6月の祭り

ワールドカップまっただ中ではありますが

ただ今こちら一足お先に冬休みに入りました。

真夏の太陽輝く6月には学期末最後に「サンジョアンオの祭り」

が学校でありました。

日本のシュタイナー学校ではヨハネ祭とされるお祭りです。

一年の中で一番大きなお祭り、6月の祭り、火の祭りとも

呼ばれ、準備にも気合いが入っていました。

ちょっとご紹介したいと思います。

 

何をするにも食べ物がたっぷりないと始まらないブラジル人。

おなかをすかせている、ということはあり得ないのです。

というわけで

シュタイナー学校恒例の親による手作りケーキの販売に私も献品

しましたよ。

何つくろうか?と考えてブラジルの伝統的なケーキ

「Torta de Banana(バナナのトルテ)」を作ってみました。

一番人気なのはボーロジセボーラという人参ケーキなのですが

それが人参というよりは,黄色いケーキにチョコレートがたっぷり

かかっているというしろもので、人参の味など全くしません。

そう。ブラジル人はチョコレートが大好き。チョコレートの

使われていないケーキなんか見向きもしない、,と言っても過言ではないほど。

そんななかで私のタルトは大丈夫だろうか。。と心配していたけど

開店間もなくに,私のケーキを持って歩くおばあさんを発見!

やっぱりブラジルでもお年寄りは渋い味がお好み。

ともあれほっと胸をなでおろしたのでした。

さて、おいしい物をたっぷり食べていざ,祭りがはじまります。

 

そうそう。

今日のメインはサンジョアンオという神様ですから!

まずは双子達のいる3年生が神様を連れてきます。

長い竹竿をみんなでかつぎながら

ギターに合わせてみんなで歌を歌いながら学校中を練り歩き

ます。

子供たちの前後でギターを弾いたり楽器をならすのは

もちろん親御さんと先生。大人も子供も一緒になって

お祭りが始まります。

そして古今東西やっぱり祭りは練り歩きなんだね!と

なんだか親近感。

沢山の人を引き連れてとうとう広場に竹竿が立ちました。

「ビバ サンオジョアンオ!」のかけ声に

祭りは一気に盛り上がります。

このお祭りは収穫祭の一つでもあるようで

独特のカントリースタイルの洋服を着た人が沢山いました。

男の人はデニムのオーバーオール姿、女の人はカントリーガール。

軽く50歳を過ぎていようかという女性もフリフリのミニスカートの

カントリーガールドレスを着て踊りまくっている姿に圧倒

されつつも祭りは続きます=)

双子のクラスは収穫かごのモチーフを飾りました。

このお祭りの最大のイベントは各学年毎のダンス。

歌と踊りが大好きなブラジルならではという感じで

どの学年も気合いが入っていました。

それぞれブラジルの伝統の踊りや世界の踊りを衣装をきて

披露します。

双子のクラスは女の子と男の子が一緒にダンスをおどりました。

3年生だとまだまだ男の子と女の子が無邪気に踊りをおどってて

かわいいのです。

そして祭りで何を踊るか最後まで教えてくれなかった次女が

はじけるほど踊っていたのに「こんなキャラだったのね。」と

しばしボーゼン=)

最後は流石の長女。アフリカの踊りだったのですがさすが

棒を使ったり、ソロのダンスがあったりと複雑なダンスは高学年

ならではのものでした。

 

この学校の親御さんと話していたらこのお祭りが楽しいのは

毎年踊りも成長しているからだと言っていました。

1年生の頃はちょっとステップを踏むだけの簡単な踊りを

先生と。

それが学年があがる毎に少しずつ複雑な踊りをするようになり

「あぁ大きくなったなぁ」と思うそうです。

確かに全学年をみていると小さい学年のかわいらしさ、

大きな学年のすばらしさのコントラストがとても楽しかったな。

全ての学年が披露を終えて,空はすっかり夕暮れに。

しかし。

あ〜たのしかった!というのはまだ早い!

ここからが祭りの本番?というべきか。

広場に積み上げられた薪に火を付けてキャンプファイヤーが

まっていました。

教師による火の儀式のあとには

大きな焚き火が。

さぁここからが祭りだ!といわんばかりに

老若男女、火を囲んで踊るは踊る!

もちろんバックは先生や親御さんによる生伴奏。

ぐっとブラジルの雰囲気が漂います。

ボサノバあり、なんだか知らないけどブラジルの歌あり。

祭りはいよいよクライマックス。

そんなこんなで

恥ずかしいなんて言ってる場合じゃないです!これは。

ブラジルのForroという踊りやなんだか知りませんが

とにかく子供たちも大人もみんなとにかく火を囲んで

踊り狂う姿にまさに「ブラジル!」を感じつつ

真冬のブラジルではありますが

真夏の太陽のようにほとばしるブラジル人達の底抜けの明るさを

見るような歌と踊りを楽しむ姿に

祭りの神髄を見たような気分がした6月の祭り。

今年も実り多き年となりますように!

「ビバ サンオジョアンオ!!」

 

 

 

アボカド

待ちに待ったアボカドの季節到来。

ただ今道行く木々にはたわわにアボカドが実っている。

いつもそこを通りがかっては「一つ捥いでみましょうか」

という気分になるのだが一応柵で囲われている

誰かの敷地なので「やっぱりだめよね。」と自分に

言い聞かせあきらめる。

何故か外国にいると良くも悪くもいつもの自分の常識のたがが

外れるような事がある。

例えばもし日本にいたなら絶対食べないようなジャンクフードも

率先して食べてしまえたり、知人の話だがとても真面目なおばあちゃんが

外国に旅行に行った時になんと車に乗って走り行く道すがら

ゴミをポイ捨てしていたという。恐るべし外国という名の魔。

いつもなら絶対しないのに、何故か心が緩む外国暮らし。

そんな日常と非日常の狭間でつい他人の柵の中のアボカドを

捥いでみたくなる今日この頃なのだ。

 

あぁ。いけないとはわかってるのに目はアボカドを捕まえる。

別れを決めたのに捨てきれない恋人の思い出のごとき

ブラジルのアボカドたち。頭の中では松田聖子の「抱いて」

が流れている。How can I stop loving you?

アボカドひとつでここではラブストーリーがうまれる。

多分暇なんだろう。

あんなに実っているのに誰も見向きもしない

この柵の中のアボカドパラダイス。

誰が収穫するのか、それともしないままなのか。

行く末が気になりつつ今日も後ろ髪を引かれながら

その場を立ち去る。

 

そんな酷い人目惚れのようなアボカドの旬。

いつか家をもつなら絶対1本うちに植えようと心に決める。

ほかにもマンゴー、パッションフルーツ、ジャブチカバ、バナナも絶対。

と夢は膨らみ想像は遥か彼方へ歩き出す。

 

そうこうしながら甘く苦いアボカド熱の時間を噛み締めていると、

仕事帰りの主人が友人の家から山のようにアボカドをもらってきた。

渡りに舟とはこのことか。

「まぁ、こんなに沢山!」遠距離恋愛中の恋人が

やっと再会したときのような喜びに鼓舞しながら

ずっしり重たいアボカドをかごのなかに納める。

まだブラジルに到着したばかりのころに旬の終わりを

迎えたこのアボカドを頂いたのを思い出す。

日本で見る物の3倍も4倍もあるかと思われる大きく

ずっしりしたアボカド。

食べるとクリーミーで甘く、ねっとりとした油を含み且つ

フレッシュなプラーナを放つこのアボカドに今までの概念を

覆されたような思いがしたものだった。

それが目と鼻の先の庭でもちろん無農薬無肥料で

ブラジルの照りつける日差しと大粒の雨を吸い込んで

こんなに立派に育つのだ。そんな自然の恵みの驚きと喜びを

初めて直に体験したものこのアボカドだった。

その頃彼女の庭のアボカドの木には今期最後の力を

振り絞ったようにわずかな実がぶら下がり旬の終わりを告げていた。

それでも初めてアボカドの木を見た私たちは大興奮していたし、

子供たちは木に登り、身をかくすように穫られにくそうな場所に

残されたいくつかの果実を収穫させてもらい大喜びしたのだった。

あれからもうすぐ一年か。

 

初めて見る旬真っ盛りのアボカドの木には何だか想いがひとしおだ。

私たちもこのアボカドのように自分の内に毎年見えない果実を

実らしていけるだろうか。

こうして次から次と季節ごとにたわわに実るブラジルの木々に

私は今も魅了され続けている。

 

 

フェジョアーダ

若い頃はよく色んなレストランに御飯を食べにいって

イタリア料理だの、フレンチだの、タイ料理だのと

色々食べていました。

どこの国の料理もとても美味しくて,フランスパンを食べて

チーズを食べてワインを飲んで「あ〜毎日でもいいわ!」と

思ったり、いまでもタイ料理のスパイシーさは大好きで

パクチ−毎日でも!とか思ったり、

インド料理も大好きで食べにいくといつも「インドに住みたい!」とか

思うんだけど,結局どこの国の御飯も3日、いや一週間も

食べ続ければ「やっぱりもういいです。」と思うのがおちでした。

やっぱり日本に住んで、日本にいれば御飯とみそ汁ほどおいしい物は

なく、毎日食べても飽きない最高の献立だと思ったものです。

 

そしてここブラジルにもそんな御飯とみそ汁に匹敵する最高の

献立があるのです。

フェジョアーダもしくはフェジャンオ(フェジョンともよぶ)という

マメの煮込みに細長いタイプの米、コーヴィというキャベツより固い葉っぱの

炒め物コーヴィマンテイガ(コーヴィのバター炒め)に

バタタパーリャというポテトチップの細い物をトッピングし

オレンジを添えて出されるこのメニュー。

多少の差はあれどだいたいどの家庭でも一日の何処かで必ず食べられる

日本の御飯とみそ汁定食のような物です。

みそ汁は魚で出汁をとるけれど、フェジョアーダは

マメにベーコンや牛肉をちょっと

加えて煮込み,出汁代わりにして作ります。

コーヴィのバター炒めはほうれん草のおひたしのブラジルバージョン

というかんじでしょうか。

どれも日本に比べると油も多いし、ガッツリしてるのですが

ここブラジルで食べると不思議とちょうどいい。というか

とってもおいしいのです。

そうはいっても、基本菜食の我が家でははじめはなんとか

菜食バージョンで作ってみようとやっていたのですが

なんだかそういう工夫が返ってこの美味しさの何かを壊してしまう

ような感じがして思い切ってこの本物バージョンを作ってみると

なんだかすかっとした美味しさがあってブラジル!って感じがして

とても好きになりました。

ここに来た当初は御飯とみそ汁をよく食べていたのですが、最近では

みそ汁とフェジョアーダが半々くらいの割合に。

「今日の昼ご飯何?」の質問に

「今日もフェジョアーダだよ」と答えると

「いえ〜い!」と喜ぶ子供たち。

日本では毎日みそ汁,ブラジルでは毎日フェジョアーダが

最高だ!

風土にあった食べ物,その土地の伝統食ってやっぱりおいしいなぁと

思うのでした。

 

 

 

ワールドカップ

いよいよ待ちに待ったワールドカップが始まった。

思えば2013年、「ブラジルという国に引っ越す事になりました。」

と子供たちに告げた時に外国を全く知らない子供たちが

様々な「つて」を基に集めて知り得たブラジルに関する唯一の

情報が「ブラジルは2014年ワールドカップ開催国」だった。

ワールドカップの意味は知らない。ブラジルの場所も知らない。

サッカーのルールもよく知らないけど、なんかかっこいいじゃん。

双子はそう思ったのだろう。

そして友達の「いいなぁワールドカップ見られるじゃん〜」という半ば

いい加減な情報もあいまって

「そっか、みんなうらやましいのかぁ、じゃいいか=)」と

言う感じで双子の坊やはすっかり引っ越しが嬉しくなってしまった

のだった。

また友達からのお別れのお手紙には

「ワールドカップを見に行ったらネイマールのサインをもらってきてね」

という無邪気な期待まで寄せられていた。

「俺、ブラジル行ったらサッカー見に行くんだ!それでサインももらうんだ!」

と張り切る双子を横目に、ブラジルに引っ越したからといってそう簡単に

ゲームのチケットを手に入れられる訳もなく、ましてサインをもらうなど

到底無理だろうなんてことは当時は口が裂けてもいえなかった。

この淡い男の約束はどんな形で果たしてやることができるのだろう?

そんなささやかな悩みを抱きつつ私たちはブラジルの地に降り立った。

あれからもうすぐ一年。

そしてとうとう始まったワールドカップ。

未だサッカーのルールすらはっきり理解していないにも関わらず

このブラジルの沸き立つサッカー熱に飲まれ私たちも

待ちに待ったサッカーを観戦することになった。

もちろん、テレビでだが。

 

試合は夕方5時からキックオフ。

当日の朝には「今日は午後に友達の家でみんなでサッカーみるからね!」と

早々と予告しておいた。

子供たちも「今日なんだ!わかった!」と嬉しそうだ。

うきうきしながらアウブン(サッカー選手の乗ってる本)を手に

今日のゲームブラジルとクロアチアの選手を眺める。

「こいつかっこいいんだよね〜」

「ネイマールいいよね〜」と試合など見た事無いくせに

何となく知ったかぶって会話をするのがかっこいいと思ってる男子陣。

それを横目にまだ仕上がらないアウブンの写真をカウントしている

冷静な女子陣。

その姿には運動会の当日朝にその日の競技スケジュールを

確認しているような高揚と興奮が感じられた。

学校への通学中に通る高速道路にもブラジルの国旗を掲げた車が

その日は特に沢山走っていた。

既に試合への期待と士気が漂ようブラジルの街。

 

子供を学校に送り届けてからは、夕方のスナックを作る為の材料を

買うためスーパーに出かけた。

駐車場の入り口にいるおじさんは「いらっしゃいませ」でも

「Bom dia(おはよう)」でもなく

「今日はワールドカップだよ!お店は早く締めちゃうからね!」と言った。

なんだか買い物をしにきて悪かったなぁという気分になりつつ

店の中に入ると、店内はいつもより人が少なく、品物も少ない。

みんな既に応援の準備態勢に入ってるのか?試合当日にあわてて

スナックの用意をするなんて野暮な事するのは私たち外人だけ

なのかもしれない。

既に閉店前のような静けさと、いつもと違う様子をみせるスーパーの佇まいに

私たちも「こうしちゃおれん!」という気持ちになりさっさと買い物を

すませて家路を急いだ。

そしてまた帰宅の道すがらもブラジルの国旗が街の至る所で

増殖しているのを発見したのだった。

 

昼に子供を迎えにいくと、学校の生徒の数割が黄色いT シャツを

着ているのが目に入った。もちろんブラジルのユニフォームだ。

事務のおばさんも、お迎えにきた親御さんでも何かの目印のように

黄色い。

スクールバスにもよく見るとブラジルの緑の国旗がデコレート

され、お迎えの車にも国旗がデコレートされている車が何台もあった。

子供たちの中には朝から顔にブラジルの国旗をペイントして

その日の授業を受けた子供もいたと聞いた。

ブラジルのシュタイナー学校でもワールドカップのムードは盛り上がり

の絶頂を迎えていた。

 

帰宅すると急いでスナックの準備にとりかかる。

お祭りにはおいしい食べ物がつきものだ。

みんなでテレビの前に集まりサッカー観戦しながら

ビールを飲み、フィンガースナックをつまむ。

これがブラジルの観戦スタイルらしい。

私は手でつまめるものをと考えてのり巻きを作る事にした。

ブラジルサッカーとのり巻き。

中身はツナとマンゴー。

なんだか村上春樹の小説に出てきそうな組み合わせだ。悪くない。

たっぷりののり巻きを作り終り、めまぐるしいサッカー観戦の準備を

終えると、既にゲームの30分前だった。

まだサッカーを見ていないのに、なんだか忙しい一日だったなぁ

と思った。

本場ブラジルでサッカーを見るのも楽じゃない。

テレビで試合を見るなんてもっと気楽に考えていたのだが、

あまりのブラジル人たちの試合にかける情熱に私は緊張していた。

当のブラジル人はシリアスではあるけれど、もちろん

緊張している訳もなく、みな楽しそうに盛り上がっているのだが

それだけにその輪の中でこの波に乗り遅れないようにせねば!との

プレッシャーがあったのかもしれない。

それともブラジル引っ越しの頃からささやかれていた

あのワールドカップがついにこの目の前で開催されるという

現実にやや困惑していたのだろうか。

ともあれ大急ぎで車に乗り込み友人宅へ車を走らせた。

 

家を出ていつもの赤土の牧場の道を走る。

急いでいたってスピードはいつもと同じだ。

いつもならやや傾いた太陽は夕暮れの空へ向けて

疲れた光を投げかけているようなゆっくりとした

やわらかな時間だ。

けれど今日の夕暮れは「今日も一日お疲れさま」という雰囲気を

醸し出すどころか「やっと日が暮れたか!」というブラジル中の

せかすような期待に押されて申し訳なさそうにおずおずと引っ込もうと

している様に感じられた。

空気はぴんと澄んで静けさが辺りを包む。

いつものような夕飯前の騒々しさは微塵も感じられない。

そこここにある家々のドアは閉ざされ、人気がないかのように

ひっそりとしているが、そこには確かに息を潜ませた人のいる気配が

あった。

おそらくどの家ももう目の前に近づいている開戦前の興奮を

テレビの前で握りしめているのだろう。

目の前にはただの一台も車の走っていない赤土道を走りながら

「関ヶ原の合戦のときってこんな雰囲気だったのかなぁ」とふと

頭によぎった。この空気感は歴史的な大戦のそれに匹敵するのでは

ないだろうか?知る由もない疑問を抱きつつ、この不思議な空気を

ひしひしと味わいながら、これほどまでに緊迫した空気をブラジルに

来てから感じた事はなかったと思った。

 

友人宅まで車で10分ほど。

その道を何台かの車とすれ違った。

ローカルのブラジル人のかなり年期の入った角張った

デザインの車には後部座席にもすし詰めに人がのっている。

どう考えてもこの人たちもこれからサッカーを観戦する為に

友人宅へ急いでいるのだろう。

「お互い、急ぎましょうね、もう時間ないですから。」と心で

つぶやきながらそれぞれ目的地へ急ぐ。

そしてまたやはりぎっしり人がのっているローカルブラジル人の

車に出会った。

次にはカップルの乗っている車、国旗のデコレートしてある車。

今ではもうどの車を見ても何の根拠もないのに間違いなく

これから誰かの家に集まって試合を見るのだという気持ちがしていた。

どの車も急いでいるように感じられた。

テレビを持っていない人は友人の家に集い、持ってる人も何処かに

集まり、誰かの家で、はたまた街角のパブで、カフェで大勢でサッカーを

みようとしている姿に、昔に話で聞いた事のある

力道山というプロレスラーの試合を街角の電気屋で黒い人だかりを作って

応援していた時代の日本人の姿を重ねて思い出していた。

あの頃の日本と今のブラジルとどこか通じる物があるかもしれない。

サッカーと歴史が交差する夕暮れ時、開戦前のブラジル。

 

いよいよ到着した家にはブラジルの緑のTシャツに

ブラジルスタイルのスナックを準備する友人の姿があった。

 

それを見てなんだか一気に緊張は溶けてサッカー観戦準備は

整った。

あっという間に試合は始まり、とにかくゴールを決めそうになる

たびに一喜一憂しながら、美味しいスナックをつまみながら

わいわいと時間は過ぎていった。

そんな大人を尻目にあんなにワールドカップと騒いでいた双子達は

まだまだ人のプレーを観戦するよりも自分がボールを追いかけて

いる方が楽しいというかんじだった。

むしろテーブルに並んだ我が家ではみかけることのできない

ジュースのいろいろに舌鼓をうつ方に忙しかったようだ。

 

そして期待通りブラジルは一勝を勝ち取った。

期待通りに物事を進める事へのプレッシャーをはねのけ

当然の勝利を当然とするほどにブラジルは強いのだろう。

サッカーの事はよくわからない私でも試合はとても面白かった。

ブラジルだけでなく対戦した相手の国もすばらしかった。

クロアチアのゴールキーパーが画面に大きく映ったとき

その目はまるで侍のようだった。決死の覚悟で、おそらく本当に

「命を懸けて」試合に挑む人の目をしていた。

やはり関ヶ原の戦いに勝るとも劣らないゲームがここで繰り広げ

られているのではないだろうかと思った。

いつの時代にも本気で戦う人には心を打たれるものなのだ。

 

試合が終わると子供たちはすっかり眠くなっていた。

祭りのあとには,街頭もない真っ暗なこの小さな町の畑の

牧場のあらゆる場所から叫び声や笑い声とともに

勝利を祝う鉄砲のような花火の音が鳴り響いていた。

そして空には図らずもいよいよ満月になろうかという

どっぷりとした大きな月が輝いていた。

こうしてブラジルでワールドカップが始まった。

これから約一ヶ月こうして国中を魅了するサッカーという名の

盛大な祭りが繰り広げられることだろう。

そして本当に今ここでその場に私たちはいる。

 

 

うどん

昼ご飯にうどんを打つ。

夜御飯に麺を仕込む。

ブラジルに来てから私の台所仕事に麺作りが加わった。

はじめはなんかめんどくさそうな気がしたのだけど

中華麺の作り方を見ていたら,中国では小麦粉でいろんな

物を作る事を知った。

そういえば当たり前ではあるけれど

肉まんなどの蒸し物や、餃子、そしてラーメンに和え麺など

全て小麦粉一つから作られている。

そんな家庭料理の在り方をみているうちに、麺というハードルが

グンと下がった気がしたのだ。

日本人が毎食お米を炊くように、中国では毎食麺を作る、粉をこねる。

なんだ、私たちと一緒じゃないか。

自分の習慣は簡単そうに思えるのに、やったことのない

人の習慣は難しそうにみえるものだ。

けれど一度それが板についてしまえば習慣となり当たり前になる。

その一歩を踏み出すが留まるか,それだけの違いだ。

 

まぁそうはいっても、毎食はできないし、お米の方がはるかに

体になじんでいるけれど

「あ、今日はうどんつくろっかな。」という言葉が気軽にでてくるように

なるのは嬉しい。

しかもうどんってやつは、繊細じゃないからありがたい。

粉をわしわしこねて、寝かせてまた伸ばす。

切るのだってなんとなく同じになればいい。

蕎麦のように麺が均一でなくてもおいしくできるからありがたい。

私たち夫婦は二人とも麺をうつのだが、

私は断然うどん、麺派だ。

そして主人は断然蕎麦派。

性格の違う夫婦って言うのはこういうところでも役に立つ。

というわけで最近は専ら私が麺担当となりわしわし

粉を捏ねておる訳です。

 

またそんな新しい習慣の背中を押してくれたのはブラジルの食事情も

あるだろう。

私の住んでいる街ではそんなに日本の食品を買えないし、

乾麺はあっても生麺、中華麺、ましてやうどんなど

売っていない。

はじめはなんて不便な街なんだ!とがっかりした物だったが

そういうときこそ発想の転換。

なんとかある物で作ればいいじゃんってことになる。

追いつめられれば結局人は何でも出来るんだろう。

昔の人がよくクリエイティブでいられたのは物がなかったからだ

なんて聞くけれど,それは本当だなと最近よく思う。

ハングリーであるということは自分を随分飛躍させてくれるものだ。

実際、本来怠け者のわたしもこのハングリー、不便という状況の

お陰で随分いろんなことができるようになった。

 

ともあれ、こうして麺を自分で作るのが楽しくなってきたのも

この不便の賜物。

ありがたきブラジル不便ライフ。

しかもコシのあるしっかりしたできたての麺を食べられるこの

幸せ。自分の手で作ったという達成感。

ビバ不便。ビバ小麦粉。

ちまたではグルテンフリーなんてことが流行っているし

アンチエイジングには粉物が大敵だって事,百も承知だけど

自家製麺にはそれをしのぐ魅力があるのだ。

 

こうして今日の昼もうどんをこしらえた。

ただのザルうどんなのにみんなどんどん食べる。

4人前で600gのうどんを作ったのだけど予想より無くなるのが早い。

何故かと思ったら、赤ん坊と思っていた一番下の坊やも

エンドレスでうどんをほうばっていたのだった。

もう彼も一人前に勘定しなくてならないのだろう。

これから一体一度にどれくらいうどんをうったらいいのだろう?

途方に暮れるような気持ちと何処か懐奥深く満たされるような

嬉しさとともに今日の昼ご飯は過ぎていった。