おやつ

ブラジル人はチョコレートが大好き。

とにかくおやつはチョコレート。

子供たちの通っているシュタイナー学校も例外でなく

毎週学校で開かれるのオーガニックマーケットに行けば

親御さんの手作りチョコレートケーキ販売に長蛇の列。

まだ2歳くらいのよちよち坊やが片手にでっかい

チョコレートケーキをもってかじりながら学校の中を歩いている

光景などはじめは驚いたものですが今ではもうすっかり

慣れてしまいました。

日本人の私たちがNo life No rice(米なしの人生なんてあり得ない)

ならば,ブラジル人はNo chocolate no lifeといったところでしょうか。

とはいえ、そんな光景をみて

「うちの子なら、2歳で絶対片手にチョコケーキはあり得ないよね!

ユニオには片手におむすびもって歩かせよう=)」と子供たちと

話しておりますが。

 

けれどそうはいっても周りがこれだけチョコレートを食べれば

子供たちも欲しくなります。

そしてここでは不思議なものでチョコレートがすごく食べたくもなるのです。

コーヒーも名産地なので飲めないくせにコーヒーも

飲んでみよっかなんて気にさせるのがブラジルです。

そして普段お酒を飲まない私でも、

「カイピリーニャ飲みたいなぁ〜」なんて淡い憧れを抱かせ

授乳中である事を思い出し、「がび〜ん」と思わせるのがブラジルの

雰囲気のマジックです。

そう。

この国では快楽、喜び、楽しみということを満喫するために

みんな生きているという感じがするのです。

頑張る、我慢する、努力する、禁欲的という日本人的な発想は

この国には似合いません。

そして、コーヒーのかぐわしさ、チョコレートの魅惑のテイスト

すばらしいトロピカルフルーツのカクテルなどはそれを体現してる

この世界からのギフトのようです。

だからこの味を知る事は人生の喜びという風に思えます。

けれどその甘い喜びは刹那で強力。それ故に反転して毒にもなる。

どんな物にも裏と表がある。

美しい花に毒があるように、甘い魅力には罠があるように

このすばらしい地球の贈り物にもそういう世界の逆説が

含まれているのも事実。

こうやっていろんな美味しいを体験するのも人生をうんと

広げてくれるなぁと思う今日この頃なのです。

 

そんなわけで魅惑のチョコレート大国ブラジル。

私たちも時々楽しんでおります。

こどもたちにとってはちょっとしたチョコ解禁。

これは我が家のレボリューションといってよいでしょう。

そう、ここでは食卓の上でも様々な革命が日々起こっておるのです。

けれど残念なのはこれだけチョコが好きな国なのに

美味しいチョコレートが売っていないこと。

せっかくのチョコ解禁にこれはかなり残念。

原材料をみると訳の分からない添加物が一杯で本当に参ります。

たしか原材料のカカオもここでとれるはずなのになぜ?と

思ったら、どうやらこの暑い気候と未発達の技術のせいで

添加物をいれないと遠くまで運べないとかそんなわけがあるそうで。

なんなら自分で作ろうかとも思うのですが、ローフードのチョコを

作ろうとするにはまた他の材料が足らず。

なかなか思うようなチョコライフは送れないのが現状。

う〜ん惜しい!

 

ともあれチョコに魅せられている我が子達ではありますが

秋深まるブラジルでは乙女はやっぱり

芋、栗、ナンキン、トウモロコシなど

甘い野菜が欲しくなるのですよね〜

子供の頃からよく食べてる味ってのは

体にしみ込んでいるせいか、チョコ大国でもそこはかわりません。

こっちでは日本のようにトウモロコシは甘くなく

初めて食べたときは「これは動物の餌じゃないのか?」と

思ったのですが何度も食べるうちに古来種のとうきびのような

素朴なうまみさえ感じられるようになり、日本の極甘のトウモロコシの味など

忘れ今ではブラジル産トウモロコシをがしがし食べる子供たち。

 

そして生まれて初めて食べるピニャンウというブラジルのナッツ。

松の実の種の大きいものでもちっとしていて、ナッツというより

銀杏みたいな食感。ほんのり甘い穀物のような感じがまた

たまらなく美味しくて恋しかった栗をしのいでただ今我が家の人気

ナンバー1に。

こういう土地のおいしい物との出会いも嬉しいものです。

お肉に添えたり、ケーキにいれたり、はたまた栗ごはんのように

混ぜて炊いたりと色んなレシピがあるようですが子供たちは圧力鍋で

茹でただけのピニャンウが好き。

茹でたてのあつあつを皮をむきむき散らかしながら

食べる昼下がりのブラジルってのも乙なものです。

 

強烈な魅惑の味を振りまくチョコレートに

噛むほどに味わい深い素朴な魅力を醸し出すピニャンウ。

いろんな美味しいを味わいながら子供たちは世界を広げる。

おやつからみたブラジルも様々な魅力でいっぱいのようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8ヶ月

赤ちゃんが母乳から免疫をもらえるといわれている

時期がすぎ、私たちもブラジルに来てから8ヶ月が経った。

スーツケース12個と少しの家具で始まった異国でのシンプルな暮らしは

物がない分,日々の繰り返しの中のでささやかな幸せを見つけることが多い。

経済の発展中のブラジルでは山のように物を買っては捨てるひと、

食べ物を腐るほど余らせるような場面を見ることも多い。

お金さえ出せばここでも便利で日本にいたときのような暮らしを

する事も出来るけれど、私はそんな風にお金を使うつもりはない。

まぁ子供が一杯いるからそんな無駄もできないんだけど、それなら

とことんシンプルな暮らしを楽しむほうが良いと私は思っている。

ブラジルは自国の経済保護のために外国からの輸入品に

60パーセントもの関税をかけているため、普通に手に入るものや

スーパーではブラジル産の物がほとんど。日本のように世界中から

手頃な値段でなんでも手に入ると言う環境ではないし、物の品質も

そんなにいい物は期待出来ない。

そんな風だから料理をしようと思うと自然と地産地消になる。

けれどその食品も暑い気候と未発達の冷蔵技術のせいか

添加物が多いのも特徴でそういうあれこれを

避けながら新しいここでの食卓を紡いでいる。

そういう時に物を言うのはやっぱり手作りの力だと思う。

なければ,作るの発想はなんとありがたいことか。

そして自分が作った物のおいしさはやっぱり格別。それがいつしか

味だけでなく思い出になるというおまけつきだからなおさら愛おしい。

とはいえ,時々はおむすびが手軽に買える日本が恋しくなるし

肉食メインの真夏のブラジルの台所では一体何を食べたらよいのか

わからなくなることもあった。

「あぁ、納豆に冷や奴、薬味のいろいろに、刺身にお蕎麦。枝豆に

甘くて美味しいとうもろこし。なんて日本食ってすばらしいのだろう。」

そう何度も懐かしい思いがしたものだった。

それでもなんとかここでブラジルらしく,我が家らしく食卓を

紡ぐ挑戦はいまでも続いている。

 

最近我が家から車で2〜3時間かかるサンパウロにある

日本人街リベルダージというところに初めていった。

そこは横浜中華街の日本バージョンのような街。

ここのスーパーには納豆やらできたて豆腐やらレンコン、餅、

日本のスナック菓子等何でも売っている。そして中華点心なんかも

売っていて中華食材も手に入るアジア人には嬉しい場所だ。

私たちも懐かしいお蕎麦屋さんやラーメン屋に見とれながら

街を歩き、お店に入れば日本の食料品にすっかり興奮して

できたてブラジル産の豆腐にお揚げに納豆にと買い込んでしまった。

なんと便利な!!

こんなお店がうちの近所にあればなぁと

口惜しい気持ちがしつつも、こういう特別があるからこそ

日々の暮らしがもっと楽しくもなるのだとも思った。

その日はもちろんうちに帰ってから念願の柔らかい豆腐のみそ汁。

納豆に御飯,自家製ぬか漬け。

「あぁ,最高!日本食万歳!」みんな大感激で完食したのだった。

 

ブラジルの日本食は結構いいかげんで、味噌も売ってるがなぜか

「あかみそ」とかいてあってあきらかに「しろみそ」とかいてある

味噌よりも白い。どう考えてもラベルを間違えてパッキングしている。

という事で赤味噌が欲しいときは「しろみそ」を買う事にしている。

そして小豆も売ってるがなぜか「イセタン」と書いてある。

「Isetan」ってデパートじゃないの?って首を傾げる。謎だ。

番茶もあるけど「山本山」と書いてある。たしか海苔の会社じゃなかったっけ?

なんか知ってるような知らないような紛らわしい名前がついているのである。

といいつつも、手に入る小豆も味噌も番茶も我が家のかかせない

アイテムとなり台所に収まっている。ありがたや、ありがたや。

 

また小豆は細長く日本の物とは随分違う。米だって細長い物じゃなくても

日本とは匂いも味も全然ちがう。醤油だって添加物が入ってないものを買っているが

原材料は大豆、塩、トウモロコシ。所変われば品変わる、味も雰囲気も全然ちがう。

だから料理も変わるし,美味しく作る方法もかわる。

空気も気候も周りにいる人も違うので食べたい物も変われば欲しい味も

変わる。はじめはこんなおかしな匂いの米や、細長くて固い小豆や

うまみのない醤油にがっかりした物だったけど,今ではこれがブラジルの

風土に適しているここで出来た物だと思いとてもしっくりきているように

思える。

海外で暮らし始めると,はじめは自分の中に元々ある味覚や音や嗅覚や

センスやいろんな物と外の世界が対立する事がある。

その異物のように感じた外国の諸々も時間とともに自分の中で

熟成されて気がつけばいい塩梅になっていく。

日本人として変わらない物もありながら前よりもっと

世界に対して許容をしてる自分を感じる。

それはなかなか悪くない。

今ではみそ汁ももちろん我が家の定番だが、それと同じくらい

フェジョアーダというブラジルの黒豆の煮込み料理が定番になっている。

どちらも日常を感じる味になっている。

 

こんな風に色んな味が混ざりつつ,自分のルーツを大事にしつつ

台所での試みはまだまだ続く。

また最近は中華料理や韓国料理、タイ料理のスパイシーさなどが

アジア人の私には熱帯ブラジルで食べるのにとても合うように

感じている。

日本食はスパイスを用いない。水の料理。ひたひたと、ことことと

優しくゆでる、蒸す、浸す,煮る。穏やかで繊細な波動だ。

一方ブラジルははじけるような油の料理。スパイスはあまり使わないが

じりじりの太陽にジャングルのような自然を目の前に

自然とワイルドな料理を作りたくなる。食べたくなる。

じゅーじゅー焼く肉、ざっと強火で炒める。生のサラダを

がしがし食べる。

そんなわけで、じゃっじゃと炒める中華料理やスパイスの利いた

エスニック料理はすごくおいしく感じられるということに気がついた。

でもその材料は簡単に手に入らないので,やはり何でも自家製でというのは

お決まりだ。

自家製グリーンカレーペーストでタイカレーを作る。

自家製中華麺を作ってラーメンを食べる。スープだって鶏肉を食べた残で

がらスープをストックしたりする。最近はそれにキムチも加わり

アジア料理大満喫。

あかちゃんをおんぶしながら台所で料理する料理する。

そうしてもちろん夫の母国ドイツ料理もそこに加わる。

そしてイタリア系の友達、イギリス人、フランス人、スペイン人と

友達の輪が広がればどんどん料理も広がっていく。

こうして世界中の料理を作って食べているのはとても楽しい。

どこにもすばらしい文化と智慧が詰まっていて、美味しく無駄なく

健康的な料理が沢山ある。

肉食だろうと菜食だろうと全ての歴史と智慧と文化に乾杯だ。

 

こうして私の台所はますますグローバル化している。

そうしながらも毎日御飯とみそ汁は欠かさない。

日本とも世界ともつかない

菜食とも肉食ともつかない

生食とも加熱食ともつかない

混沌とした我が家の日々の食卓の中に

私らしさを見つける。

ブラジルに来て8ヶ月。

気がつけば我が家のぬか漬けはしっくりと床がなじみ

いい塩梅となっていた。

 

 

 

 

 

母の日

今朝起きたら双子が私のもとにやってきた。

「ママ、これあげるよ!」

よれよれの紙袋にはずっしりと重そうな物が入ってる。

そういえば先週末学校から持って帰ってきたっけな。

リビングにあったから中身はもう知っていた。パンだ。

リビングにほったらかしてあったから開けてしまったのだった。

大事な物のはずなのに、見えるところにほっとくあたり

抜け目だらけの双子君は未だ健在だ。

それでも「これどうしたの?」ってきいたら素早く「開けてない?」

(あけちゃったけど、そんなこと言えやしない。)

「まだあげられないんだよね〜ひみつだからさ〜」と

秘密の意味がわかってないのか、ともあれ双子はうれしそうに

今日まで部屋に隠し持っていたのだった。

 

何度も袋を握りしめたからか、よれよれになった袋がなんだかかわいい。

びっくりした振りをして

「え〜何?ありがとう〜なんでくれるの?」ときくと

「じゃ〜ん。今日はママの日です!」と

待ってました!と言わんばかりの嬉しそうな顔で二人が言った。

そういうや否や「このパンね,すごいんだよ。」といって

おもむろに袋からパンを取り出しちぎってみせた。

紫芋が渦巻き状に巻いてあるパンだった。

「おいしいんだよね。」といって私のプレゼントのはずだったのに

自分で食べてしまった双子君。

しばしあっけにとられる母をよそに

おっちょこちょいがまだまだ健在な双子君。

 

母の日。数日前に何となく聞いてたけどお祝いしてもらえるとは思って

いなかったので実は本当にちょっとびっくりした。

中身がパンの袋は知っていたけどそれでもなんか嬉しい驚きが

あった。

しかもお手紙までついていた。「お母さんありがとう」

何故か宛名は「ひとみへ」とまるで恋人へ当てた手紙のように

なっていたが学校で皆と一緒に書いたからきっと外国の風習で

名前で書きたくなったのだろう。

きちんと自分の名前も漢字で書いてあった。

ひとまずは日本語がまだかけるようでほっとした。

それぞれ違う絵も描いてあって

それが二人の性格をみるようで素敵だった。

 

こうなるとお姉ちゃん達もうずうずしてくる。

気がつけば四人に囲まれプレゼントとお手紙をもらっていた。

「ありがたいなぁ」しみじみ思う。

もうこれではどちらが感謝してるのかわからない。

母の日は母に感謝し,母も感謝する日なんだなぁと

気がついた。

元気に育ってくれる子供や家族に囲まれてなんてありがたいのだろう。

 

まさかお姉ちゃん達もプレゼントを隠し持っていたとは知らなかった。

どうやら学校で作ってきたようだった。

長女はハーブを混ぜた手作りソルトに自分でラッピングしてあった。

次女は毛糸の手編みのポーチで中に折り紙の小箱が入ってた。

双子は紫芋の生地がロールされた渦巻きパン。

それぞれ手紙がついていて、

「Obrigada mamãe」

「お母さんありがとう」とかかれてあった。

見慣れた日本語のメッセージに初々しいポルトガル語の

メッセージ。

なんだか胸が一杯だった。

 

そして今日一日の終わりには泥で作った

母の日のケーキをくれた。

小さい頃から何度も何個も作ってくれたあのケーキを

今日はブラジルで,ここのある土と木の実でつくってくれた。

お母さんになって13年。

ブラジルで初めての母の日。

課外授業

子供の通ってる学校では時々週末に課外授業がある。

キャンプ付きで陶芸をしたり、農場に出かけたり。

だいたいみんな家族皆で参加する。

ランチはポトラック。みんな好きな物をたっぷりもってくる。

大勢で出かける遠足の中で遊ぶように学ぶ子供たちはとっても楽しそう。

先週は5年生の次女のクラスで紙を作る課外授業があった。

我が家から来るまで20分ほどの場所、クラスメイトの実家で

バイオダイナミックの畑とシュタイナー教員コースをやってるコミュニティ

にて。

まずはみんなで散歩。

遠くにみえるのは湧き水のプール、広い敷地には畑、動物、

果樹、池などが。

こちらも湧き水の水飲み場を利用してビオトープのようなものを

作ってあった。パーマカルチャーの要素もあるみたい。

お水は冷たくて美味しい!

こんな素敵なおうちも。

軒先の青いバナナがかわいい。

そしてあたりを歩き回ったあとは、水辺で植物のデッサン

を始める子供たち。

ブラジルの蓮の花。

この蓮の花の池の端に生息している背の高い植物を刈り取って

紙を作ります。大人達は刈り取る作業をしつつ

子供はデッサンをしつつ。お天気がよくて最高!

初めて見たこの植物。インテリアにもいいよね〜と話してると

素敵だからといって根っこからほって

家に持ち帰る家族もいました。

家で植えてみるって=)さすがやることがワイルドだ。

 

さて、いよいよ今日はここで紙作り。

 

 

先生の話しをよく聞いてみんなで手分けして作業をすすめます。

さっき刈り取った植物の茎を皮をむいてお酢につけて

手で割いていきます。

 

 

お次はいよいよ二人一組で紙を織り上げます。

この二人、大の仲良し=)

几帳面で誰より美しく作るのは二人とも大得意!

私の出る幕もなくただ見守るだけ。

先生にも「Muito Bem!」とほめられてました。

 

 

 

あとはこの織り上げた物をプレスするようで

出来上がりはまた後日。

どんなのができるのかな〜

ともあれすっかりおなかがすいた子供たちは

ポトラックを堪能し早速向かったのは

あの湧き水プール!

自然の石や岩で囲んで湧き水をためたプールは

最高に気持ち良さそう。

岩からの飛び込みはみんなどきどき。

最初は怖くてためらってた子もいたけど,最終的にみんな飛び込む!

ドキドキしてた次女もやりました=)

 

昼下がり、皆の手作り御飯で満腹で

子供たちは散歩したり、プールで遊んだり

大人達は芝生の上で、食堂で、

食後のケーキをつまみながらのんびりおしゃべり。

あぁなんてリラックスした休日なのでしょう。

 

子供の課外授業でも家族みんなでやってきて

のんびり時間を過ごすのがブラジルスタイル。

先生だってパートナーも子供も連れてきます。

食事をしたら、必ずデザートも用意してあって

ゆっくり食べながら一杯おしゃべりして。

だれも酔っぱらったり、イライラしたりもしないで

みんなリラックスの仕方を良く知ってるなぁと感じます。

楽しむ事が上手、のんびりとする事が上手。

日頃の忙しさを微塵も感じさせない大人達。

それがブラジルスタイル。

 

こうして休日にエネルギーチャージしてまた一週間がはじまるのです。

 

イースターの考察

早い,早すぎる。

時間が立つのが早すぎる。

気がつけばもう4月が終わる。

 

子供5人と犬二匹。国際結婚で異国暮らしを初めてはや8ヶ月。

今月とうとう赤ちゃんが初の高熱をだし、看病に明け暮れ

疲れを感じながらも懐かしいあの幼児期が再びやってきたという

実感に包まれた。

熱を出しながら,この世に生まれた体を少しずつ自分のものへ

作り替えると言われている幼児期の発熱。

何度も風邪を引き、乗り越え、免疫をつけてこの世界で

生きていく為に強くなっていくこの時期の子供たち。

熱を出したあとの顔つきが変わる。

態度が変わる。

「あぁ生まれ変わって、また一つ大きくなったね。」

もう熱を出す前とは別人の子供。一体どこへ行っていたの?

つい尋ねたくなるほど。

そんな風にいくつものさなぎを脱ぎすてながら成長を遂げる姿を

見ていた幼児期をまた繰り返している。

 

けれどさすがに嬉しいながらも5人目ともなれば

やや疲れがでてくるようで「いやぁ、年かなぁ。」と

ふとつぶやいてしまう。

肉体的にも精神的にも毎日が限界に達するという充実。

生きてるってすばらしい。この体も心も精一杯活かしていると

思えることはとても嬉しい。そういえば四人の幼児期も

毎晩体がじんじんするほど疲れてお布団にはいるのが最高に

気持ちよかったっけ。もうそこまで疲れるとやることやるだけで

余計なことを考える暇がないのもいいことだ。

なんとなく日々が既に瞑想状態なのだ。

けれど時にその疲れが限界をこし、心が折れそうな時もあった。

それでもお日様がのぼり、雨があがり、季節がかわって

今日という日が始まる。

終わらない夜はない。

それが一日なのか、季節なのか、年月なのかわからないけど

永遠に変わらないことなどない。

見えないところで命が動く冬の地上のように辛抱強くあるほど

目にあおい春の喜びはひとしお。

あぁ日本の春があんなに待ち遠しく感じるのはそのためなのかしら。

 

2014年4月ブラジル。

日本の裏側では秋が始まろうとしている。

市場ではサツマイモに柿、里芋にリンゴがならぶ。

まるで日本にいるようだけど

「Caqui(カキ)」と書いてある文字にくすぐったいような

気持ちになる。

日本から桜が散ったという話を聞いて、

たらの芽を食べるという話をきいて、

日本の春に思いを馳せる。

そうだ。ブラジルにはこんな春の気持ちは確かにないんだと

気がつく。

この土地で赤ちゃんを産んだのはブラジルの春。けれどこの国では

緑が地上から消えることはない。

常に緑の草が生い茂り、鮮やかな花が季節毎に咲き乱れる。

ささやかな風の色の違いと、しんと冷え込む朝晩の空気で

季節を微妙に作り出しながら、わずかに市場で見かける野菜の変化に

季節の移ろいを感じることはできても

命が再び息づく喜びと、復活を喜ぶような歓喜を

日本にいた時ほど感じることはない。

一度深く自分の内側に、地上の内側に深く深く潜り込み寝静まり、

内なる光を外の世界に映し出すような日本の春。

一年中生の息吹を、生命の喜びをたたえているブラジル。

ここでは喜びが命が絶えることなくいつでも目に見えてここにある。

同じ地球の上でも命の在り方がこんなに違う。

その違いが、形を作り,言葉を作り、音を作り、色を作り

味を作り、、空気を作り、動物も植物も人間も天気も

全てを作る。それがブラジルになる。

それが日本になる。

私たちはそこに8ヶ月前からやってきて、そこの色を見て、音を聞いて

食べて、眠って暮らしてる。

体の細胞が、命の質をつくるその環境がいれかわる。

なにかが少しずつ変化を遂げる。

 

もしそれをもっと見える形でわかるようにできるのならば

次に会ったと時には私の顔は変わっているだろう。私の体も

髪の毛もきっともう8ヶ月前と同じ人ではないだろう。

 

もしもこんなに遠くに来なくても

きっとそんな風な変化というのはどんな人にも訪れているのだろう。

生まれたてだった私の赤ん坊が今はその倍にもの

大きさに成長し、日々変わっていく姿を見せるように。

熱を出しながら命を完成させていくように。

成長しつつある子供が目の前にいてくれることによっても

私たちはきっと姿形は変わらなくても、彼らと同じように

変化し続けているということをもう一度思い起こす。

 

違いを知ることで、変わらない物をみつけながらも

変わっていくという希望を抱く成長という命のサイクルの

不思議。

 

世界は一つと思いながらも、

こんなにも世界は違うということの喜び。

違うのに同じだという世界の不思議。

 

日本の春とブラジルの秋、イースターのころの考察。