぶるとあの恐ろしいほどの滝は絶え間ない振動に

なり、吸い込まれるほどの激流となった滝壺から吹き上がる

水しぶきは命を潤わすようなしっとりと優しい沐浴のように

感じられた。

夢中で歩いてきて随分な距離を歩いたからか、それともこの数日の

車移動によるものか、体は随分と疲れていたようだった。

イグアスの滝はそんな私の体を命の根底から癒し再び

歩き出す力を与えてくれたようだった。

大自然と異国との狭間で興奮冷めやらぬまま、あっという間に

時間は過ぎ、再びあの親密でありながらやや疲れをもたげた

狭苦しい車での旅路に戻る頃となった。

ブラジルの国境に入り人の話声が聞こえる。

「あぁ帰ってきた。」

私にとって初めてポルトガル語がなじみ深く親しみ深く

感じられた瞬間だった。

このリズムこの音、そうだもうここに来て一年だ。

まだ明るいうちに家に着く。

帰りを待っていた犬達は嬉しそうに飛び回る。

家に入るときちんと片付けられた空っぽのリビングが

この上なく気持ちいい。

誰ともなく「あ〜やっぱり家がいちばんいいなぁ。」

と口々に話しだす。決して旅行がつまらなかった訳でも

辛かった訳でもないはずなのについ口からこぼれてしまう

この一言に何故か毎度ほっとしてしまう。

山のような洗濯物と荷物を運び込むとあの静かだったリビングは

「またいつもの日々が戻ってくるのだ」

という予感とともに。一瞬にしてカオスとなる。

荷物を片付けてしまうと、私は待ちわびた自分の台所に

立つ。

どうやら私はどんなにごちそうを食べた旅行でも、

どんなつまらない物を食べたときでも結局はここに戻って、

きちんと料理をしたいと必ず最後には思うようだ。

「今日は御飯にみそ汁にしようね」

そういうと、みんな「うんうん。」と満場一致だった。

やっぱり原点はここなんだ。

きちんと米をといで、みそ汁を作る。空っぽの冷蔵庫での

やりくりだからたいした物は作れないけど旅行から帰って

来たときはこれが何よりのごちそうに感じる。

やっぱり旅の終わりはみそ汁で決まりだ。

ただの御飯もみそ汁も格別においしい、自分のベッドに入るのが

この上なく心地よい。

旅行によってもたらされるしばしの非日常は時に

日常を最上級にまで仕立て上げてくれる。

一週間、7人分の洗濯物は丸二日がかりで片付いた。

お天気が味方してくれてからっと乾いてく

洗濯物を見るのはなんとも気持ちよかった。

早速買い出しにいって冷蔵庫も満タンになった。

さて今日は何を食べようか?

いよいよ最後の洗濯物を取り込みタンスの

中もいつものように洋服が埋め尽くすようになると

いよいよ日常が戻って来る。

旅は終わった。

こうして長かった冬休みは幕を閉じ、満タンの冷蔵庫と

からっとおひさまの匂いを詰め込んだタンスが

また新しい毎日を連れて来る。

8月がやって来る。ブラジルでは新学期がはじまる。

 

 

 

 

 

 

4 コメント

  1. 麻里

    日登美さん
    初めまして。いつも素敵なブログありがとうございます。
    読んでいると、まるで自分もそれを体験しているように感じ、そして読み終えた後には、すごく満ち足りた幸せな気持ちになります。
    私は今、幼児1人育てるだけていっぱいいっぱいな日々なのですが、
    日登美さんの地に足が付いた感じ、豊かな感じ、気持ちのいい感じ、そして滋味溢れる食卓など、たくさん想像して今から見習おうと思います!
    (いつもいいなーとぼんやり思っていたのですが、今コメントを書きながら、想像して見習えばいいんだと気付きました(^^) )

    旅から戻ってきての我が家って、はぁ〜って幸せ感じますよね。
    そのためにか旅行の直前って普段よりせっせと掃除片付けしちゃいます。

  2. 日登美

    まりさん、こちらこそブログを読んでくださってありがとうございます。
    わたしも旅行直前に家をしっかり掃除、片付け派です!
    すごいきもちいよね〜!

  3. aki

    こんにちは。私も車の旅大好きです。今でも兄弟で車します。電車や飛行機もいいですが、なぜか車が落ち着きます。。。
    日登美さんは、今英語はぺらぺらですか?私は海外旅行も大好きですが、
    英語が出来ず…今もやろう!とおもいつつどうも頭に入ってきません。
    もし、英語習得のアドバイスがあれば教えて下さい!!

  4. Yamada

    車で青森から下関と考えただけで、私は遠慮したい(誘われてもいないのに、笑)とてつもない大移動の家族7人旅行物語、わくわくしながら読み進めて、最後の素敵な写真に、わぁお!!と大感激でした。

    日本は立秋を過ぎ、朝晩の風に秋っぽさを感じつつあります。田んぼの様子もなかなか素敵になってきています。
    ブラジルは新学期なんですね。またまた、楽しい暮らしぶりを楽しみにしています^_^
    双子くんたちに期待を込めて!!笑