ご無沙汰してました。ブラジル〜ドイツへ引っ越しました。

あけましておめでとうございます。。。っていう時期でもないのですが

随分ブログおやすみしておりました。

皆さんどんな新年をお迎えになったでしょうか?

ご存知の方も多いかとおもいますが、我が家は昨年秋に二年半過ごした

ブラジルを後にし新天地ドイツへ引っ越しをしました。

といっても私と主人、末っ子と長女だけまず引っ越しまして

下の双子と次女は12月までブラジルの友達の家で学年末まで

過ごしていたので最近ようやく家族が揃っての新たな暮らしが始まった

ところです。

新しい場所での暮らしはいつもいつも役場の手続きやら

なんやらでめちゃくちゃに忙しくなります。

それはブラジルもドイツも一緒。特に我が家はへんちくりんな

国籍ミックスファミリーなもので、皆眉をひそめながら

書類を食い入るように見つめながら時に苦笑い、時に嫌みを

言われながらの登録、登録の日々=)もうさすがに慣れましたけど。

子供も沢山いるから書類を書くのも一苦労。ははは。

そんな風にしてあっというまに今日に至っております。はい。

 

ともあれ南半球、真夏のブラジルから北半球真冬のドイツへ。

これまた大きな変化を家族で乗り越えていこうと思います。

空気が違う、水が違う、文化が違う、人が違う、考え方が違う

雰囲気が違う、食べ物も違う,色々違うのです。

でもそんな違いの中でまた、その違いを楽しみ、同じものを

見つけ、外の世界を体験しながら再び新たな自分を発見していくのだと

思います。

 

それにしてもドイツはオーガニックが簡単に手に入るので

すごいですね。

何もかもオーガニックですよ。それも結構安いです。

それに外食も安くてボリューム満点、ベジタリアン料理の

オプションも簡単に見つけられます。

そういう点ではとても楽だなぁと思っていたのですが、

やっぱり日本人。毎日重たいものは食べれないし、

結局御飯とみそ汁が恋しくなっちゃうのね。

もちろん日本食も外で食べられるのですが、自分の味に

こだわりがあるもので;)

やっぱり自分で作るしか無いなぁということに。

そんなわけで引っ越し早々年末年始、味噌つくりやら調味料作りから

新しい暮らしが始まっています。

どこにいても私にとっては台所から自分の暮らしを紡ぐのが

一番心地よいようです。

そんな訳でブラジル在住中にで培った調味料のレシピをフル活用し

ドイツでの暮らしを初めています。

その上,もうすぐ6人目の赤ちゃんも生まれてくるので当面の食事を

簡単に出来るよう冷凍庫のストックおかず作りに励む日々。

またここドイツから我が家の食卓の様子や暮らしの様子など皆さんに

シェア出来たらと思います。よろしくおねがいいたします。

 

そんなドイツから初めてのブログ。今回はドイツで見つけた

ごぼうもどきをお見せしましょう。

ドイツって結構野菜が少ないんですよね、オーガニックスーパーだと

ビーツとかセロリの根っことか?見た目的にはハリーポッターにでてくる

魔法生物学のへんちくりんなお化け植物みたいな結構ごつい根菜が

主流です。日本人にとってこの寒さの中でやっぱり恋しいのはごぼうや

人参、甘い大根、れんこん、さといも、などなど。とくにやっぱりときどき

食べたいきんぴらごぼう。どうしようか?と思ってたら見つけました

ごぼうもどき。その名も「Schwarzwurzel(シュバルツヴルツェル)」です。

ほら、ごぼうそっくりでしょ!これは農家の白アスパラと言われている

らしくて、茹でると春先にドイツでよく食べられる白アスパラガスに

味がにてるそうで白アスパラが高くて食べれない農家の人が

かわりにこれを食べるんですって。

まぁそうとは知らずに見かけで購入。

切ってみると真っ白な乳液のようなアクがでてきましたよ!

取りあえず皮を剥いてみると随分アクがでてきます。

本当はきんぴらにしようと思ったけど、アスパラの話を聞いてしまい

急遽私も茹でて豆乳クリムソースで食べてみることに。

加熱するとごぼうのような強い食感はなく、確かにアスパラ的な

やや歯ごたえはあるけど柔らかい肉質に。

これには確かにクリームソース合いますね。パセリとこしょうをたっぷり

効かせてなかなかおいしく頂きました。

不思議なのですがやはり土地に会った調理法や料理ってあるんですよね。

きんぴらが食べたいと思っていたはずが、こんな洋風ごぼうもどきが

なんかとてもおいしくて。もちろんばりばりの日本食も時々体が

欲しがるのですけど、ドイツではこってりとどっしりとしたクリーミーな

お食事も体が必要としているようです。

郷にいっては郷に従え、というのはほんとうですね。

また、ドイツでは朝ご飯はパンかミューズリー、昼は暖かいスープや

こってりどっしりしたランチをたっぷりと。夜は残り物かパンにサラミ

やチーズですませるということが多いそうです。

日本人って三食しっかりご飯を炊いておかずも作ってって

マメじゃないですか、でもねドイツの台所は合理性重視のようです。

みんなあんまり料理をしない。

でもある意味で理にかなってるというか。不合理すぎる日本の台所事情。

確かに私も台所で時間を費やすことが多く、それは私の楽しみでもあるの

ですが。人によっては大変だと思うこともあるのかなぁって、初めて

そういう視点で台所を眺めることができました。

とはいえ、やはり手作り、伝統食を大事にしながらうまく合理性をとりいれた

食卓をドイツで開拓出来たらいいなと思っております。

これからますますチャレンジの日々です。

 

一日

お元気でしょうか?みなさんそれぞれの場所で

どんな秋の始まりをお過ごしでしょう。

ドイツ引っ越しへのコメント、ありがたく拝見させていただいて

おります。そしてブログへのコメントもそれぞれの方にお返事したいので

ありますが追いつかず;)こちらでお礼とさせてください。ありがとう!!

 

ブラジルは初夏の装いのなか、いよいよ引っ越しが近づいて参りました。

連日40°近くなる猛暑の中、引っ越し作業にあけくれておりましたが

昨日から急に涼しくなってあわてて上着を羽織っております。

気まぐれですね,お天気って=)

引っ越しで断捨離も再び。いらないものリサイクル出来るもの,次の方に

渡せるものを仕分けして。大掃除もお決まりですね。

毎日ちょっとずつお世話になったお部屋達をきれいにしていきます。

気持ちがいいものですね。なんか体も心もすっきるするような。

年末の大掃除のような心持ちです。

そしてこちらで出会ったお友達にも最後の別れを合間合間に。

色々大変なこともあったブラジルでの二年ちょっとでしたが、こうして

お掃除して物や場所にお別れの挨拶をして、お友達と絆を深めて

しばしの別れをしてみるとやはり名残惜しく、ありがたく。

ここに来たばかりの頃の自分心境を思い返したり、ここで産まれた

新しい命を振り返ったり。子供の成長に思いを馳せたり。

いろ〜んなことを振り返りながらも新しいスタートに向けて歩いている日々です。

そんなブラジル最後の瞬間に思いを寄せて。詩のシェア。

ブラジルに住み始めた時に書いたものです。なんだか懐かしくて=)

 

では。次回はいよいよ新天地ベルリンからブログを更新しようと思います。

行ってきます!お楽しみに!=)

 

一日

 

しんと冷たい朝の風

澄み切った一日の始まりの空気

まだ星の残る藍色の空が赤く色を変え始める朝焼けの萌え

赤、紫、橙、ピンク、青紫、赤紫

空は一度も止まらずに色を刻々と変化させながら今日という

一日の幕をあける

遠くで犬が吠えている。鳥が空でさわいでる。

遠くに車の走る音が聞こえてる。

なんてすばらしい朝。

 

空に浮かぶ雲を見つめる。

今日の雲はどんなかな。

羊のような雲の大群、既に入道雲もあがってる

筋のような薄い雲、雲一つない果てしない青空。

空は高く,広くどこまでも

浮かぶ雲は一日を新しく思い描かせてくれる。

子供たちは雲の中に何かを見つける。

これは動物、あれは飛行機、

ただぼんやりと目に入るものを見ているだけでも

世界は私たちの想像の国を膨らましてくれる。

 

珍しい鳥を見つける。

色鮮やかな緑に黄色。

可愛い虫をみつける。

今朝咲いた花を見つける。

昨日より大きくなってる果物を観察する。

牛の大群に出会う、番犬と追いかけっこをしながら車を走らせる

毎日のなかに描かれる世界の美しさ。

 

じりじりと焦げ付くお日様の強さ

水の中の冷たさ

裸足で草の上を歩く

裸足で砂利道を帰ってくる

湿った空気を感じる、雨雲の遠く押し寄せるのを見守る

風が強く吹く

雷が近づいてくる

びりびりと全身で感じる地球の力

 

暖かな土の匂い

やわらかな雨の匂い

優しく強く現れるお日様の光

くすぐったい虫の動き

体にしみ込むような地球のあたたかさ

 

空の果てを越えていく鳥達の群れ

空に翻る鳥達といっしょに感じる瞬い夕方の風

なびく木々と奏でるざわめきの音

右から左へ、前から後ろへ

乾いた強い風がひんやりと夜を連れて来る

子供たちが坂道を駆け下りてくる

なんて素敵な夕暮れだろう

 

オレンジの光の中で

玄関にうずくまる犬達

生温い家の中と,整然とし始める外の空気とが

交差する空間

心地よい疲れと空腹をなでるような

匂いのする我が家

 

動から静へと移り行く時間

しんと静まり返ったリビング

一日の疲れを物語るテーブルの上

くたびれた洋服、立てかけられた鞄のしなる様

こびりついた御飯粒

おつかれさま今日も一日

 

夜中に降り始める雨の音

大地も今日の疲れを癒す

しとしととやさしく地面をたたく

落ち着いた夜空の匂いがやってくる

あぁなんて素敵な夜だろう

 

心配することはなにもない

ぐっすり眠ろう朝になるまで

 

8年生劇と新たな旅立ちのご報告

長女がシュタイナー学校に通うようになって8年がすぎました。

とはいえ、日本でのシュタイナー生活が4年。

引っ越しにともなって2年半東京の公立に通いながら週末のみの

シュタイナー学校に通い、再び引っ越しにてブラジルのシュタイナー

学校に編入して早2年。様々な紆余曲折がありました。

こんな選択に色々悩んだ時期もありました。

そんなつぎはぎだらけの旅路ではありましたが日本のお友達よりも

1年遅れて今ブラジルで8年生を迎えています。

シュタイナー学校では1年生から8年生まで同じ担任の先生でクラス替えなし。

8年間を一貫として教育が行われます。その総仕上げというべき最後の

大イベントに8年生劇というのがあります。

 

私達も日本にいる間に何回か上級生達のお芝居をみせていただきました。

まだ一、二年生だった長女をみながらいつかこの子達もあんな風に

大きくなって思い切りお芝居をするときがくるのかなぁなんてぼんやり思った

ものでした。そうして人生の荒波を乗り過ごしながら,私達なりの

旅路を経てとうとう長女がブラジルという土地で8年生劇を迎えることに

なったのはなんだか私にとっては夢か幻のようにおもえるのです。

 

ともあれ、昨日3日間続いたお芝居の最終日を迎えました。

毎日違う配役、毎日違うテンション、リズム、雰囲気。

興奮と緊張の中始まった初日から毎日新しいお芝居をみせてくれた

8年生達。

日本でみていたそれと言葉こそ違えど空気は同じでした。

若さの情熱と、勢い。個性と協調。青春と旅立ち。

成長と葛藤。緊張と快感。命の輝き。

こどもたち一人一人がそれぞれにそれぞれの役の中で輝き、

精一杯その役に命を吹き込むことで役を演じきり、その物語りの

時代を生き、その人物の人生を生き、そのなかで彼らは

一体何を感じ、何を体験し、何を見ていたのでしょうか。

若くしなやかで繊細でもろく強くこれからの人生の荒波を行きていく

若者達。私もかつてはそんな存在だったのだなぁ。

いやいや、いまでもそんな存在なのかもしれません。ただそこに

ちょこっと経験という積み重ねがあるだけなのかもしれません。

けれど確実に我が娘もいよいよこの荒波を生きていく年になったのだと

そういう風に感じました。

8年生という時期になったのだと。

 

ここまで来るのも簡単な道ではありませんでした。

異国での新しい学校生活、言葉も文化も違う人たちのなかで

アイデンティティを模索する日々。いや、アイデンティティなぞ

確立すらされていなかったあの頃に大海原に投げ出されたような

気分だったでしょう。

今でもまだまだ苦しい航海は続いていることでしょう。

8年劇に向い合うという気持ちになるまでの葛藤、

「やりたい、やりたくない。がんばりたい。がんばれない。」

いろんな思いを抱えての日々だったと想います。

だけどとうとうやり遂げられた長女の姿をみて、どんな道をたどってきたに

しろ、どんな思いを抱えているにしろ、拍手を贈りたい気持ちに

なりました。「お疲れさま、よくがんばったね。」と。

まだまだ人生の航海は始まったばかり。劇が終わって全てが終わる

訳はないけれど、確実に何かの終わりと始まりになった気がします。

どうかこの若い命達がよいよい未来を生きていきますように。

よりよい未来を築いていきますように。

そして、私達家族もまた8年生劇を終えた長女の旅立ちと時同じく

して、再び旅に出ることになりました。

二年ちょっと住まわせてもらったブラジルの土地を離れ

主人の古郷ドイツに引っ越します。

ブラジルに旅立つことを決めた時、その先にどんな未来が待っているか

想像もしていませんでした。

そして縁あってドイツに旅立とうとしている私達にどんな未来がまっているか

やはり私達は知りません。

それでもあの時と同じように来るべきときがやってきて、行くべき場所が

再び目の前に現れた。その流れに素直に進んでいこうと思います。

 

そんなわけで年末までにはドイツでの新しい暮らしがはじまります。

さて、どんな毎日が待っているのでしょうか。

今後もブログでも綴っていきますのでどうぞよろしくおねがいします。

 

 

 

 

Coconuts everyday!

こちら毎日30度越えの暑〜い日々が続いております。

ブラジルの季節は春?なのにね。何か今年は暑いです!

そんな時にうれしいのがココナッツウォーター。

ここ最近我が家は毎週末に青果市場のマーケットにいって

一袋10個入のココナッツを買っています。

こんな風に八百屋さんやら、チーズ屋さん,ソーセージ屋さんにまぎれて

ココナッツ屋さんがあります。

そこでベビーカーを押しながらココナッツを一つ割ってもらって

チュ−チューのみながら買い物をします。

こちら1個2レアル。だいたい60円〜70円の間でしょうか。

安い!

飲んだらまたお店に戻ってココナッツを半分に割ってもらって

ココナッツミートを食べるのがまたおいしい!

わたしもおちびもこれにはまってしまっております。

中身はこんな風になってます。

しかもスプーンとかついてくる訳じゃなく、

ココナッツの皮をそいでスプーンを作ってくれるんですよ

そのラフさがまたナイス!

こんな感じでばくばく食べます。

すっかりココナッツがお気に入りになってしまったうちのおちびさん。

毎日お父さんにココナッツを割ってもらって

おいしそうに飲んでいます。

いまではココナッツミートを自分ですくって食べる

ようになりました=)

この姿がかわいい=)

そんなわけで我が家では毎日がココナッツ。

ただし妊婦の私には南国ブラジルにいてもココナッツは

体が冷える感じがするので控えめに。

南国のフルーツ天国ではありますが、

毎日夏日でものすごく暑いのではありますが、

日本人の私にはやっぱり適量があって、それ以上は食べられない。

ココナッツを通してマクロビオティックの陰陽を

体で実感できたのもなかなか面白い体験でした=)

 

台所から紡ぐもの

実はずっと悩んできた。

子供たちに何を作って食べさせたらいいのか。

色々な経緯があってベジタリアンになりマクロビオティックに出会い、

ヴィーガンを試し、様々なときを経て私はマクロビオティック

インストラクターになっていた。

どんなときもまずは自分で試してみてから「これは!」と思う物を

取り入れてきた。私の中でこれが最善と思う事を尽くして

やってきたつもりだ。けれど一般的なやり方と違う食事の

スタイルを維持するのは難しかったし、自分でも経験した事の

ないことだったから(私はごく普通に食べて育ったから)それを

本当には子供がどう感じるのか、そしてそれが正しいのかというのは

理論とは別にしていつも私には本当にはわからない事だったし、

時に何も考えず皆と同じように食べたり暮らしたりしてる人たち

の方がうんと幸せそうに見えたものだった。

だけど私はどうしてもそれができなかった。真面目だったのか、

それともただのエゴだったのか。ただ真実と思える事をやりたかった。

子供にも,自分にも。

 

四人の子供たちはそれぞれ7歳まで殆どベジタリアンで育てた。

厳格なやり方ではなかったがマクロビオティックをベースに

穀物と野菜を使ってお弁当を作りおやつを作り御飯を作ってきた。

今考えるといろいろと反省点もある、もっとこんな風に料理すれば

よかったとか,食材や調理器具の選び方をもっと繊細にできれば

よかったとか。けれどとにかく少なくとも体を育てる上では

それはよかった。そして確かに我が子達は丈夫な体を持ち

無駄に風邪もひかない人たちに育っている。

だけどいつも心の中ではこれでいいのか、これでいいのか、

と思い続けて育てていた。もっと自由にしてやりたい、という

気持ちと守ってやりたいという気持ちが私の中で葛藤していたのだ。

子供たちも大きくなるに連れて食事だけでなく思うようには

いかなくなってきた。当然子供を思うようにしようなんて

はじめから思っていないけど、一体私は何をしてやりたいのか?

子供たちを元気に育てたいという事は一体どういう事なのか?

自由とは何か?色々な事がいつも心の中にあった。

食事を通してずっとそのことを考えていた。

 

マクロビオティックや穀物菜食のよさは理論でも自分の実感と

しても子供たちを見てもいいものだとよくわかっている。

だけど子供たちはそれだけでは育たない。沢山の人に囲まれ

それぞれの社会がある。4人の子供たちはそれぞれの個性を持ち、

それぞれのカルマを持ち生きている。体だけでなく人は心と魂も

育てていかねばならない。三位一体で人生を送っていく。

そして特に心と魂については最後は自分で育て上げねばならない、

自分の人生を生きる為に。そこは親の出来る事は本当には少ないと

私は思っている。

 

シッダールタというヘルマンヘッセの本を読んだ時に書いてあった

文章を思い出す。たしかこんな内容だったと思う。

『シッダールタには一人子供がいて大人になってから出会う、子供に

出来るだけよい事をしてやろうとするのだけど子供はとんでもない

風来坊で親の言う事を聞かず思いやりもなく、いつまでたっても

二人の心は通じ合わない。親であるシッダールタは子供を愛している

ので誠心誠意尽くして愛を注ぐも子供は受け入れない。

子供の未来を守ってやりたい、この子はこのままではいけない、そう思い

血のにじむ努力を続けるシッダールタに一人の老人が言う。

「彼が生きたいように生きさせる事を親だからといって奪えない。

それがたとえ彼の身を滅ぼすことだとわかっていても。」』

子供たちがどういう風に生きたいのか、彼らの未来にはどんな失敗と

成功が隠されているのか。親である私はどうしても失敗を避けさせたく、

よい方へ導きたい、しかしもしもその失敗さえも子供の魂が望んでいた

としたら?

たかが食事、されど食事。

子供が食べたがるもの、どうして?と思うものに潜むもの。

それが興味からなのか、体の必要からなのか、それとも彼らの魂からなのか。

親としてどこまでしてやれるのか。

愛とは一体どういうことか。

 

田舎から東京に来て公立の学校に通うようになってベジタリアンから

普通食を食べるようになった子供たちをみて複雑な気分だった。

そしてあれだけ一生懸命作ってきたのに結局おばあちゃんの作る

普通の御飯が食べたいと子供たちは言い出した。

私は子供たちが美味しく楽しく健康的に食べられるようにと思って

頑張ってきたはずだった。だけど気がつけば子供たちはもう

それを欲してなかった。いつの間にか季節は変わっていた。

もちろん子供たちは昔から食べている私の作ったおかずや

おやつが今でも好きだ。だけどもうその時期は通り過ぎていた

ようだった。子供たちは私より先に大きくなり成長し変化していた。

私だけが取り残されていたのかもしれない。もしくは私だけが

「そのはず」という思い出と理論にしがみつきたかったのかもしれない。

私はもう一度自分の心に尋ねていた。一体子供たちにどうなってほしいのか。

何の為に私は御飯を作り続けてきたのか。何を見て作っていたのか。

私の目指す暖かい御飯は一体どこにあるのか。

子供の欲しい暖かい御飯はどこにあるのか。

 

そう思いながらブラジルにやってきた。その前から料理は少しずつ

菜食だけでなく肉や魚も取り入れるようになっていた。

それでもなんでもありというわけにはいかなかったけど

出来るだけ子供が食べたい、おいしいと思う物をつくるようにして

いたしマクロビオティックも続けていた。毎日試行錯誤の日々が続いていた。

そう。マクロビオティックという言葉にとらわれずに、

これがいいに決まっているという理論に捕まらないようにしながら

心の声体の声をきいて土地の物を頂く。我が家だけのベストバランスを

探す日々。菜食と肉食をするという事の狭間で。日常と非日常の狭間で。

それでもトンネルは抜けない。

日本ではマクロビオティックを教えていたし、日本を発つ前に

菜食のレシピ本も出した。子供を菜食で育てていた、だけど今は

すっかり菜食だけの料理では無くなっている我が家をみて、

自分をみて一体どんな料理をしたいのかとわからなくなっていた。

ずっと自分に問いかける。「私の目指す料理はなんだ?」

だけど毎日はやってきて、朝昼晩とおやつと料理をする、御飯を作る。

いつしかベジタリアン専用のフライパンだった私のフライパンで

肉を焼くのようになっていた。

長女は時々私のよく作った野菜料理をつくるようになっていた。

 

そしてある時に私の心にはっと光が射した。

私は家族の為に料理をしたいんだとはっきりわかった。

私が目指すのは「お母さんの味なんだ」

菜食でも良い、肉食でもいい、日本食でも外国料理でも

私は母が私に作ってくれていたように

ただ御飯を作りたくて料理をしているんだ。

誰かの為に、料理をしたい。

あなたの為にあの子の為に。

 

自然な食事、繊細な調理法、オーガニック食材、菜食とか肉食とか

もちろん大事な事。きっとこれからも探し続ける。

子供の必要とか,変化とか色々寄り添っていきたい。

でもそれの元にあるものは。

私が確かに母から受け継いだもの。

包丁もろくに研がなかったし、野菜の切り方だって別にうまくはない。

だけど、それでも思い出すのは母の味。

「たんとおあがり」と言ってくれる、あのお母さんの懐。

 

母から娘へ受け継がれるものはワザだけではない。

智慧だけでもない。

それよりももっと大きなもの。

そういうものに包まれて今私も私の道を行く。

私なりのお母さんの道をこれからも台所から紡いでいきたい。