アップルムース

だいたい私の朝は「あ〜思ったより時間がなかった。。」ということが多い。

思っていたよりできなかった。思ったより時間がかかって大慌て。

そんな毎日なんだけど、なぜかたま〜に「思っていたより時間があった!」

なんて日もある。なんでかわからないけど、ある。

給料日前の財布になぜかいきなり5千円札があった、的にある。

と、そんなことどうでもいいんだけど。

 

昨日の朝はそんな朝だった。

長女と保育園に行くちびくんと夫の弁当をつくり、子供らに

朝ご飯を食べさせて、後片付けまでしちゃって、第一便に上の4人の

こどもたちが学校に出払って台所では保育園時間待ちのちびと末っ子の

姫と私だけが残っていた。

こうして片付いた台所って気持ちがよくって、つい「じゃ、なんか作ろうか」

なんてまた仕事を増やそうとするのがわたしの癖だ。まぁ仕事といっても

結局は台所仕事はわたしには一種の娯楽でもあり趣味でもあるから

いいのだけど。

そういえば私が6人目を出産する頃のことだった。予定日一週間ほど前の

いよいよ、という時。私の頭にあったのは「我が家の福神漬けがもうなくなりそうだ」

ということだった。夫が「もうすぐ生まれるから何か用意するもの考えないとね」

と言った時私が真っ先に言ったのは生まれてくる赤ちゃんの為の物ではなく

産後の自分の為のものでもなく「そうだ!福神漬け作っとかないと!」だった。

私にとっては極自然な思い付きだったのだけど、今になっても夫はそれを

笑い話にする。まぁ確かに生まれてくる赤ちゃんより福神漬けって

どうかとは思うけど。。ともあれ、わたしの頭の中にはいつでも我が家の食料

事情と作り置き、季節の保存食などのことが大半を占めているのだ。

 

そして今回白羽の矢が立ったのは前々から気になってた食料庫にある夫の

おじいちゃんちから頂いてきた大量のリンゴだった。おじいちゃんちの庭にある

リンゴの木から毎年沢山のリンゴがとれる。もちろん肥料や農薬は使ってない

正真正銘の庭にあるリンゴの木のリンゴだ。なのにた〜くさん実を付けてくれる。

本当にすばらしい。

しかもリンゴの木は野生種で昔からあるものだから見た目も小さくて

いかにも自然に実ったぜ、的な感じがたまらない。売り物よりちょっとすっぱ

かったり形がへんちくりんだったりしてるけど、やっぱりあの力強さは

お日様と雨と土とただそれだけで自力で実ってきたリンゴの命の力強さ

なんじゃないだろうか。わたしはそれが好きだ。

とはいえ、生で全部食べきれないのでそれを煮てアップルムースを作る。

それを入れて作るおばあちゃんのレシピのアップルパイが夫は大好物

なのだ。

そんなリンゴなのにもう春が近づいているベルリンの我が家の片隅で

宇宙の法則に従うかの様に摘み取られたリンゴ達はしわしわと

その身を枯れ衰えさせ、土さえあればそのまま土に還ろうかとしているような

佇まいのものもちらほらでてきた。これは見逃す事が出来ない事態だ。

アップルムースをつくらないと。つくらないと!

そう心で警鐘をならし続けていたのに、そういう時に限って思ったより

時間がない、サイクルに入っている。

だのに、とうとうやってきたのだ。あのリンゴ達が救われる日が!

 

人生のタイミングの妙というのは本当に不思議だ。ひょっこりやってくる。

アップルムースは皮をむいて、芯をとって実を刻んで鍋で煮る。だから

何十個、あるいは百個近くなるとそれはかなり大掛かりな作業になる。

たかがアップルムース、されどアップルムース。

我が家に存在する一番大きな鍋を出してきて私の心は決まる。

今日はやるぞ。今日こそやるぞ。

そんなわたしに頼もしい助っ人のちびくんがいた。3歳の坊やだ。

実際助っ人なのか、お邪魔なのかはわからない。でもこういう大掛かりな

季節の台所仕事を子供と一緒にやるのが私は好きだ。

上の子供たちもみんなそうやって一緒に梅を漬けたり、味噌をつくったり

ジャムをつくったりしてきたものだった。そんな懐かしい思い出が

頭をよぎりながら今またドイツの片田舎ではなく、街中のベルリンで

季節の仕事ができることがとても嬉しかった。おじいちゃんのりんごよ

ありがとう。心からそうおもった。

 

春を待つリンゴ達からはしわしわになりかける見てくれとはうらはらに、

芳醇な薫りが漂っていた。息子と匂いをかぐ。

「あ〜良い薫りだね〜」溜息がでるほど素敵なかおりだ。

胸がいっぱいになって幸せがこみあげてくる。もうこのままでいたい。

あの時胸が締め付けられるほどリンゴの薫りが愛おしかったのは

なぜだろう?

 

芳香に後ろ髪を引かれつつも作業にかかる。

私が芯をぬく、皮をむく。皮は干してお茶にするのでとっておく。

半分に切ったりんごを息子が小さくきる。私も一緒に切る。

かわいい小さな手でりんごを切る息子。切ってはちょこっと

つまみ食いをしている。

可愛くて胸が締め付けられる。リンゴの芳醇な薫りとともに

この時間が愛おしくてたまらない。

この小さな手と一緒にいろんなことをする度に、その愛くるしさ

その無邪気さ、その純粋さを感じる度にいつも同じ様に

もう大きくなった上の子供たちのことを思う。あの子達にも

こんな時があったよなぁ。と。

 

愛と言うのは時々溢れ出てくる。とめどなく。

上の子達が小さかった頃を思い出す。

あぁかわいかったなぁ。こんな風に可愛い手でどれだけの事を

一緒にしてきたのだろう。その時どれだけその可愛さを心に

抱けていたのだろう。どれだけその場に心を留めて見つめることが

できていたのだろう。

 

上の子と干支が一回りも違う年の離れた弟妹を授かった私は今もう一度

子育てをやり直している。

今この赤ちゃんを、この坊やを心から慈しみその愛らしさに改めて感動しながら、

もう育って大きくなった上の4人の幼少期を再び心に抱き慈しんでいる。

可愛い無邪気なあの手が、あの口が、あの体が、すっかりと

大きくなっていろんなことができるようになって、子供が育っていく

という当たり前の奇蹟を、その愛らしさを繰り返し繰り返し

感じている。

もちろん現実は簡単な事ではないけれど、日々は格闘なんだけど。

今でも子供たちは育ちの過程なのだけど。

 

リンゴを切るその仕草に心を留めて、ただそのときにすっぽり

包まれていると、そこにあるものの愛おしさに圧倒される。

子供という存在の愛おしさに圧倒される。

その愛おしさというのは決定的でありながらつかみ所がない。

圧倒的でありながら至極さりげない。

留めようがないところに留められていて、

気がつこうとしなければ忘れ去られる場所にあるのに

手を伸ばしても届かず、目の前にある。

 

どうして日々はこんなに簡単に流れていくのか。どうして自分の

心はいつも何処かに流れていくのだろうか。

今は今しかないのにさ。

 

しわしわのリンゴと芳醇な薫り。

小さい坊やとの思いがけない朝の時間はきっとまた私の心に

甘酸っぱく残るんだろう。こういう季節を繰り返して

坊やにも美味しい思い出が残ってくれるといいな、と願う。

土に還ってしまうまえのリンゴをムースにできてよかった。

 

節分と正月

今年はお正月に風邪をひいていたせいか、それともその頃が

水星逆行だったからなのか、それともただの気のせいか。

何故だか年が明けた気分にならないまま、不思議な時間をさまよいながら

節分になった。

もうそんなこんなだから、我が家はお正月を延期して、お年玉も延期して

恵方巻きもお雑煮も一緒に食べることになったのだった。

ちょうど今はドイツの学校は冬休みで一週間ほど学校がないし、気分的には

お正月っぽい。ゆっくりしきり直しのお正月を迎えられるだろうと思っていたけど

そんな訳は無かった。

お雑煮と黒豆こそ作れたが、具はほうれん草の茹でたのに人参だけ。

人参の飾り切りすら出来なかった。

恵方巻きはなんとかたっぷり作ったけれど飾り切りのないおせちもどきなんて

初めてだ。

小説「モモ」にでてくる「じかんどろぼう」という言葉が頭をよぎりながら

ともかくなんとかお正月を迎えた。

迎えてみると、どんなお正月だってやっぱり迎えたら気持ちがいいものだ。

お正月を過ごす、でなくて迎えるという気持ちが大事なのだろう。

やって来る新しい年を迎え入れる。受け入れる。そこに自分の意志を持って挑む。

そんな意気込みが、そんな決意がお正月の最大の意味かもしれない。

日々の生活の中でやり過ごしていく毎日のなかで、お正月だけが特別なのは

そんな風にして流れていく自分を一度拾い上げてもう一度行くべき道に

向かって方向を定める事ができる唯一のときだからかもしれない。

ともあれ、それがどんな風であれ私も、我が家もやっとこさ2017年という

年を迎え入れたのだった。

今年はどんな年になるのだろう。今更ながら思いを馳せる。

きっと何かが起こって、きっと何も起こらなくて、なんとかかんとかやっていくん

だろう。

子供たちはぐんと大きくなって、わたしはまたひとつしわを増やして、

読みたい本を読み終えるかもしれない、それすら出来ないかもしれない。

それでも子供は大きくなって、昨日はできなかったことが出来る様になってるのを

みせて驚かせてくれるのだろう。私はそれを側で見れるのだろう。

それだけでいいじゃないか。

それだけで満足出来なくなったら一度足を留めてそれがどれだけ

代え難い瞬間なのかを思い起こせるようでいたい。

 

お正月という時に自分の人生を立ち止まる。

自分の手の中にある幸せを数えてみる。

立ち止まる時にはいつだって見えなかった物が見えて、聞こえなかった音が

聞こえて来る。

さて、そろそろ歩きだそう。2017年を歩いてみよう。

今年は一体どんな景色がみえるのだろう。

 

 

 

 

 

トークイベント開催!

募集始まりました!

今回の一時帰国で唯一のイベントです。

我らがオーガニックベース奥津典子さんとの子育て、マクロビトーク。

ざっくばらんに、楽しくおかしく真剣に子育てや食事や暮らしの色々を

お話したいと思います。

肩を寄せあって皆様とぐっと近くリアルにお話会ができたらいいなぁと

思っています。

久々の間々。久々の吉祥寺。久々の日本。

お時間ありましたら是非いらしてください。

お待ちしております!

お申し込みはこちらです。

あなたのために

あの100年ぶりとも言わしめた9月初旬になっての気温30°越えが

続いた夏の名残もいつしか夢のごとく、ベルリンの季節はすっかり秋。

石造りの家の中も「ほっとする涼しさ」と感じる季節から「家の中が寒い。。」

と上着を羽織りたくなる季節になりました。

折しも今週は雨続き。窓から見える外の景色は灰色,地面はぬれて更に濃いグレー。

目に移る世界も盛者必衰。枯れ葉もまみえる季節の到来です。

 

そんな中我が家の子供たちが次々と風邪をひいています。わたしも久しぶりに

体調を壊しました。

そうなると家の中は散らかり、食事もろくなことができなくなります。

荒れ果てていく家の中は蝕まれてく体と呼応するようにも感じ始めます。

 

それでもやはり台所に立たねばならない。

私は「もはや台所で何かを生み出せる力など残っていないのだよ。」

とあても無くつぶやいて窓の外を見てもベルリンの空は無情にも雨。

寒々とした灰色の空から元気などもらえるわけもなく再び一人大海に

放り出された様な気持ちで散らかった家の中を歩いているとふと足下に、

そう足下に一冊の本をみつけました。

「あなたのために」私の尊敬して止まない料理家の辰巳芳子さんのご本です。

なぜこんなところに落ちているの?何故今ここに?

出会いというのは不思議なものです。

そしてふと「目に映るすべてのことはメッセージ〜」という魔女の宅急便の

主題歌の一節が頭をよぎりながら私はその本のページをめくり始めていました。

 

答えはそのなかにありました。

私はページをめくり続けていました。この本はスープの事についてかかれたレシピ本

であり、その全ては命のスープにまつわる話でした。

命のスープ。

一皿の、一椀のおつゆをもってして命と言わしめることのできる信念が

そこにありました。そしてその命のスープで尊い命を育み養うことの大切さ

そしてそこに在る愛について辰巳さんは深く問うておりました。

私は今これを求めていたのだ。そう思いました。

 

日々10人前ほどの料理をしながらいつしか日々のそれが雑になってきた

自分を思いました。おつゆ一つ心をこめて作れていたのだろうか。

いや、おつゆ自体最近口にしていなかったかもしれない。

確かにここはドイツです。日本ではない。だからあの本のようなおつゆは

できないかもしれない。でもそれは問題じゃないんです。

問題はそういう風な心持ちで台所に立っていたのかということだと思いました。

こうして久々のデトックスな風邪に気力体力もそがれていた私ですが

気持ちはあの暖かいおつゆへ向かっていたのです。

 

ご本を拝見するとそれはもう美しいスープにおつゆが並んでいます。

そのなかで今の私達に必要なものが心にぐっとせまってきます。

「これにしよう」そう決めて昆布を水に浸し、かつおぶしで出汁をとり

上等の一番出汁をとることにしました。これはまだ元気なこどもと回復

しつつある子供のお夕飯になるのです。大事にとっておいた鰹節が

ここで役に立ちました。

今まだ弱っている子供にはそして弱りかけている大人には玄米を炒って

梅干しと昆布とで味を引き出した玄米煎汁をつくりました。これは確かに

懐かしい味がしたのです。上の子が小さい時にはよくこれで風邪をのりきった

ものでした。

玄米を炒る香り、はぜる音。昆布の薫り、立ち上る湯気。

雑然と殺伐とした家中に食欲と活気を含んだ暖かな湯気が駆け巡りました。

外は雨の夕暮れ、けれどもうそんなことは私を脅かしたりしないのです。

私にはこのあたたかな夕食があるのだから。

 

案の定このおつゆは家族皆のからだに染み渡りました。

そして次の日もわたしは丁寧に心をこめておつゆを作りました。

けれどやっぱり家はカオス。台所も作ってはカオス。片付けてはカオス。

辰巳先生のご本のような凛と清々しい雰囲気にはほど遠く、風邪の雰囲気を

たたえた我が家は相変わらず。

それでもスープを作っている最中には

「あの子が寝て起きた時、これをすすればどれだけほっとするだろう」

という思いがよぎるのです。

そういう風に自分も弱ってしまったときにこそ体にしみる味を

覚えておきたい。そしてだれかが弱った時には「さぁこれをお飲み」と

命のスープを作ってあげられるようでありたい。

 

あなたのために。これ以上の心尽くしをわたしは知らない。

心の込め方、料理の仕方、日々忘れて薄れていきがちなこの要を

今一度心に留めたいと思う。

 

お弁当ライフ再び

最近ユニオが保育園のようなところに行く様になり

お弁当をはじめました。

そこではオーガニックのケータリングがランチで出てくるのですが

やはりオーガニックといえども食べ慣れないものがでると子供は

食べないので我が家はお弁当も持たせる事にしました。

お父さんと一緒にお昼御飯を食べられる保育園なので夫弁当も復活。

こちらはとある日のお子ちゃま弁当と夫弁当。

 

ぶつきごはんにゆかり、ごまふりかけ。(大人にはシャケも)

ターキーのグリル(夫にはマッシュルームグリルとマスタードを添えて)

キャベツと若芽の蒸し炒め

茹でトウモロコシと梅ペースト

デザートのうさぎりんご

 

こんな感じで朝は長女も含め3人分のお弁当の日が始まりました。

長女のお弁当だけ作っていた時には肉食も多いのでお弁当作りは楽

だったのですが、菜食を好む夫と幼児向け弁当も一緒となると

なかなかあたまを使います。

乾物や海藻。野菜の種類、葉もの、根菜、丸いもの、長いものなど

取り入れて、茹でる、炒める、揚げる、和えるなど調理法の

陰陽バランスはどうかしら?などなど。

もちろん日本でのマクロビオティック食材とドイツでは

手に入るものも違いますし、野菜や調味料も違います。

その辺りの工夫もしながら、大人、思春期の女子、幼児では

必要なエネルギーも違うし、栄養素も、求められるものも違う。

そんなこんなを乗り越えて。の弁当。

ガッツリ食べたいけど表向きガッツリ見えない工夫の必要なお年頃の

女子弁。その上フレッシュなフルーツの甘みや野菜が欲しい長女。

しっかり食べたい夫は色んな栄養素と食感が必要なので一番おかずの

バラエティが欲しい人。そして味はしっかり目に。でもそのなかでも

一品は素材の味のするシンプルなおかずを。

(ちなみに、ドイツに来てお魚料理に大根をあわせられない場合

辛みのあるスプラウトが消化を助けるかわりになると気がつきました。

おそらくドイツの気候とあうのでしょう、以来スプラウトは我が家の

冷蔵庫にかなりの頻度で常備されています。)

幼児のお弁当は食べつきやすさ、形の工夫,色の工夫で野菜も食べる様に

甘みと穀物をしっかりとれるように。。などなど。

手前味噌ではありますが以前オーガニックベースで行ったお弁当コースの

内容を思いだしつつ、今は大きくなった四人の子供に作っていた

お弁当も思い出しつつやっております。なかなか楽しいです。

こういうバランスを感じながら作るのがマクロビオティックの料理の

楽しい所そして難しい所かもしれません。

 

ともあれユニオにとっては人生初のお弁当。

お兄ちゃんのおさがりのワッパ弁当を持ってうれしそうに

毎朝出かけていく姿は愛らしく、同時に大きくなったなぁと感動。

ドイツの保育園でも皆さん興味津々の様子。

お弁当って日本の良い文化だなぁと改めて感じている毎日です。