手料理

新学期が始まって朝は忙しい。

お弁当がいる子、朝食は御飯がいい子、果物が必要な子、

サンドイッチを持っていく子。それぞれの欲求を満たすべく

今日も台所にたつ。

 

子供たちは大きくなるにつれてそれぞれの食の好みや傾向が

はっきりとしてきた。

朝ご飯をたっぷり食べたい子、食べたくない子、パンを食べたい子

果物を食べたい子。おかゆは食べられない子、などなど。

小さい頃はなんでもある程度大人が決めてあげた方が子供が安心して

過ごせる、というのと同じ様に、食事もある程度(いや、我が家は結構

私が決めてしまっていたけど;)「これ食べようね」というかんじで

整えてあげたほうがよい。(と私は思う)そんな風にして朝はおかゆだの

お味噌汁だの,お漬け物だの、青菜の茹でたのだの、と朝食に適している

ものを用意していたものだけど今となっては子供に委ねっぱなしの毎日だ。

「ねぇ今日は何食べるの?」なんてお伺いをたててみたり

「あなたは今日も御飯ですね。」とマンネリ化してしまうこともある。

もちろん「今日はこれですから」と私から決め込むときもある。

子供の頃は季節や子供の様子やお天気までみて献立を決めていたのに

この変わり様。なんだかちょっぴり寂しいのだけど

もう私の料理など期待されてないのではないか、と思うことも

多々ある。

けれど具合が悪そうな時なんかはやはり私の知っている限りの智慧をもって

して「これをお食べよ」と差し出すこともまだある。

あぁ私が作った物を素直に食べてくれていた頃がなつかしい。

「手作りでいいね」なんてよくいわれるのだけど実はその手作りを食べて

くれる子供たちがいたこともありがたいものだったと気がつく。

こうやって私も次第に子離れしていくのだろう。

けれどさて、それでもこれからの子育てに必要な料理というのは

どういうものなのだろうか。

ちょうどそんなことを思っていたときだった。

 

ある朝のこと、毎朝フルーツしか食べないことの多い双子くんたち。

どうせ果物しかたべないから、好きなフルーツを勝手に食べてもらおう

と思ってリンゴやオレンジの入ったかごをテーブルに置いておいた。

すると食いつきが悪い。何も食べないで出て行ってしまうときもあった。

さすがに心配になったのでとりあえず果物を切ってお皿に盛りつけて

置いてみた。するとひとつ、ふたつと手を伸ばしなにかしら

口にいれて出て行く。あるいは御飯はあまり食べたくない様だけど

御飯を小さな俵型のおむすびにしておいておくと、「御飯いらない」と

言っていたにも関わらずやっぱり一つ,二つと口に放り込んで

出て行くのだった。

これはいかに。

 

またあるときのこと。

朝いつもならしっかり朝食を食べるはずの長女が寝坊したのか

台所にやってこない。お茶碗に御飯をよそって箸を並べつつ

お弁当を包み朝ご飯にやってくるのを待っていた。遅刻ぎりぎりの

時間にやってきた長女に「ほら、急いでお食べ。御飯よそっといたよ」

と言うと「あ〜今日は梅干しのおむすびがいい。」と言った。

どうも宿題で夜遅くまでおきてた長女は随分つかれた様子だった。

ともかく何か食べさせてから学校に行かせないと,と思い

ささっと御飯をおむすびにする。

おむすびを結びながらなんとも言えない気持ちになった。

もしこれがパンだったらサンドイッチということになるのだろう。

だけどサンドイッチと決定的に違うのはおむすびには何か

特別な何か、をこめることが出来ることじゃないかと感じたのだった。

祈り、愛?言葉にするとなんて陳腐なのだろう。けれど。。

おむすびで有名な初女さんという方がいらしたけれど、その方も

たしかおむすびのことを言ってらした。何て言ってらしたのだろう?

今からでも本を買って読んでみようか。。ともあれ私はそれまで

おむすびのすごさを心の底から実感はしていなかったのだった。

でもその日、台所であわただしくおむすびを結んでいたときに

すとんと心の腑におちた。「おむすびってすごい」

もちろんサンドイッチでも心をこめることはできる、祈りを込める

ことはできるだろう。だからサンドイッチはすごくなくておむすびは

すごい、なんていう比較や勝ち負けをするつもりはない。

ただ単純にわたしが紡いできた毎日の中で初めて心の底から

おむすびを作ってあげられることが嬉しく、ありがたく、それを

食べてもらいたいと、大げさに言えばこれさえ食べていればこの子は

大丈夫だと思わしめるほどの実感を抱いたのだった。

そして、これこそがこれからの私に求められる料理なのだろうと思ったの

だった。いや、これからの私だけでなくても誰にでも出来る誰にも

必要な料理というのはこういうことではないのか?

煮物ができるとか、みそ汁が作れるとか、漬け物を漬けるとか

そういうことを越えておむすびなのだ。

いままでさんざんいろいろな料理をしてきて、色々な食事法を

取り入れてみて、その末にたどり着いているのは想いを込めた料理。

それがなければ料理というのはただの実験の結果のようなものだ。

料理を通して、食べ物を、食べるという行為を通してわたしたちは日々

何を受け取り、何を育てているのだろう。

料理と調理。

リンゴ一つ、切ってお皿に出してあげる。

おむすび一つ、手と手の間で結んで持たせる。

これも立派な料理で調理なんだ。

たったそれだけのことで、子供は食べる。子供たちは育つ。

たったそれだけのことがこれだけ大切だと感じたことはいままでなかった

ように思うのは、私と子供たちとの距離がかわり、私が子供たちに

してやれることがかわってきた今だからなのかもしれない。

 

そういえば辰巳芳子さんがおっしゃっていた言葉を思い起こす。

「食べつかせる」

ご病気でらしらお父様になんとか食べていただこうとして辰巳さんご自身が

想い、考え調理なさって作ったお料理の数々があったそうな。

私の場合はそんな大それたことではないけれど。

お年を召した方やご病気の方、幼子、という気をかけてあげなければ自分で

食べられない人に向けてだけでなく、いよいよ食べ盛り、いよいよ

自分勝手に生きたい大きな子供たちにこそのびのびと食べつかせたい。

肉だとか,野菜だとか、栄養だとか、何を食べるとかだけでなく

たった少しの手間をかける。

手を加えるという調理法をもってわたしはこれからも

手料理の道を進みたい。

 

春分

春分。

時間が入れ替わる時。

 

ドイツにやってきて5ヶ月。季節は秋から冬を乗り越えて春へ。

そして子供たちが全員ここに揃ってから3ヶ月。子供は5人から6人へ。

あっという間のこの時間に気がつけば沢山の変化が

日々少しずつ少しずつ訪れていたわけで。

「何もしてないのに…」と想いながら焦るような気持ちで過ぎてく日々でも

何もしてない訳でも、何も起こってない訳でもないという

当たり前のことを思いだすのにはやはり目に見えるなにかが欲しい訳で。

春分。

ベルリンの寒々とした景色にもふと視線を落とせばそこここにクロッカスが

黄色や紫の花を咲かせ、晴れた日曜日には日向に人々が集まり

まるで海辺の街の野良猫の如くは微笑ましくもあり。

Spring has come.

 

おそらく今回はうんと早いだろうと思われた双子の言語取得。

日本からブラジルのときは6ヶ月を過ぎた頃。

そう、丁度今のように3月だった。

双子の9歳の誕生日を境にめきめきポルトガル語を話す

ようになったのだった。そう、それはまるでいつしか

コップに水が満ち溢れ出てくるような具合だった。

そして今。既にドイツ語も彼らの中で満ちてきたようだ。

ついおとといのこと、双子は普段ポルトガル語で会話をしているのだが

「ねぇ,見て!」という意味で「Olha isso!」と言う所を

ぽろっと「Guckt mal!」とドイツ語で言っていた。

芽吹きの時。そう思った。

いよいよ芽吹いてきた新しい音。新しい世界。

春と訪れとともに、またこの3月に。

 

ブラジルとは違う日々がまたやってくる。

新しい時間が始まるのだ。

春がまたやってきた。出会いと始まりを連れてやってきた。

この気持ちが3月の気持ちなんだろう。

最後の出産

あっという間に6人目の赤ちゃんを産んでから一ヶ月が過ぎてしまった。

あの感動的な、あの神秘的な、あの懐かしいお産の余韻と

そこにたどり着くまでの数奇な道のりの記憶が

消えてしまうまえにここに何かを記しておきたくなり

かすかな残香を辿りながらあの日を思い出そうとおもう。

 

おそらくこれが人生最後の妊娠、出産になるだろう。

そういう予感と決意のなか6人目の赤ちゃんはドイツで誕生すること

になった。

長女の出産から実に12年ぶりの妊娠だった5人目の赤ちゃんを

おなかに抱え臨月でブラジルに引っ越しをした前回の出産。

それに引き続き今回は次女の出産からまた干支を一回りしての

妊娠だった。しかも出産予定日は長女のそれと同じという

なんとなく意味深で不思議なタイミングでの妊娠だった。

私はブラジルでの大自然のなか家族に囲まれての自宅出産の幸せが

忘れがたく今回も絶対自宅出産を、と思っていた。

そして今回は育児第二ラウンドまっただ中の疲れもあるし

高齢出産と世に呼ばれる年齢に達していたこともありドイツへの

引っ越しは以前よりうんと余裕をもって妊娠7ヶ月のころにした。

前から考えれば余裕のよっちゃんなタイミングだ。そのうえ

ドイツにいけば保険もある、病院もある、救急車もすぐ来る。

万全の体勢での出産。

きっとなにもかもさくさくと簡単に安全にすすむのだろう、

名付けてドイツでらくらく出産プラン。

しかしそう思って引っ越したのは甘かった。

ドイツは今難民問題を抱え役場はいつも大混雑、思った通りに

ことは運ばないし、病院も予約はとれない。

そうこうしているうちに時間はどんどん過ぎ、私はブラジルでたった

一回うけた妊婦検診以来赤ちゃんの様子を体感でしか知らないまま

季節は秋から冬へ。そして臨月に突入しようとしていた。

「そんなはずじゃなかったのに、ドイツランドよ何故に?」

こんな状況を誰が想像しただろう。これじゃまるでブラジルじゃ

ないか。

そんなわけで私のドイツでらくらく出産プランはかなり怪しい

雲行きに包まれていったのだった。

それだけではない、勝手にドイツはナチュラル志向の国だから

自宅出産も簡単に出来るんだろうと思っていたのだけど、おっとどっこい。

もちろん自宅出産は多々存在するのだけど、最近は助産婦さんが

訴訟を起こされることが多く多額の保険金をかけなければならないので

自宅出産をやってくれる助産婦さんがあまりいなくなってしまったと

わかった。その上ベルリンは今子供が増えて手が足りないらしい。

こんな風に夫の母国だからと安心してドイツにのこのこやってきた私は

臨月間近のおなかを抱えてクリスマスも差し迫った頃、妊婦検診も受け

られず助産婦も見つからないままここドイツで赤ちゃんが一体どんな風

にどこで産まれてくるのか想像もつかない状況に陥っていたのだった。

 

ブラジルでは「なるようになるさ」なんて思ってたのに、なぜかドイツは

そんなのんきな考えを抱かせてくれない雰囲気がある。いや、それとも単に

私の頭が固くなったからなのか、それともそれを人は賢さ、と呼ぶのか。

「どうするの?どうなるの?」そう思いながらひたすら産婦人科と助産婦を

探す。それでもチャンスは巡ってこない。そんな日々が続いた時ふと思った。

「これはもうなるように任せたら、なんとかなるんじゃないか。」

どうやらドイツの賢い雰囲気にわたしのケセラセラ精神が勝ってしまったらしい。

自宅出産と決め込んでいたけどどうやら無理そうだからそれならそれで

いいじゃないか。ともかくいつかは何処かで赤ちゃんも生まれてくるから

どこで、だれと、どんな風になんてのはやってくるまで待てばいいじゃないか。

と思うようになった。

やっぱり最後はなるようになるさ、なのだ。

そしてそんな風に夫に話をした次の日に私達は自宅出産をしてくれる助産婦

さんに出会うことになったのだった。

このときばかりはさすがに思った。「おぉ神よ。」

なるようになるのだ。ほんとうにそうなのだ。それでいいのだ。

この時私は出産は総合病院でもどこでも良いと本気で思っていた。もしか

したらこの赤ちゃんにはそれが必要なのかもしれないとも思っていた。

だからわたしの握りしめていた「絶対自宅出産」という願いをすっかり

手放してみたのだった。そうすると答えは向こうから勝手にやってきた。

今回に限らず経験上これはどうやら宇宙の法則らしい。

 

ともあれご縁あって自宅出産の暗雲は晴れ間を見せ始めた。

助産婦さんは私と同じ年の4人子供のいるおかあさんだった。しかも

誕生日は一日違い。これはきっと運命に違いない。

赤ちゃんはそんな素敵な出会いをまた運んできてくれたのだった。

 

年が開けいよいよ出産までのカウントダウンに入る。

外の気温はマイナス10°を下回る日もあった。

寒さで産んでしまいそうな日が続いたりもしたけどまだ産むわけには

いかなった。

なぜなら、我が家の浴室のタイルが工事中でバスタブが使えなかったのだ。

そう。わたしは自宅出産の雲行きが晴れたのをいいことに、欲張って

前からぼんやり願っていた水中出産の可能性についても期待を抱き

始めていたのだった。もちろん、水中出産は私だけの願いではなく今回の

出産に限ってなぜか赤ちゃんがそうしたがってる気がしていたからでも

あったのだけど、これで人生最後の出産と思うと是非試しておきたかった

というのも否めない。ともあれ浴室工事は亀の歩みで進み,いつ終わるのかの

めどが立ったのは予定日のほんの数日前だった。

けれど赤ちゃんというのは賢い。自分がいつどのように産まれようか

考えているんじゃないかと思えてならない。

ちょうど浴室工事が終わった次の日、ベルリンは雪景色だった。

もういつ生まれても良いさ、と思ったわたしは我が家の男の子3人をつれて

雪の公園に遊びに出かけた。そしてそれがわたしの妊婦時代の最後を飾る

一日となったのだった。

 

家に帰って夕飯の支度をしているとなにやらおなかの具合がおかしい。

「来たな。」と心はつぶやいた。

私の頭の中では風林火山の旗を翻し合戦の始まる光景が浮かんでいる。

ホラ貝の笛が鳴り響く。

出産の始まりは戦の始まりのような興奮と緊張に包まれているのだ。

それでもまだ半信半疑でしくしく痛むおなかを抱えながら

七面鳥と野菜のトルコ風トマト煮を作る。陣痛の痛みをベース音のように

低い部分で感じながら肉を切り、野菜を炒める。陣痛の最中に

トルコ料理は悪くない。なぜだかガッツが湧いて来る。できあがった

トマト煮にミントとパセリをたっぷりかけてと細長いぱらぱらした米と

一緒に食べる。腹が減っては戦は出来ぬという言葉を心に刻みながら

ただ黙々と食べる。そして片付ける。着実に近づいてくる何かを感じながら

台所は静けさを取り戻し、きちんと片付いていく。この対比がさらに

何かの始まりを予感させる。

それでもまだ痛みは強くない。夜は少しずつ更けていく。私は時計とにらめっこ

しながらいよいよ助産婦さんを呼ぶ決心をした。

 

そんな風に私は私の内側で合戦を始めようとしていたわけだけど、

子供たちはそんなのおかまいなしで週末の風景を繰り広げていた。

前回ブラジルで出産したときは初めての海外で、新しい家族での

最初の共同作業とも言うべき出産に、どこか皆が一致団結した雰囲気が

あったように思う。

穴があくほどベッドを見つめ手に汗にぎる出産の一幕を固唾を飲んで

見守ってくれた。産まれた時にはみんなが側にいて、みんなで感動を

分かち合った。あぁあの感動よ再び…

そんな淡い期待はあっというまに消え去ることになる。

 

刻々と陣痛は強くなり私の半信半疑も疑いようのない出産の兆しに

ふんどしのひもを締め直すような気持ちになっているのをよそに

子供たちは「あ、赤ちゃん産まれるの?」とまるで「明日は晴れるの?」

的な気分で問いかける。「あ、そういえばまだおなか空いてる〜」とか

夕飯のあとにお食後を催促される。「あの〜ママ赤ちゃん産まれるかもで、

おなか痛いんだけど?」と言ったって「でも痛くなきゃ産まれないんでしょ?」と

助産婦さん並の返答。ええ、確かにそうですけど。

あげくの果てにはかなりいい感じの陣痛の波が来始めている中、

「独眼竜正宗のyou tube見る約束したじゃん〜」といわれ、寝室でわたしの

パソコンに群がる子供たちを横目に私は陣痛の波をやり過ごしていたのだった。

これが子だくさんの現実ってもんだ。

なにが楽しくて陣痛のさなかに自分が子供の頃見てた伊達政宗の時代劇を

見なくてはならないのか。あのブラジル出産の感動を遠い目で懐かしみつつ

パソコンか聞こえて来る時代劇の侍達の声をききながら、あぁ諸行無常。

私の中で起こっていた風林火山の合戦は次第にリアル感を帯び始めて

いったのだった。

 

陣痛のさなか、私をよぶのはyou tubeを見たい子供だけではない。

出産の意味すら知らないブラジルで生まれた一番下のおちびくんはお眠むの

時間になっていて絵本を読んでとせがんでくるし、眠れのうたもうたって

あげた。陣痛の合間に歌う子守唄というのは6人目にして初めてだ。

かなり聞き苦しかったに違いない。私は途中でギブアップし、長女に

寝かしつけをバトンタッチした。

こんな風にブラジル時代とは打って変わって私のことなんぞおかまいなしの

子供たち。自宅出産を経験してたくましくなったのは私だけではなかった様だ。

ともあれ出産が特別なことではないと受け止めるのはそれはそれでいいかと思い

私は私で合戦に取り組んでいくことにした。

 

いや、ここでも一人だけ戦に参加してくれた人がいた。夫だ。

「いよいよか!」と今回も嬉しそうに緊張感を分かち合ってくれるのは

彼だけだった。いそいそと助産婦さんを出迎え、赤ちゃんを迎える支度を

始める手つきも手慣れたもんだった。そして「今日のメニューはどういたしますか?」

的に「今回も胎盤たべるよね?しょうが醤油にする?」なんて気の早い

質問までしてくれたのだった。

 

出産は粛々と進んでいった。陣痛は刻一刻と強く効果的にリズムを刻んで

いった。その度に波を乗り越していく。

呼吸にフォーカスしようと思っても痛くて忘れてしまう。

夫と二人で向かい合って陣痛を乗り越えていく様子を助産婦の

ヤスミンはただじっと側で見守ってくれていた。

何をするでもない、ただ一緒に呼吸をしてくれていた。

音のある深く強い呼吸。

痛みで呼吸を忘れそうになるときに聞こえて来る彼女の呼吸の音。

まるでガネーシャのようにどっしりと落ち着き払った彼女の存在と

呼吸の響きが私を現実に引き戻してくれる。

 

出産への道のりではいつもこの現実と彼方を行き来しているように思う。

激しい痛みの中で、その現実の中で、意識が遠のいていくような中で

意識は私の中心へと深く強く向かっていく。

あるいは、何かを手放すように私の中の一部が痛みによって引き裂かれ

遠のいていくかわりに、私の奥底に眠る何かが目を醒すと言う方が

正しいかもしれない。

痛みの中心へ向かって意識が遠のいていきながら、痛みの中心へ意識を

集中させていく。そこにあるのは確かな命だ。

もう既にその中心にある命をこの世界に連れて来るために、わたしは

痛みの中で呼吸を繰り返す。痛みの中で目をしっかり開いて見つめる

先にヤスミンがいて、夫がいる。けれど焦点があってるのはそこなのに

見つめているのはそこではない。わたしは私の中で産まれようとしている

もうひとつの命を見つめているのだ。

そんなことを6人目にして初めて痛みの中で感じていた。

 

呼吸と音と痛みの波と命を見つめるこのときこそが出産というものなのだ。

わたしはこの痛みと、この瞬間をなんども経験させてもらったのだ。

6人目、これがきっと人生で最後の出産になるだろう。これで私の命が

あるうちに命を産み落とすことはないのだろう。そういう想いがこのように

初めて出産を俯瞰させてくれた。

自分の命の限界を感じながら新しい命を迎えるからだろうか、今回初めて

出産という、命が産まれる場にありながら私は死をも感じている

ことに気がついた。

出産という真剣な命の現場ではひたすら呼吸と鼓動の

もとに生と死とが在る。それも吐息が聞こえそうなほど近くに在る。

そのとき天と地ほどの違いがあるように思われる生と死は

ただそこに並んで、ただ在る。圧倒的な存在感で、かつひそやかに

そこに在る。

それがあの真剣さを生み出すのだろう。

打算も計画もごまかしも効かない大きな自然の働きに飲み込まれて、

生と死の狭間で、現実と彼方を行き来する。

そしてある時一度にこちらがわに戻って来る。産声とともに。

 

わたしは初めて痛みにめげそうになる中でもこのときが

愛おしいと感じた。実際あまりにも痛いので「こんなことどうして

6人分もやろうとおもったんだろ?」と疑問に思うこともあったし、

「もうやめたい!」と思うことも何度もあった。

けれど今回それ以上にわたしは出産という場を愛しく感じた。出産を

してきた自分を愛しく感じた。そしてこうして脈々と命をつないで

きた沢山の出産の場を命のつながりを、こちら側とあちら側との

つながりを改めて希有なものと感じた。

 

そんな風にして痛みのクライマックスを迎えたわたしはとうとう

あの改装したての浴室でバスタブに浸かり初めて赤ちゃんを

水中で産んだ。それは想像を超えて心地よくスムーズだった。

赤ちゃんはやっぱりこれを知っていたんだ、とわたしは思った。

だから浴室工事が終わるまでちゃんと待ってたんだな。と。

 

思いがけず出産は静かに親密な雰囲気の中で終わった。

わたしは生まれたての赤ちゃんを胸に抱きバスタブのまだぬるい

お湯につかったままで安堵の気持ちとともに今までのお産の全てが

走馬灯のようによみがえっていた。

私にとってこれが最後の出産になるんだろう。「お疲れさま自分」

満身創痍にも関わらず満ち足りたこの時間を噛み締めながら

そう心の中でつぶやいた。

まだ若くて何もわからなかった初産のころから今まで6人。

どれもちがったけれど、どんなときも同じ痛みのなかで同じ想いで

皆を産み落としてきたんだ。

命とはなんと尊いものか。なんと美しいものか。

 

赤ちゃんが生まれた時子供たちはもうすっかり眠りについていた。

もし産まれたら起こしてね、と言っていたから産まれてすぐに

夫がみんなを起こしに言ったけど二回起こしても誰も起きてこなかった

ので赤ちゃんは翌朝のサプライズということになった。

次の朝に寝室を訪れた子供は「産まれたの?」と「うん、産まれたよ」そう言うと

「女の子だった?」「女の子だよ。」と私。

「きゃっ!」と喜んで手を合わせて喜んで兄弟に知らせにいったのが

可愛いくて私まで嬉しくなった。

子供たちの一人一人が驚きと喜びではしゃぐ姿はブラジル時代と同じだった。

 

こうしてまた新しい命の物語が始まっている。

毎日はあっという間に過ぎていく。

忘れたくない日々を忘れながら紡いでいる。

けれどきっとこぼれ落ちてしまった毎日は子供たちが拾い上げて

くれているのだろう。そしていつかそれを子供たちが自分の手で

再び紡ぐときが来るのだろう。

ご無沙汰してました。ブラジル〜ドイツへ引っ越しました。

あけましておめでとうございます。。。っていう時期でもないのですが

随分ブログおやすみしておりました。

皆さんどんな新年をお迎えになったでしょうか?

ご存知の方も多いかとおもいますが、我が家は昨年秋に二年半過ごした

ブラジルを後にし新天地ドイツへ引っ越しをしました。

といっても私と主人、末っ子と長女だけまず引っ越しまして

下の双子と次女は12月までブラジルの友達の家で学年末まで

過ごしていたので最近ようやく家族が揃っての新たな暮らしが始まった

ところです。

新しい場所での暮らしはいつもいつも役場の手続きやら

なんやらでめちゃくちゃに忙しくなります。

それはブラジルもドイツも一緒。特に我が家はへんちくりんな

国籍ミックスファミリーなもので、皆眉をひそめながら

書類を食い入るように見つめながら時に苦笑い、時に嫌みを

言われながらの登録、登録の日々=)もうさすがに慣れましたけど。

子供も沢山いるから書類を書くのも一苦労。ははは。

そんな風にしてあっというまに今日に至っております。はい。

 

ともあれ南半球、真夏のブラジルから北半球真冬のドイツへ。

これまた大きな変化を家族で乗り越えていこうと思います。

空気が違う、水が違う、文化が違う、人が違う、考え方が違う

雰囲気が違う、食べ物も違う,色々違うのです。

でもそんな違いの中でまた、その違いを楽しみ、同じものを

見つけ、外の世界を体験しながら再び新たな自分を発見していくのだと

思います。

 

それにしてもドイツはオーガニックが簡単に手に入るので

すごいですね。

何もかもオーガニックですよ。それも結構安いです。

それに外食も安くてボリューム満点、ベジタリアン料理の

オプションも簡単に見つけられます。

そういう点ではとても楽だなぁと思っていたのですが、

やっぱり日本人。毎日重たいものは食べれないし、

結局御飯とみそ汁が恋しくなっちゃうのね。

もちろん日本食も外で食べられるのですが、自分の味に

こだわりがあるもので;)

やっぱり自分で作るしか無いなぁということに。

そんなわけで引っ越し早々年末年始、味噌つくりやら調味料作りから

新しい暮らしが始まっています。

どこにいても私にとっては台所から自分の暮らしを紡ぐのが

一番心地よいようです。

そんな訳でブラジル在住中にで培った調味料のレシピをフル活用し

ドイツでの暮らしを初めています。

その上,もうすぐ6人目の赤ちゃんも生まれてくるので当面の食事を

簡単に出来るよう冷凍庫のストックおかず作りに励む日々。

またここドイツから我が家の食卓の様子や暮らしの様子など皆さんに

シェア出来たらと思います。よろしくおねがいいたします。

 

そんなドイツから初めてのブログ。今回はドイツで見つけた

ごぼうもどきをお見せしましょう。

ドイツって結構野菜が少ないんですよね、オーガニックスーパーだと

ビーツとかセロリの根っことか?見た目的にはハリーポッターにでてくる

魔法生物学のへんちくりんなお化け植物みたいな結構ごつい根菜が

主流です。日本人にとってこの寒さの中でやっぱり恋しいのはごぼうや

人参、甘い大根、れんこん、さといも、などなど。とくにやっぱりときどき

食べたいきんぴらごぼう。どうしようか?と思ってたら見つけました

ごぼうもどき。その名も「Schwarzwurzel(シュバルツヴルツェル)」です。

ほら、ごぼうそっくりでしょ!これは農家の白アスパラと言われている

らしくて、茹でると春先にドイツでよく食べられる白アスパラガスに

味がにてるそうで白アスパラが高くて食べれない農家の人が

かわりにこれを食べるんですって。

まぁそうとは知らずに見かけで購入。

切ってみると真っ白な乳液のようなアクがでてきましたよ!

取りあえず皮を剥いてみると随分アクがでてきます。

本当はきんぴらにしようと思ったけど、アスパラの話を聞いてしまい

急遽私も茹でて豆乳クリムソースで食べてみることに。

加熱するとごぼうのような強い食感はなく、確かにアスパラ的な

やや歯ごたえはあるけど柔らかい肉質に。

これには確かにクリームソース合いますね。パセリとこしょうをたっぷり

効かせてなかなかおいしく頂きました。

不思議なのですがやはり土地に会った調理法や料理ってあるんですよね。

きんぴらが食べたいと思っていたはずが、こんな洋風ごぼうもどきが

なんかとてもおいしくて。もちろんばりばりの日本食も時々体が

欲しがるのですけど、ドイツではこってりとどっしりとしたクリーミーな

お食事も体が必要としているようです。

郷にいっては郷に従え、というのはほんとうですね。

また、ドイツでは朝ご飯はパンかミューズリー、昼は暖かいスープや

こってりどっしりしたランチをたっぷりと。夜は残り物かパンにサラミ

やチーズですませるということが多いそうです。

日本人って三食しっかりご飯を炊いておかずも作ってって

マメじゃないですか、でもねドイツの台所は合理性重視のようです。

みんなあんまり料理をしない。

でもある意味で理にかなってるというか。不合理すぎる日本の台所事情。

確かに私も台所で時間を費やすことが多く、それは私の楽しみでもあるの

ですが。人によっては大変だと思うこともあるのかなぁって、初めて

そういう視点で台所を眺めることができました。

とはいえ、やはり手作り、伝統食を大事にしながらうまく合理性をとりいれた

食卓をドイツで開拓出来たらいいなと思っております。

これからますますチャレンジの日々です。

 

一日

お元気でしょうか?みなさんそれぞれの場所で

どんな秋の始まりをお過ごしでしょう。

ドイツ引っ越しへのコメント、ありがたく拝見させていただいて

おります。そしてブログへのコメントもそれぞれの方にお返事したいので

ありますが追いつかず;)こちらでお礼とさせてください。ありがとう!!

 

ブラジルは初夏の装いのなか、いよいよ引っ越しが近づいて参りました。

連日40°近くなる猛暑の中、引っ越し作業にあけくれておりましたが

昨日から急に涼しくなってあわてて上着を羽織っております。

気まぐれですね,お天気って=)

引っ越しで断捨離も再び。いらないものリサイクル出来るもの,次の方に

渡せるものを仕分けして。大掃除もお決まりですね。

毎日ちょっとずつお世話になったお部屋達をきれいにしていきます。

気持ちがいいものですね。なんか体も心もすっきるするような。

年末の大掃除のような心持ちです。

そしてこちらで出会ったお友達にも最後の別れを合間合間に。

色々大変なこともあったブラジルでの二年ちょっとでしたが、こうして

お掃除して物や場所にお別れの挨拶をして、お友達と絆を深めて

しばしの別れをしてみるとやはり名残惜しく、ありがたく。

ここに来たばかりの頃の自分心境を思い返したり、ここで産まれた

新しい命を振り返ったり。子供の成長に思いを馳せたり。

いろ〜んなことを振り返りながらも新しいスタートに向けて歩いている日々です。

そんなブラジル最後の瞬間に思いを寄せて。詩のシェア。

ブラジルに住み始めた時に書いたものです。なんだか懐かしくて=)

 

では。次回はいよいよ新天地ベルリンからブログを更新しようと思います。

行ってきます!お楽しみに!=)

 

一日

 

しんと冷たい朝の風

澄み切った一日の始まりの空気

まだ星の残る藍色の空が赤く色を変え始める朝焼けの萌え

赤、紫、橙、ピンク、青紫、赤紫

空は一度も止まらずに色を刻々と変化させながら今日という

一日の幕をあける

遠くで犬が吠えている。鳥が空でさわいでる。

遠くに車の走る音が聞こえてる。

なんてすばらしい朝。

 

空に浮かぶ雲を見つめる。

今日の雲はどんなかな。

羊のような雲の大群、既に入道雲もあがってる

筋のような薄い雲、雲一つない果てしない青空。

空は高く,広くどこまでも

浮かぶ雲は一日を新しく思い描かせてくれる。

子供たちは雲の中に何かを見つける。

これは動物、あれは飛行機、

ただぼんやりと目に入るものを見ているだけでも

世界は私たちの想像の国を膨らましてくれる。

 

珍しい鳥を見つける。

色鮮やかな緑に黄色。

可愛い虫をみつける。

今朝咲いた花を見つける。

昨日より大きくなってる果物を観察する。

牛の大群に出会う、番犬と追いかけっこをしながら車を走らせる

毎日のなかに描かれる世界の美しさ。

 

じりじりと焦げ付くお日様の強さ

水の中の冷たさ

裸足で草の上を歩く

裸足で砂利道を帰ってくる

湿った空気を感じる、雨雲の遠く押し寄せるのを見守る

風が強く吹く

雷が近づいてくる

びりびりと全身で感じる地球の力

 

暖かな土の匂い

やわらかな雨の匂い

優しく強く現れるお日様の光

くすぐったい虫の動き

体にしみ込むような地球のあたたかさ

 

空の果てを越えていく鳥達の群れ

空に翻る鳥達といっしょに感じる瞬い夕方の風

なびく木々と奏でるざわめきの音

右から左へ、前から後ろへ

乾いた強い風がひんやりと夜を連れて来る

子供たちが坂道を駆け下りてくる

なんて素敵な夕暮れだろう

 

オレンジの光の中で

玄関にうずくまる犬達

生温い家の中と,整然とし始める外の空気とが

交差する空間

心地よい疲れと空腹をなでるような

匂いのする我が家

 

動から静へと移り行く時間

しんと静まり返ったリビング

一日の疲れを物語るテーブルの上

くたびれた洋服、立てかけられた鞄のしなる様

こびりついた御飯粒

おつかれさま今日も一日

 

夜中に降り始める雨の音

大地も今日の疲れを癒す

しとしととやさしく地面をたたく

落ち着いた夜空の匂いがやってくる

あぁなんて素敵な夜だろう

 

心配することはなにもない

ぐっすり眠ろう朝になるまで