豆腐と日本

大好きな穀物コーヒーにまったりとした豆乳を

注いでお茶の用意をする。

 

日本にいれば至って普通の午後のひとときだが

ブラジルではこんなひとときを至福と言わざるを得ない。

なんてったって,まず穀物コーヒーはここでは売ってるのを

見かけないから大変貴重な代物。

手に入れるにはドイツルートで飛行機に乗せて持ってきてもらう

ことになるという密輸気分すら感じられるこの穀物コーヒー。

そう簡単に飲む訳にはいかない。

けれど一度開けた缶を大事にしすぎてあまり長い間放っておいて

いざという時に湿気ていた。なんて事になったら悲劇なので

その辺のさじ加減も加味しなくてはならない。

 

 その上我が家の近所では豆乳すら売ってない。

豆乳と言えば訳の分からん添加物と甘味料や砂糖や

フレーバーや色々入った物しか売っていないのだ。

これは牛乳代わりに料理やお菓子作りに豆乳を

使いたい私としてはかなり頭がいたい。

以前はなんとか無糖の豆乳が買えたから何かの間違いだろうと

思い、何件ものスーパーを回り

「いや、きっと来週になれば入荷するだろう。」と

淡い期待を抱きつつもう半年が過ぎた。

ブラジル人は無糖豆乳は飲まないのか?

無糖豆乳が無くて料理は困らないのか?

地震のときや停電の時に懐中電灯がないと困るように

毎日無くてもいいけれど、いざという時

無いと困るもの、豆乳。

半年は長い。長過ぎる。

私はとうとうしびれを切らして自分で豆乳を作る決心をした。

そしてその記念すべき第一作目の豆乳がこの

穀物コーヒーラテに注がれたのだった。

 

まだ生暖かくとろっとクリーミーな仕上がりの豆乳。

2リットルほど出来た豆乳を満足げに眺めつつ

「煮て食おうか、焼いて食おうか」と鬼婆が

小僧さんをなめ回すように思案に暮れるもまた一興。

早速以前からやってみたかった豆腐を作り、残りの豆乳で

久々にマクロビ仕様のレモンクリームのタルトを作った。

初めて作った豆腐は食感こそいまいちだったものの,味は

あの懐かしの日本のまめまめしい豆腐の味。

ブラジルで売ってる豆腐は「豆腐」の顔をしていても悲しいかな、

やっぱり何処か豆腐ではない。

その点、豆から出来上がって姿を現したこの自家製豆腐は

郷愁の思いが込み上がるほど日本の味だった。

 

それにしても、豆乳にしろ豆腐にしろ,いざ自分で作ってみると

なんて手間がかかるだろう。こんなすばらしいものを

1つ200円くらいで売ってくれてるなんて日本の豆腐屋さんに

感謝状を送りたいほどだ。

日本を遠くはなれると日常のそこここで、

日本文化のすばらしさ、ありがたさに行き当たる。

そしていままで見えなかった姿を見た時に

遠く離れたこの地からどうかこの文化が消えないようにと

祈りたくなる。

こうして外国の不便のなかにあることで、

豆腐を作るチャンスを得て、

豆腐のおいしさを味わい、日本食のすばらしさを改めて

感じることができたことはありがたいことだと思う。

当たり前のありがたさと愛しさは

ある時には気がつきにくいものなのだ。

きっと日本人は一生に一回くらい豆腐を作り、味噌を作り、

納豆を作って,梅干しを干してみたら良いと思う。

自分の国の食べ物を自分で作ってみる。

たったそれだけのことで海外にいなくても

きっとなにか大きな発見を自分の内側にも外側にも

出来るんじゃないかと思うのだ。

こうして今日も日本の裏側で私の台所は日本の風を感じながら

紡がれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

台所の思い出

夕飯時にみそ汁を作っていると

ネギを刻む音に次女がやってきた。

「ねぇ、お母さん。どうやったらそんな風に

早く細かくネギを切れるようになるの?」

「それはね、毎日料理してたらそのうち出来るようになるんよ。」

(これ、大分弁です。私の母がこういうしゃべり方をするんです)

そう答えると,次女は嬉しそうに,おかしそうに

微笑みました。

「実はね、お母さんも子供の頃にお母さんのお母さん、

つまりあなたのおばあちゃんに同じ事を聞いた事があるんだよ。」

そういうと次女はまた嬉しそうな顔をしました。

「それでね、その時におばあちゃんは今言ったように

毎日料理したらそのうち出来るようになるんよ〜って笑いながら

答えたんだよ。」

するとますます嬉しそうに置かしそうに次女は笑いました。

「だからね、あーちゃん(次女)も大きくなってお母さんになって

子供が生まれて同じ質問をされたら、毎日料理してたらそのうち

出来るようになるんよ〜って言ってあげてね。」

と私は言いました。

すると次女は恥ずかしそうにはにかんでどっかに行ってしまいました。

 

「毎日料理してたらそのうち出来るようになるんよ。」

子供にとってはたいそうなワザに見えるネギ刻み。

とんとんと小気味よい音にリズミカルな包丁さばき。

自分ができない分,母の手元は魔法のように見えたものでした。

おなさい自分には到底無理だと半ば諦めていたその魔法が

「そのうちできるようになる」と笑いながら母がいってくれた

ことでとても嬉しくなったのを覚えています。

「わたしにもいつか出来る日がくるんだ」

その思いはもしかすると

「いつか私もお母さんになる日がくる」という思いと

同じだったかもしれません。

 

そして今、あの頃と同じ年頃に育った次女と

あの頃と同じ会話をする母になった私。

思いがけず台所の思い出が紡がれた夕暮れでした。

 

 

 

 

6月の祭り

ワールドカップまっただ中ではありますが

ただ今こちら一足お先に冬休みに入りました。

真夏の太陽輝く6月には学期末最後に「サンジョアンオの祭り」

が学校でありました。

日本のシュタイナー学校ではヨハネ祭とされるお祭りです。

一年の中で一番大きなお祭り、6月の祭り、火の祭りとも

呼ばれ、準備にも気合いが入っていました。

ちょっとご紹介したいと思います。

 

何をするにも食べ物がたっぷりないと始まらないブラジル人。

おなかをすかせている、ということはあり得ないのです。

というわけで

シュタイナー学校恒例の親による手作りケーキの販売に私も献品

しましたよ。

何つくろうか?と考えてブラジルの伝統的なケーキ

「Torta de Banana(バナナのトルテ)」を作ってみました。

一番人気なのはボーロジセボーラという人参ケーキなのですが

それが人参というよりは,黄色いケーキにチョコレートがたっぷり

かかっているというしろもので、人参の味など全くしません。

そう。ブラジル人はチョコレートが大好き。チョコレートの

使われていないケーキなんか見向きもしない、,と言っても過言ではないほど。

そんななかで私のタルトは大丈夫だろうか。。と心配していたけど

開店間もなくに,私のケーキを持って歩くおばあさんを発見!

やっぱりブラジルでもお年寄りは渋い味がお好み。

ともあれほっと胸をなでおろしたのでした。

さて、おいしい物をたっぷり食べていざ,祭りがはじまります。

 

そうそう。

今日のメインはサンジョアンオという神様ですから!

まずは双子達のいる3年生が神様を連れてきます。

長い竹竿をみんなでかつぎながら

ギターに合わせてみんなで歌を歌いながら学校中を練り歩き

ます。

子供たちの前後でギターを弾いたり楽器をならすのは

もちろん親御さんと先生。大人も子供も一緒になって

お祭りが始まります。

そして古今東西やっぱり祭りは練り歩きなんだね!と

なんだか親近感。

沢山の人を引き連れてとうとう広場に竹竿が立ちました。

「ビバ サンオジョアンオ!」のかけ声に

祭りは一気に盛り上がります。

このお祭りは収穫祭の一つでもあるようで

独特のカントリースタイルの洋服を着た人が沢山いました。

男の人はデニムのオーバーオール姿、女の人はカントリーガール。

軽く50歳を過ぎていようかという女性もフリフリのミニスカートの

カントリーガールドレスを着て踊りまくっている姿に圧倒

されつつも祭りは続きます=)

双子のクラスは収穫かごのモチーフを飾りました。

このお祭りの最大のイベントは各学年毎のダンス。

歌と踊りが大好きなブラジルならではという感じで

どの学年も気合いが入っていました。

それぞれブラジルの伝統の踊りや世界の踊りを衣装をきて

披露します。

双子のクラスは女の子と男の子が一緒にダンスをおどりました。

3年生だとまだまだ男の子と女の子が無邪気に踊りをおどってて

かわいいのです。

そして祭りで何を踊るか最後まで教えてくれなかった次女が

はじけるほど踊っていたのに「こんなキャラだったのね。」と

しばしボーゼン=)

最後は流石の長女。アフリカの踊りだったのですがさすが

棒を使ったり、ソロのダンスがあったりと複雑なダンスは高学年

ならではのものでした。

 

この学校の親御さんと話していたらこのお祭りが楽しいのは

毎年踊りも成長しているからだと言っていました。

1年生の頃はちょっとステップを踏むだけの簡単な踊りを

先生と。

それが学年があがる毎に少しずつ複雑な踊りをするようになり

「あぁ大きくなったなぁ」と思うそうです。

確かに全学年をみていると小さい学年のかわいらしさ、

大きな学年のすばらしさのコントラストがとても楽しかったな。

全ての学年が披露を終えて,空はすっかり夕暮れに。

しかし。

あ〜たのしかった!というのはまだ早い!

ここからが祭りの本番?というべきか。

広場に積み上げられた薪に火を付けてキャンプファイヤーが

まっていました。

教師による火の儀式のあとには

大きな焚き火が。

さぁここからが祭りだ!といわんばかりに

老若男女、火を囲んで踊るは踊る!

もちろんバックは先生や親御さんによる生伴奏。

ぐっとブラジルの雰囲気が漂います。

ボサノバあり、なんだか知らないけどブラジルの歌あり。

祭りはいよいよクライマックス。

そんなこんなで

恥ずかしいなんて言ってる場合じゃないです!これは。

ブラジルのForroという踊りやなんだか知りませんが

とにかく子供たちも大人もみんなとにかく火を囲んで

踊り狂う姿にまさに「ブラジル!」を感じつつ

真冬のブラジルではありますが

真夏の太陽のようにほとばしるブラジル人達の底抜けの明るさを

見るような歌と踊りを楽しむ姿に

祭りの神髄を見たような気分がした6月の祭り。

今年も実り多き年となりますように!

「ビバ サンオジョアンオ!!」

 

 

 

アボカド

待ちに待ったアボカドの季節到来。

ただ今道行く木々にはたわわにアボカドが実っている。

いつもそこを通りがかっては「一つ捥いでみましょうか」

という気分になるのだが一応柵で囲われている

誰かの敷地なので「やっぱりだめよね。」と自分に

言い聞かせあきらめる。

何故か外国にいると良くも悪くもいつもの自分の常識のたがが

外れるような事がある。

例えばもし日本にいたなら絶対食べないようなジャンクフードも

率先して食べてしまえたり、知人の話だがとても真面目なおばあちゃんが

外国に旅行に行った時になんと車に乗って走り行く道すがら

ゴミをポイ捨てしていたという。恐るべし外国という名の魔。

いつもなら絶対しないのに、何故か心が緩む外国暮らし。

そんな日常と非日常の狭間でつい他人の柵の中のアボカドを

捥いでみたくなる今日この頃なのだ。

 

あぁ。いけないとはわかってるのに目はアボカドを捕まえる。

別れを決めたのに捨てきれない恋人の思い出のごとき

ブラジルのアボカドたち。頭の中では松田聖子の「抱いて」

が流れている。How can I stop loving you?

アボカドひとつでここではラブストーリーがうまれる。

多分暇なんだろう。

あんなに実っているのに誰も見向きもしない

この柵の中のアボカドパラダイス。

誰が収穫するのか、それともしないままなのか。

行く末が気になりつつ今日も後ろ髪を引かれながら

その場を立ち去る。

 

そんな酷い人目惚れのようなアボカドの旬。

いつか家をもつなら絶対1本うちに植えようと心に決める。

ほかにもマンゴー、パッションフルーツ、ジャブチカバ、バナナも絶対。

と夢は膨らみ想像は遥か彼方へ歩き出す。

 

そうこうしながら甘く苦いアボカド熱の時間を噛み締めていると、

仕事帰りの主人が友人の家から山のようにアボカドをもらってきた。

渡りに舟とはこのことか。

「まぁ、こんなに沢山!」遠距離恋愛中の恋人が

やっと再会したときのような喜びに鼓舞しながら

ずっしり重たいアボカドをかごのなかに納める。

まだブラジルに到着したばかりのころに旬の終わりを

迎えたこのアボカドを頂いたのを思い出す。

日本で見る物の3倍も4倍もあるかと思われる大きく

ずっしりしたアボカド。

食べるとクリーミーで甘く、ねっとりとした油を含み且つ

フレッシュなプラーナを放つこのアボカドに今までの概念を

覆されたような思いがしたものだった。

それが目と鼻の先の庭でもちろん無農薬無肥料で

ブラジルの照りつける日差しと大粒の雨を吸い込んで

こんなに立派に育つのだ。そんな自然の恵みの驚きと喜びを

初めて直に体験したものこのアボカドだった。

その頃彼女の庭のアボカドの木には今期最後の力を

振り絞ったようにわずかな実がぶら下がり旬の終わりを告げていた。

それでも初めてアボカドの木を見た私たちは大興奮していたし、

子供たちは木に登り、身をかくすように穫られにくそうな場所に

残されたいくつかの果実を収穫させてもらい大喜びしたのだった。

あれからもうすぐ一年か。

 

初めて見る旬真っ盛りのアボカドの木には何だか想いがひとしおだ。

私たちもこのアボカドのように自分の内に毎年見えない果実を

実らしていけるだろうか。

こうして次から次と季節ごとにたわわに実るブラジルの木々に

私は今も魅了され続けている。

 

 

フェジョアーダ

若い頃はよく色んなレストランに御飯を食べにいって

イタリア料理だの、フレンチだの、タイ料理だのと

色々食べていました。

どこの国の料理もとても美味しくて,フランスパンを食べて

チーズを食べてワインを飲んで「あ〜毎日でもいいわ!」と

思ったり、いまでもタイ料理のスパイシーさは大好きで

パクチ−毎日でも!とか思ったり、

インド料理も大好きで食べにいくといつも「インドに住みたい!」とか

思うんだけど,結局どこの国の御飯も3日、いや一週間も

食べ続ければ「やっぱりもういいです。」と思うのがおちでした。

やっぱり日本に住んで、日本にいれば御飯とみそ汁ほどおいしい物は

なく、毎日食べても飽きない最高の献立だと思ったものです。

 

そしてここブラジルにもそんな御飯とみそ汁に匹敵する最高の

献立があるのです。

フェジョアーダもしくはフェジャンオ(フェジョンともよぶ)という

マメの煮込みに細長いタイプの米、コーヴィというキャベツより固い葉っぱの

炒め物コーヴィマンテイガ(コーヴィのバター炒め)に

バタタパーリャというポテトチップの細い物をトッピングし

オレンジを添えて出されるこのメニュー。

多少の差はあれどだいたいどの家庭でも一日の何処かで必ず食べられる

日本の御飯とみそ汁定食のような物です。

みそ汁は魚で出汁をとるけれど、フェジョアーダは

マメにベーコンや牛肉をちょっと

加えて煮込み,出汁代わりにして作ります。

コーヴィのバター炒めはほうれん草のおひたしのブラジルバージョン

というかんじでしょうか。

どれも日本に比べると油も多いし、ガッツリしてるのですが

ここブラジルで食べると不思議とちょうどいい。というか

とってもおいしいのです。

そうはいっても、基本菜食の我が家でははじめはなんとか

菜食バージョンで作ってみようとやっていたのですが

なんだかそういう工夫が返ってこの美味しさの何かを壊してしまう

ような感じがして思い切ってこの本物バージョンを作ってみると

なんだかすかっとした美味しさがあってブラジル!って感じがして

とても好きになりました。

ここに来た当初は御飯とみそ汁をよく食べていたのですが、最近では

みそ汁とフェジョアーダが半々くらいの割合に。

「今日の昼ご飯何?」の質問に

「今日もフェジョアーダだよ」と答えると

「いえ〜い!」と喜ぶ子供たち。

日本では毎日みそ汁,ブラジルでは毎日フェジョアーダが

最高だ!

風土にあった食べ物,その土地の伝統食ってやっぱりおいしいなぁと

思うのでした。