旬と野菜の考察

台所で旬を感じるのが私は好きだ。

春先の息吹から苦みを運んで来る山菜達

初夏のさわやかな緑のお豆達にあの青々しい梅。

真夏のはじけるような夏野菜に

ほっこりしっくり落ち着きをみせる秋の芋栗なんきん。

滋味深い冬野菜たち。

それに季節折々の魚介類から海草類。

それらを時に茹で、時に油で揚げ、煮しめ、焼きこがし。

手を変え品をかえ私達の食卓を賑わしてくれる旬の食べ物たち。

あぁ日本の食卓はなんと豊かなのでしょう。

外国に暮らす様になって特に私はこの季節の移ろい、旬というものが

愛おしく、それに伴う日本の調理の奥深さをありがたく思う様になった。

それと同時に、このような旬という移ろいがそれぞれの国では

どのように楽しまれているのか、親しまれているのか、というのを

知りたいとおもうようになった。

 

さて、ドイツでは一体どうなっているのだろうか。

ちょうど春を迎えたドイツ。とおもった矢先には既に初夏の風ふいている。

わたしには冬〜初夏の変化が急だったように思う。これは今年だけだろうか。

春に一期に地面が緑になったとおもうと今や木々は若草を

通り越して繁る緑に包まれている。こんな風に暖かくなると体は

緩みたくなる。こんなとき日本なら春の山菜たちが体を解放するのに

助けになるのだけど。と思いドイツには山菜がないのかと思い当たる。

そうなのだ。ドイツにはどうやら山菜はない。まず山自体がそこここに

ある訳ではないので山菜はない。地面をみるとなにか食べられそうな草は

ないのか?と思うけれどつくしやのびるはベルリンではみつけ

られなかった。

自然から与えられる恵みをうまく食べて、日々の健康を保つ智慧は

きっとどの国にもあるはずだ。だからきっとドイツにもなにか季節の

恵みがあるはずだとおもい辺りを見回す。

ちょうどドイツの郊外にある夫の祖父の家を訪れ,大きな庭を散策

しているとタンポポがたくさん咲いていた。

種類はわからないけどそこここに咲くタンポポの黄色は野草のように見えた。

柔らかい若草をつんで食べてみるとほろっと苦い。これは食べれるのでは

ないかなぁとぼんやり思う。きっとおひたしなんかにできるんじゃないかと

想像は膨らむ。そういえば以前タンポポの葉をサラダに食べるというのを聞いた

ことがあったのを思い出した。

春先の緑、ほろ苦さという季節の恵みの理にかなったこと。

目が、体が欲するところの全てを自然は与えてくれているというこの奇蹟。

そんなことにはたと行き着く。

その頃ベルリンのカフェやレストランの至る所では白アスパラガスのメニューが

旬のメニューとして出回っていた。やはりドイツにも旬はある。

私は人生で初めて白アスパラガスを食べてみた。

太くしっかりとした外観なのにお皿に乗るとほっとりと柔らかい。

それをバターやクリームのソースと生ハムの塩気で頂く。

これはまるでふろふき大根のような味わいだと思った。

ふろふき大根も柔らかく茹でられた白くやや甘みのある大根を

ゆず味噌など塩気のある調味料でいただく。これは冬のお料理だけど

冬の終わりの頃にこのような甘みのある白いお野菜を食べるのは

冬中に寒さで締まった体をゆっくりとほぐすのに役立つ。

春先の4月でも寒さの厳しい日のあるドイツでは白アスパラは

日本のふろふき大根のような役割があるのではないだろうか。なんて

うんちくを思いつく。また夫が頼んだ白アスパラのスープには

にんにくにも似た香りのグリーンの薬味がかかっていた。

聞くとそれは春に森でとれるニラのような野草だという。

「あるじゃないか、ドイツにも!季節の草を食べる。

そんな習慣がドイツにも!」わたしの心は踊った。

 

わたしは好きなのだ。春が好きなのだ。

山里の春は美しい。そこここに命の芽吹きを、再生を、目覚めを

感じられる。雨が降る毎にあたたかくなる大気。湿り気を帯びて

柔らかくなる土。やさしい若草色のなかに食べることのできる草を

見つけることができる宝探しの季節。

地面を押し上げる筍の穂先はまさに、ここ掘れわんわん。

春はなんてたのしくすてきなのだろう。

そんな命が踊る体験を送った日本での田舎暮らしの日々が白アスパラガスとともに

ここベルリンでよみがえる。世界はつながっている。

春はここにもある。

 

アスパラガスはドイツの山菜だった。そんな考察が信憑性をもってわたしの

頭を駆け巡る。春の苦みとアスパラの苦みが。アスパラの帽子のような穂先と

柔らかな土から顔を出す筍の穂先とがシンクロする。

このシンクロをきっかけにわたしの目はドイツの旬を

日本の旬の記憶を便りに解読しようと試みる。

ルバーブを見る目はもはや日本のふきを見る目になっている。

似ている。似ているじゃないか!!

食べ方は違う、味も違う。

だけど地面からやってくる力が似ているじゃないか!

だから外観もにているのかもしれない。

エネルギーによって形は形成される。

性質は違っても本質が同じならば、、あるいは。。

ドイツと日本に流れるエネルギー。

ドイツ人と日本人は同じようで全く違う。違うようで似ている所もある。

旬を通して人種の違い、国籍の違いという異なりと

それを越えたつながり共通性に思いを馳せる。

野菜も人間もあるいは同じように。。。

 

マクロビオティックを通して台所から自然を見つめてきた。

旬という季節の巡りは自然の摂理を教えてくれた。

まるごと食べることは全体を知る大切さを教えてくれた。

それが今世界に飛び出した私に台所から新しい意味を見いださせる力に

なっている。

日本という部分からでてみれば、私という日本人は世界という

全体の一部なのだけど、世界もまた様々な一部を内包した大きな何かの

一部なのかもしれない。

これは台所を発端にした壮大な物語だ。

 

今ベルリンではプラムやアプリコットが出回っている。

私は再び日本の旬の記憶を頼りにアプリコットで梅干しを作っている。

ドイツにおける梅干し的な食材は一体何になるのだろうか?そんな問いを

掲げながらアプリコットのへたをとる。

するとどこからとも無く子供がやってきて幼い頃からやっていたこの

梅仕事に参加していた。

旬が運んでくるのは味覚だけでなく、家族の思い出でもあるのだ。

さて今年の梅干しはどんな味になるのだろう。ドイツでの記憶がまた一つ

台所から紡がれていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2 コメント

  1. yoshi

    更新待ってました~!
    私も梅シロップ、梅干し、らっきょうを漬けました。
    アプリコット干し?美味しくできそうですね。仕上がりの近況報告またお願いしま~す!

  2. Anonymous

    yoshiさんありがとう!更新遅くてすみません;;)
    梅干しのご報告お楽しみに!