台所から紡ぐもの

実はずっと悩んできた。

子供たちに何を作って食べさせたらいいのか。

色々な経緯があってベジタリアンになりマクロビオティックに出会い、

ヴィーガンを試し、様々なときを経て私はマクロビオティック

インストラクターになっていた。

どんなときもまずは自分で試してみてから「これは!」と思う物を

取り入れてきた。私の中でこれが最善と思う事を尽くして

やってきたつもりだ。けれど一般的なやり方と違う食事の

スタイルを維持するのは難しかったし、自分でも経験した事の

ないことだったから(私はごく普通に食べて育ったから)それを

本当には子供がどう感じるのか、そしてそれが正しいのかというのは

理論とは別にしていつも私には本当にはわからない事だったし、

時に何も考えず皆と同じように食べたり暮らしたりしてる人たち

の方がうんと幸せそうに見えたものだった。

だけど私はどうしてもそれができなかった。真面目だったのか、

それともただのエゴだったのか。ただ真実と思える事をやりたかった。

子供にも,自分にも。

 

四人の子供たちはそれぞれ7歳まで殆どベジタリアンで育てた。

厳格なやり方ではなかったがマクロビオティックをベースに

穀物と野菜を使ってお弁当を作りおやつを作り御飯を作ってきた。

今考えるといろいろと反省点もある、もっとこんな風に料理すれば

よかったとか,食材や調理器具の選び方をもっと繊細にできれば

よかったとか。けれどとにかく少なくとも体を育てる上では

それはよかった。そして確かに我が子達は丈夫な体を持ち

無駄に風邪もひかない人たちに育っている。

だけどいつも心の中ではこれでいいのか、これでいいのか、

と思い続けて育てていた。もっと自由にしてやりたい、という

気持ちと守ってやりたいという気持ちが私の中で葛藤していたのだ。

子供たちも大きくなるに連れて食事だけでなく思うようには

いかなくなってきた。当然子供を思うようにしようなんて

はじめから思っていないけど、一体私は何をしてやりたいのか?

子供たちを元気に育てたいという事は一体どういう事なのか?

自由とは何か?色々な事がいつも心の中にあった。

食事を通してずっとそのことを考えていた。

 

マクロビオティックや穀物菜食のよさは理論でも自分の実感と

しても子供たちを見てもいいものだとよくわかっている。

だけど子供たちはそれだけでは育たない。沢山の人に囲まれ

それぞれの社会がある。4人の子供たちはそれぞれの個性を持ち、

それぞれのカルマを持ち生きている。体だけでなく人は心と魂も

育てていかねばならない。三位一体で人生を送っていく。

そして特に心と魂については最後は自分で育て上げねばならない、

自分の人生を生きる為に。そこは親の出来る事は本当には少ないと

私は思っている。

 

シッダールタというヘルマンヘッセの本を読んだ時に書いてあった

文章を思い出す。たしかこんな内容だったと思う。

『シッダールタには一人子供がいて大人になってから出会う、子供に

出来るだけよい事をしてやろうとするのだけど子供はとんでもない

風来坊で親の言う事を聞かず思いやりもなく、いつまでたっても

二人の心は通じ合わない。親であるシッダールタは子供を愛している

ので誠心誠意尽くして愛を注ぐも子供は受け入れない。

子供の未来を守ってやりたい、この子はこのままではいけない、そう思い

血のにじむ努力を続けるシッダールタに一人の老人が言う。

「彼が生きたいように生きさせる事を親だからといって奪えない。

それがたとえ彼の身を滅ぼすことだとわかっていても。」』

子供たちがどういう風に生きたいのか、彼らの未来にはどんな失敗と

成功が隠されているのか。親である私はどうしても失敗を避けさせたく、

よい方へ導きたい、しかしもしもその失敗さえも子供の魂が望んでいた

としたら?

たかが食事、されど食事。

子供が食べたがるもの、どうして?と思うものに潜むもの。

それが興味からなのか、体の必要からなのか、それとも彼らの魂からなのか。

親としてどこまでしてやれるのか。

愛とは一体どういうことか。

 

田舎から東京に来て公立の学校に通うようになってベジタリアンから

普通食を食べるようになった子供たちをみて複雑な気分だった。

そしてあれだけ一生懸命作ってきたのに結局おばあちゃんの作る

普通の御飯が食べたいと子供たちは言い出した。

私は子供たちが美味しく楽しく健康的に食べられるようにと思って

頑張ってきたはずだった。だけど気がつけば子供たちはもう

それを欲してなかった。いつの間にか季節は変わっていた。

もちろん子供たちは昔から食べている私の作ったおかずや

おやつが今でも好きだ。だけどもうその時期は通り過ぎていた

ようだった。子供たちは私より先に大きくなり成長し変化していた。

私だけが取り残されていたのかもしれない。もしくは私だけが

「そのはず」という思い出と理論にしがみつきたかったのかもしれない。

私はもう一度自分の心に尋ねていた。一体子供たちにどうなってほしいのか。

何の為に私は御飯を作り続けてきたのか。何を見て作っていたのか。

私の目指す暖かい御飯は一体どこにあるのか。

子供の欲しい暖かい御飯はどこにあるのか。

 

そう思いながらブラジルにやってきた。その前から料理は少しずつ

菜食だけでなく肉や魚も取り入れるようになっていた。

それでもなんでもありというわけにはいかなかったけど

出来るだけ子供が食べたい、おいしいと思う物をつくるようにして

いたしマクロビオティックも続けていた。毎日試行錯誤の日々が続いていた。

そう。マクロビオティックという言葉にとらわれずに、

これがいいに決まっているという理論に捕まらないようにしながら

心の声体の声をきいて土地の物を頂く。我が家だけのベストバランスを

探す日々。菜食と肉食をするという事の狭間で。日常と非日常の狭間で。

それでもトンネルは抜けない。

日本ではマクロビオティックを教えていたし、日本を発つ前に

菜食のレシピ本も出した。子供を菜食で育てていた、だけど今は

すっかり菜食だけの料理では無くなっている我が家をみて、

自分をみて一体どんな料理をしたいのかとわからなくなっていた。

ずっと自分に問いかける。「私の目指す料理はなんだ?」

だけど毎日はやってきて、朝昼晩とおやつと料理をする、御飯を作る。

いつしかベジタリアン専用のフライパンだった私のフライパンで

肉を焼くのようになっていた。

長女は時々私のよく作った野菜料理をつくるようになっていた。

 

そしてある時に私の心にはっと光が射した。

私は家族の為に料理をしたいんだとはっきりわかった。

私が目指すのは「お母さんの味なんだ」

菜食でも良い、肉食でもいい、日本食でも外国料理でも

私は母が私に作ってくれていたように

ただ御飯を作りたくて料理をしているんだ。

誰かの為に、料理をしたい。

あなたの為にあの子の為に。

 

自然な食事、繊細な調理法、オーガニック食材、菜食とか肉食とか

もちろん大事な事。きっとこれからも探し続ける。

子供の必要とか,変化とか色々寄り添っていきたい。

でもそれの元にあるものは。

私が確かに母から受け継いだもの。

包丁もろくに研がなかったし、野菜の切り方だって別にうまくはない。

だけど、それでも思い出すのは母の味。

「たんとおあがり」と言ってくれる、あのお母さんの懐。

 

母から娘へ受け継がれるものはワザだけではない。

智慧だけでもない。

それよりももっと大きなもの。

そういうものに包まれて今私も私の道を行く。

私なりのお母さんの道をこれからも台所から紡いでいきたい。

 

6人目!

長い間ブログをお休みしてすみませんでした。

皆さんお元気でしょうか?

実はわたくし、6人目の赤ちゃんを授かりましてここ数ヶ月

過去最悪のひど〜いつわりと格闘しておりました。

ようやく安定期にはいりもう終わることが無いかと思われるほど

酷かったつわりがけろっとなおって(人間の体って不思議ですね!)

晴れて皆様にご報告です。

 

まさか自分がこんな子だくさんのお母ちゃんになるなんて夢にも

思いませんでしたが=)これで人生最後と思って?!

妊婦ライフ楽しもうと思います!ブログのほうも更新は遅くなるかも、

ですが復活しますのでよろしくおねがいしますね。

 

それにしたって、異国でのつわりってきついですね〜

今回は死ぬかと思いましたよ。ほんと。こんな酷い思いをしたのは初めて。

しかも今そばが食べたい!絶対ゆでとうもろこしが食べたい!なんて思ったって

売ってないんだもの〜車で何時間も走れば一応ありそうですけどね、

我が家からは遠くて。かといって日本にさくっと里帰りできる距離でもなく。。

とほほ。

でもね、今回のようなピンチのときこそ家族の力がぎゅっと集まって

ありがたい事に主人にこどもたちに、うんと助けてもらいました。

これを機会に今のところ末っ子のちび君は卒乳。そして一緒に添い寝してたのも

お姉ちゃんの部屋で寝るようになり、自立への道を歩き始め。

いろんなダイナミックが動き始めた我が家。

やはりピンチはチャンス。難ありすなわち有り難し。ですね。

マクロビオティック万歳!なんちゃって。

 

ともあれ、無事に5ヶ月が過ぎて安定期になりここ数ヶ月

大変な時期をがんばってきた家族と自分へのご褒美もかねて

ブラジルのビーチに遊びにいってリフレッシュ。

海ってすごいよね。ヒーリングですよ。これは。

海に浸かってるだけで、波を感じるだけで,潮風にあたるだけで

何もかもが浄化され。あれ放題だったお肌はしっとりぴかぴかに。

ちょいと日焼けをしすぎた感はありますがとってもチャージされました。

自然ってこうやっていつでも絶え間なく私達に与え、けれど時に無情にも

全てを奪い、ただそこに在るのだなぁと。

でもそれがとてもありがたいなぁ、命なんだなぁと思っていました。

ブラジルでの大自然の暮らしのなかでさえ、日々のルーティーンの中で

ついつい感じることより暮らしをこなすことにフォーカスしてしまいがちな

のですが、時にはやっぱりこうやってただ自然の側で、海や土や

お日様や火を感じる瞬間はとても大事だなあとも思った久しぶりの家族旅行

でありましたとさ。

 

お白湯

最近お白湯を飲むのがマイブームになっています。

いよいよ寒くなってきた冬のブラジル、お番茶がおいしい

季節なのですが何故かふと「白湯」飲んでみようかなと思いついて

飲み始めるこれがまたおいしい!

確かアーユルヴェーダやる人はお白湯を飲んでるっていってたなと

調べてみると確かにお白湯はアーユルヴェーダでは万能薬として

飲まれているようで。マクロでいうお番茶的な存在ですね。

アーユルヴェーダではヴァータ、ピッタ、カパという三つのドーシャ

というのがあって、ヴァータは風(空)、ピッタは火、カパは水の

エネルギーを持っていると言われています。

アーユルヴェーダで飲むとよいとされているお白湯はこの三つのバランスが

とれた状態のお白湯をのむそうで、沸騰してから10〜15分気泡を出しながら

煮詰めたものを飲むそうです。水(カパ)を火(ピッタ)にかけて

沸騰させ気泡を出す(空)ことによって三つのドーシャをもつバランス飲料に

なるという優れもの。

またお白湯は毒素排出の力もあるそうでこのようにして湧かした白湯をポットに

いれて一日ちびちび飲むと言いそう。食前にもちょっと、食事中にも

冷たい飲み物は飲まないで暖かい白湯か常温の水がいいのですって。

こうすることで内臓があたたまり、消化吸収力もあがり、免疫がアップするので

健康によいとされているようです。

でも先ほど言ったように白湯はデトックス効果も強いので一日に800ccほどに

しておいたほうがいいとか。そうしないとかえって胃の消化液が薄まり弱くなったり

必要な養分も排出してしまうそうで。何事も適度に,体の声をききながら、ですね。

ともあれ、そういえば日本でもお白湯って昔は小さな子供の飲みものの

代表的なものだったですよね。わたしも子供の頃よく母が湯冷ましをつくって

くれて飲んでいました。また病人にもお白湯とかいいますよね。

煮沸した水が安全だという時代背景もあったかもしれませんがこうして

アーユルヴェーダの考えを聞いてみると、目に見えない部分でも

昔の人はお白湯がいいってなんとなく感じていたのかもしれませんね。

たしかに、番茶やハーブティーであってもお水のなかに何かしら

成分が含まれる訳で、そうなるといくらかでも飲めば陰性か陽性かの

影響を体に取り込むことになりますよね。でも白湯は水そのものに

熱を加えた物ですから、陰も陽も含まない。水自体は陰性の性質では

ありますがそれ以上には影響しない。という点で体が弱っている時や

敏感になっている時には優しく感じられるかもしれません。

そんなうんちくは置いといても、偶然飲み始めたお白湯。

最近は毎朝お湯を沸騰させるのが日課。そのお陰か寝起きもいいし

とても調子がいいです。

お湯が甘く感じる時はデトックスが進んでいる状態で、お湯が苦く

感じる時は体に毒素がたまってる状態だとかいいますが、幸い

毎日甘く暖かなお白湯を楽しんでいます。

蒸し暑い梅雨の日本ではありますが、この湿気でうちから冷える方も多いのでは?

と思います。そんな時にお白湯、けっこういいかもしれません=)

 

おいしい、について。

今我が家にはブラジル人のゲストがステイ中で

一緒に時間を過ごしているといろいろと面白い発見がある。

 

今朝一番下の子供にコーンフレークをスナックてあげていた。

この国では小さい子供にあげられるようなスナックが

ほとんど買えない。(日本のマクロビオティックを

基準にするのは到底無理なんだけど、一般的な日本人としても)

そんな中でもこのオーガニックコーンフレークは一応お砂糖も少し

使っているようだけど甘みはほとんどなく、フレークはしっかりと

かみごたえもあり、何よりこの国で一番難しいと思われる

穀物を食べているという感じがして私は気に入っている。

(というのも、ブラジル人はほとんど肉と野菜、クリームや乳製品で

満腹にするような食事が基本なので穀物を主食としていない。

確かに険しい熱帯ジャングルの環境で伝統的にも米や麦や雑穀が育つわけも

なくそれはそれでいいと思うのだけど)

ともあれ、うちのちびがそれを食べているとこのゲストの女性に

コーンフレークを差し出して「どうぞ」とあげた。

彼女は「Obrigada」といって食べるや否や、

「何これ?酷い味じゃん。どうしてこんなもの子供に食べさせてるの?」

と言った。

彼女の事を良く知る私達夫婦からするとなかなか面白い意見だった。

「だって、ケロッグとかもっとおいしい味するの一杯あるじゃない。

だいたいこんな酷いあじのコーンフレークなんて食べたこと無いし

どうして食べるのかわからないわ。確かに、ケロッグとかには変な人工甘味料も

使われてるけどでもうんとおいしいからね。」と続けたのだった。

 

「う〜ん。なるほど。」

私は彼女の意見が面白くて大笑いしてしまったけど彼女は大マジだった。

で、別にお互いに気分を害したりもしなかったのは、意見の違う人がいる

ことが当たり前のこの国の良さかもしれない。

 

ともあれ、私がそこで思ってたのは「おいしい」とは何か?ということ。

彼女はこんな甘くもないフレーク,馬の餌みたいなフレーク。とズバリ

言いのけた。

確かにちまたでヘルシーと言われている食べ物は時々本当に

酷い物があるかもしれない。けれどどこかで「これは体にいいもの。これは

オーガニックだから、これは高かったから美味しいに違いない。」という

マインドや思考で物を食べてしまうことが特に健康に気を使う人、ヘルシー

コンシャスの人には多いように思うし、もしかすると端からみれば

私もそのうちの一人なのかもしれない。そんな中で食に関してなんのこだわりも

持たない彼女のストレートな意見はなかなかおもしろい物だったのだ。

そう。こだわりを持たないということ。それが彼女の意見のなかで

もっとも信頼出来る部分だったのかもしれない。

そして、良い,悪い、のジャッジを無視して自分の好きな事を好きと言える

おおらかさも。

健康や良いことを、と思うほどに自分の素直な感覚から遠ざかっていることが

ないだろうか。

こだわりを持つことは美徳とされる部分も十分承知しているけれど

長所は常に転じて短所になるように、このこだわりもよく気をつけていないと

あっという間に自分の手綱をはなれて一人歩きしてしまうくせ者だと

私は思っている。

そういう意味で、このコーンフレークは美味しくないのかもしれない。

 

でも私はこのコーンフレークの自然な美味しさがとても好きだ。

健康かどうかをなくしても、オーガニックでなくても美味しいと思って

食べていた。だから私のおいしいと彼女の美味しいは多分ちがうところに

あるのだと思う。

 

また往々にして、ブラジル人のおいしいの感覚はマクロビオティックが中心の

味覚とはかけ離れているし、それを理解してくれる人は少ない。

彼女のように甘いなら甘い、肉なら肉。とはっきりとしてたっぷりと重みが

あって味がしっかりとしているものを美味しいと感じるようだ。

そんな時日本人の私にはうまみ,という物の感覚が日本人のおなかを満たす上で

とても重要なんだって気がついた。ブラジル人はタンパク質が十分な食事で

おなかも心も満たされる。日本人は出しやうまみの効いた味がないと

満足出来ないように思う。だから日本にはあんなに繊細に美味しい伝統の塩や

味噌や醤油があり、それがあれば食事のことが足りてしまうほどの満足感が

得られる。ブラジルではそういう美味しいじっくりと発酵させたり、

手間をかけた塩や調味料が存在しない。塩も醤油もただしょっぱい。

これは熱帯と温帯のお国柄の違いだろう。

そして日本人のわたしは穀物を噛み締めてうまみを,栄養を吸収して育って

きた。けれどブラジル人はそうではない。当然おいしいの基準が違ってくる。

 

我が家の子供たちはこのコーンフレークを食べたとき同じく

まずいといった。

オーガニックでももっと砂糖がたっぷりしているものがあるので

(いや、うちの子はケロッグでもうまいと言って食べるだろう。。

そこがまたおいしい。の秘密である。この美味しいの秘密を

食品会社はしっかりと捕らえているんだからすごい。)

そのほうが美味しいと思ったみたいだ。これは素直な意見だと

言えるだろう。この万人を一瞬にして「うまい」と思わしめる

人工的なうまさ、というのは本当に厄介だなぁと思う。

この罠にはまってしまいたくないなぁ、はまってしまって

ほしくないなぁと願ってやまない。

とはいえ、既に上の子達は10歳以上の子供ばかり、味も幼児期の子供が

食べる物とは変わってくる。この穀物感たっぷりの甘みのない

コーンフレークを美味しく食べてくれるのは末っ子のユニオと

私、そして穀物をしっかり食べて育った主人だけのようだ。

 

ともあれそんな風にして、今朝は「おいしい」ということについて

思いを巡らせていた。

人それぞれ違っていい。

良い、悪いのジャッジに自分がコントロールされずに

頭でなく心から

本当に自分な好きなもの選んでいけるのは素敵なことだ。

だけどやっぱりわたしは自然なものから

美味しいと思う物を選びとっていきたいと思う。

そして今はいろんなおいしいを体験中の子供たちにも

最後には本物が美味しいと感じてくれたらいいなぁと

願ってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

どしゃぶり

この間、子供を友達の家から連れて帰る途中で土砂降りに。

車内から外を見ると

「なぬ!」

バス停で急に降られて困ってる人がなんとその辺に

おちてたヤシの木の皮をかぶって雨をしのいでいました。

(写真向かって左、茶色いものをかぶってるのが木の皮で雨をひのぐ人。

垂れ下がったヤシの葉がまるで恐竜のしっぽみたいです=)

う〜ん、笑えるけどナイスアイデア!

ブラジルの雨は突然な上にかなり大量に降るので

折り畳み傘くらいは常備しておいた方がいい。

だけど、その辺にあるものでなんとかならなくもない。

教訓になりました=)