音と世界と

ブラジルに来てから半年が過ぎました。

子供たちのなかには徐々にブラジルの音が流れ始めています。

音って不思議ですね。

我が家では日本語を中心に主人はドイツ語で赤ちゃんと話していますし

子供たちが学校でドイツ語の歌を沢山覚えてくるので

ドイツ語の歌も聞こえます。

家の周りはみんなポルトガル語なのでポルトガル語ももちろん。

そして困った時には英語もやはり役立ちますし、主人の友人がくれば

インドの人でもイギリスの人でもみんな英語で会話をするので

英語の音も良く聞こえてきます。

我が家の子供たちにとっては第二外国語はポルトガル語。

最近ではうっかりしたときの返事が日本語でなくポルトガル語に

なっているのをみるとなんだか不思議な気がします。

ほんの数ヶ月前までは異国、異文化、外国語だったこの音が

このリズムが、この振動が体の細胞にちょっとずつしみ込んで

あふれて出て来る。最初からあった日本語という水を蓄えた器に

少しずつポルトガル語という音のしずくが加わって,ちょっとずつ混ざって

いつしか器からあふれてくるように、自然に時とともに。

もちろん、まだまだ発展途中でありますが確かにゆっくりと音が変わってきている。

私はなんだか赤ちゃんになってもう一度知らない世界を体験するように

この音のしずくが私たちを満たしていくのを感じています。

(私は子供たちよりもしみ込みが遅いのですが;;)

 

外国語を体験する時,私たちの感覚の何処かがリフレッシュされている

気がします。もしかすると、リフレッシュでさえなくてまだ閉ざされていた

触れることのなかった新しい感覚の扉を開こうとしていると言った方が

正しいかもしれません。

私たちにはまだまだいろんな扉があって、ただ気がつかれないまま

その能力を閉ざしているのかもしれないと感じるのです。

それはヨガの練習からも学んだことだったなぁと思い返しています。

カチカチの固いからだがいつしか花開くように柔らかさと強さを

練習によって取り戻していく。まさかこんなことは出来まい,と思って

いたそのマインドを壊すようにしっかりとした練習は徐々に確かに

新たな世界を,可能性を見せてくれました。

この言葉と言う音の世界ももしかするとそういうことかもしれません。

赤ちゃんに戻った気持ちで,全ての音を雰囲気を言葉の質を体験しつつ

学びつつ。

 

言葉の意味がわからないと音の質,言葉の雰囲気で意味を察そうとします。

特に小さい子供ほど意味とのつながりではなくて言葉を理解していく。

実際私は子供たちに単語の練習とか意味をまだ教えていません。

ポスター等を張ってみたりしましたが、それよりも実際友達との

体験のなかで音が理解され,意味を理解していくようです。

ある学芸会の時に双子は「シューバ」(雨という意味)の役をやりました。

そのときは自分が雨の役とは知りません。

彼らは単語を知らないのでただ歌や踊りを覚えて役をやっていました。

ですが暫くしてから雨が降った日に友達と遊んでいると、友達が

「シューバ!」と言ったそうです。そのとき初めて「シューバ」が

あの学芸会の「シューバ」とつながったのです。もうそれは雷の

ひらめきのように感動的に

「シューバ!シューバ!雨のことか!僕たちは雨をやったんだね?」と

私に聞いてきました。

そのときの様子はまるでヘレンケラーが初めて水を「Water」と理解

した時の様子のようではないか,と私は感じたのです。

子供にとって言葉の理解というのは私たちが今外国語を勉強するような文法や

構成や単語の理解だけではないのでしょう。

外国語との出会いはもっともっと感動的で、神秘的なものなのかも

しれません。

 

言葉をどうやって理解していくのか、というのを赤ちゃんを通しても

観察しています。

5人目の子は主に日本語を話す私たちと、ドイツ語でしゃべりかける主人と

ポルトガル語で話しかける近所の人の中にいます。そしてまれに英語のなかに

浸ります。

私がドイツ語を話さないので圧倒的にドイツ語の聞こえてくるのは少ないの

で、日本語しか理解していないのかなと何となく思っていました。

けれど最近ドイツから両親が来て、ドイツ語でどんどん話しかけると

明らかにその目は「あ〜この音知ってるぞ!」という顔をするのです。

面白い事に、そういえば赤ちゃんと私たちはまだ言葉で会話をしていませんが

お互いに意味が通じているとわかるのです。ボディーランゲージや雰囲気も

あるけれど言葉の質をちゃんと感じ取っているのです。

赤ちゃんはその感じから意味を汲み取っていくのでしょうか。

とにかく言葉を交わさず既に日本語において通じ合っているのです。

なるほど、言葉というのは意味がわかって通じるのでなくて

ひょっとすると振動、感覚からまずつながってそのあとに理解しやすい

文字や記号として意味を理解していくのかなぁと思うのです。

赤ちゃんの目をみていると日本語は知ってる音として受け止めています。

そしてドイツ語も「あ。知ってる!パパ以外にもこの音を使うんだね!」という

喜びと驚きと共感を感じます。

そしてポルトガル語で近所の人にかわいがられる時、赤ちゃんはすっかり

包まれるようにそのリズムを楽しんでいるのが見て取れます。

今6ヶ月になる我が家の赤ちゃんにはどうやら既に3つの振動が自分のもの

として蓄えられているようです。

 

いつしかその音が満ちた時に、言葉として現れるのはどこの国の言葉なので

しょう。

そして色んなリズムが振動が自分の内側にあるというのはどんな感覚なのでしょう。

私も英語を感じる時、ポルトガル語を感じる時、日本語を感じる時、

ドイツ語を感じる時,それぞれ違った雰囲気を感じます。

そしてそのどれもがいつしか私の外側の物でなく,内側の物のように

感じるのです。

それはにわかに国境や国の境が崩れるような素敵な感覚です。

 

こういう体験を通して私は地球は一つだ,という感覚を感じずにいられません。

いろんな種類いろんな異なる雰囲気をもつこの地球という星の

たった一つの部分から生まれた日本人という私。

けれど全ての音は私たちの内側に感じることができる。

きっと私たちはまだ自分の内側にある全ての扉をしらないだけで

実はどこでもドアのように全てのドアにアクセスすることができるので

ないかと感じるのです。

全てのドアとつながっているのだ、と。

そう思うと実際には国境なんて物は存在しないように感じるのです。

目に見える世界ではパスポートや登録や色んな手続きや

差別や戦争や経済や,勝手に人間が社会が作ったものによって

隔てられているように感じるこの世界だけど、でも心の内側をみれば

みんな一つだと、私も世界で,世界も私だと

そういう風に感じることがある今日この頃なのです。

 

 

 

 

 

5 コメント

  1. とも

    こんにちは。いつもブログ楽しみにしています。以前に一度ご質問させて頂いた内容です、日登美さんは普段の生活にAyuruvedaを取り入れていたりますか?もし取り入れていらっしゃたらどのようにか教えて下さい。
     
    日本もだんだん暖かくなりもうすぐ春です!!

  2. toquita

    英語を子供たちに教える仕事をしています。
    自分が外国語を話すときに感じる感覚をまさに言い表してくれいて
    感動に包まれています。
    「どうして英語やるの?」「英語を勉強すると何があるの?」という子供たちの素朴な疑問にうまく答えられないでいました。
    テストのため、成績のため、将来困らないため、という答えではない何かを探していました。

    日登美さん、素晴らしいです。ありがとうございました。

  3. 日登美

    アーユルベーダ、なんとなく知ってますがちゃんと勉強はしていないので
    具体的に生活に取り入れるというほどではないですが
    マクロビオティックと通じるところがあるのでなんとなく知っていることは
    参考にしています。(エレメントとか性質とかについて)
    私個人としては日本に住んでいる時には日本の気候と風土のなかでは
    マクロビオティックがとてもやりやすかったしあっていると感じていました、
    あたたかいブラジルにきてアーユルベーダも食事に取り入れるといいのかな、と
    思っているところです。
    きっと楽しいですよね!

  4. よしの

    あっという間に時が流れます。ブラジルの生活になじみつつある姿、1年前には想像もつかなかったです!言葉が体に浸透していく感じ、頭の違う部分を使っている感覚、まさしく私も感じたことがあります!!その通り!!またいつかお話したいです、ブログ楽しみにしてます!!

  5. yoshi

    学生の頃、オーストラリアで10日ほどホームステイをしていた経験があり、帰国の飛行機で戸惑い?を感じたことを思い出しました。日本語を話したいのに、頭の中は英語と日本語がミックスになっているような…
    海外での暮らしも、不安要素ばかりではないんだな~といつも楽しく読んでいます!