嵐の夜に

夏なのに今年は嵐がやってこない。

夕立もあまりないものだから

熱帯特有の夕方から突然やって来る冷たく強い風とともに

やってくるあの激しい雷雨が懐かしくなってきたところだった。

 

でも昨晩遅くに嵐がやってきた。

地面をたたく雨音はラテンミュージックのように

心地よい。

もう真夜中になっても雨はじゃんじゃんふりしきる。

もちろん雷もやってきた。

しばらく懐かしいブラジルの嵐のエネルギーと激しいリズムに

耳を澄ませていたが眠くなったのでベッドに入った。

雨は一向に手を緩めず激しく地面をたたいてる。

とうとう眠りに落ちたけどあまりの激しい雨と雷に

半分意識は嵐を体験し続けていた。

次第に嵐の心地よさに不安の色も交ざってきた。

眠りと覚醒の間で近づいて来る嵐の中心を感じつつ

雷はすぐそこで脅威を見せつけていた。

雷が落ちる度に地面が響き、窓がびりびりとゆれた。

そんな中でロックバンドの会場のようになってる我が家の外で

おこってる出来事に関係なく壁一枚隔ててこんなにも

穏やかな眠りを守ってくれている事に

しみじみと感謝していた。もちろん半分夢の中で。

 

そう。

私は嵐を体験してる時のこのコントラストが好きだ。

もし今外に放り出されたら,私は一体どうなってしまうのだろう?と

思うほど激しい自然の驚異のただ中にあって、

たった一枚の壁、屋根、窓ガラスのある家というものの

中に佇んでいられるだけで、こんなにも安心していられるのだ。

いや、この家だってたいした物じゃない。

壁はレンガを積み上げただけの物だし、窓だってアルミサッシのように

密閉されていないガラスがはまった木枠で網戸もないし

雨戸だって隙間だらけなんだ。

屋根だって、雨漏りするような簡単な作りで、到底この家に

シェルターのような完全な要塞は期待出来ない。

でも

こんな家でも、実際嵐の時に私達を守ってくれる。

屋根が家があるおかげで

雨にぬれず風に吹かれず、雷からも守ってくれる。

この安心感というのは一体どこからくるのだろうか?

壁や屋根や家であるだけでなくもっと他のなにかが

安心感をもっと確かな物にしているように思えてならなかった。

そしてはたとひらめいた。

嵐の中で家の中にいる安心感は、人生を歩き始めた自分が

家族を思う気持ちに似ているのではないだろうか。

人生を歩み始めたとき、大海原に放り出されたように感じる事も

また嵐にもみくちゃにされることもある。

だけど心の何処かに家族が,もしくは家族と思えるような

心の家をもてたなら

そんな嵐も大海原も何故か安心してわたっていけるような

気がしないだろうか?

いよいよやってきたブラジルの嵐の季節。

真夜中の激しい雷の地響きのなかで

夢と現実の狭間でふとそんな風に家族のことを

想った。

 

 

 

 

 

 

コメントできません。