Food

春と発酵食品

3月に入って急に空気が緩んできたベルリン。

身の締まるような寒さから解放されほっとしたと思ったら

何やら鼻水にせきに。。と早速排出のご様子の我が家。

体って不思議でこれを風邪と言ってしまえばそれまでなんだけど

冬〜春のデトックスと考える方がこの大気の緩んだベルリンで

肌身にしみて納得がいくのは私だけかしら。

ともあれ、そういう時には血液がきれいになるような食べ物を。

そして冬から春に衣替えをするように、お料理も食材もそろそろ

春モードに切り替えです。

我が家の玄米はすでに無圧炊きになっています。圧力鍋の玄米は

重くてたべられな〜い!というか玄米自体随分食べずらいです。

7分つきの御飯を食べる事がおおいかな。

それでも玄米が食べたいときはおかゆにして、生のイースト菌で

スペルト小麦と一緒に捏ねて生地をつくり、蒸し器で蒸しパンに

しています。これがまた花巻みたいで大ヒット。

春なので焼き締めたパンよりも蒸したもののほうが食べやすく

体にも負担が少ないといううんちくもありますが=)

 

さて、今回ドイツで真冬〜初春に助けとなったのは干し椎茸。

冬の間はドイツではこっくりとした暖かいもの、焼いたもの、

動物性食品が必要だったので真冬を過ぎる頃には寒さも相まって

体ががちがち、内臓もお疲れ気味でした。

そうなると頭痛がしたり肩こりがしたり。

そんなときに干し椎茸のスープは大変おいしく、ほっと緩むのを助けて

くれました。

植物性食品しか召し上がらない方はそこまで必要としないかも

しれませんが、それでも一緒に梅干しをいれて煮だしたスープ

なんか血液が元気になるお味がしますよ。

 

そう、血液。なんてったってこれがきれいなら風邪にも負けないわけで。

なるべくきれいに保ちたい。

血液はシュタイナー曰く自我とつながっているとか。

血液が汚れる、濁る、つまる、ということは自我にも影響があるのじゃ

ないかしら、と思っているわたしです。

あなたらしく、わたしらしく生きているとき血液もさらさらと

美しくモルダウ川のようにたくましく流れているのではないかしら。

と、まぁそんな想像をしてみたり。

 

ともあれ血液が「ありがとう!」と言ってるなぁと思う食べ物はやっぱり

みそ汁でしょうか。そうですみそ汁なんです。

それも時々は植物性だけのお味噌汁をどうぞ丁寧に作ってみてください。

丁寧に、ここもポイントなんですよ。作った人のエネルギー作ったときの

気持ちもまるごと頂いてる私達、というのは精進料理の世界でも

アーユルベーダの世界でも有名な話です。私もそうだと思っています。

そんなわけで体にしみるみそ汁が大変美味しく感じる今日この頃。

子供たちも沢山おかわりしてくれます。もっぱらみそ汁と御飯な春先の

我が家の食卓。

 

みそ汁の要の味噌はドイツに引っ越してからようやく手作りを復活

させる事ができまして今は美味しい手前味噌を頂いております。

日本では何年も作ってきた味噌。もう作り始めたら美味しくって買ってる

場合じゃありませんの=)味噌の薫り、いきいきとした酵母たち。

そう。生きてる!活きてる!というのが手前味噌の第一印象でした。

たった一日がんばれば一年美味しい味噌が食べられる。それなら怠け者

の私でもがんばれる。そう思ったのもよかったかもしれません。

手を抜いていいんです。まぁ適当にやってもうまくいくもんです。だから

構えずさくっと「さて今日は味噌でも作ろかね」的にやっちゃいましょう。

日本でやっといてよかったとドイツに来て思いましたよ。こわいもんなしです。

自分で作れる、何かあってもどうにかできると自分を信じられる事。

これは台所から手に入る財産だと思うのです。と,話は飛躍しましたが

味噌は是非作りましょうよ。

 

ところがどっこい。今年は昨年買ったドイツの麹屋さんがやってなくてね。。

麹作りから始めることになったのです。がび〜ん。そりゃもうがび〜んですよ。

でもね、これもチャンスだとおもって作ってみました。ちょうどブラジルで作った

ことがあって、麹種を持ってたのでやりました。

しかも発芽玄米麹やら米麹やら麦麹やら楽しくなって色々やり尽くしたので

ありました。。ちょっと疲れたけど=)

作ってる間中、家の中も外も麹の甘い薫りが漂ってそれはそれは

気持ちのいいものでした。そしてね、出来上がりを食べた見たらもう

悶絶=)これは早くやっておくべきでした。お味噌を手作りして感動

していたけど麹も手作りだと本当に生きてる、活きてる!プラーナが

すごいです。これはもうやめられない、ということになりました。

日本にいれば質のいいものが手に入ると思うので買ってもいいかもしれません

けどね。それでも作ってみられると手間味噌と同じ感動が味わえますよ!

それで早速念願の甘酒もつくりました。

甘酒は体内で作る事のできない必須アミノ酸9種を

含む日本の誇るスーパーフードですよ。しかも栄養になる

糖類はは多糖類を分解してできたものなので

血糖値を急激にあげず体にやさしい。

マクロビオティック的にも春には是非お勧めしたい食材です。

麹にしても味噌にしても甘酒にしても発酵食品て

本当においしいですよね。

ドイツでは乳製品の質がとても高く、ヨーグルトにも色んな種類が

あったりDemeter(デメテール)というオーガニックのなかでも

高いレベルの認証をとっているものでも安く買う事ができます。

デメテールのヨーグルト1キロで2ユーロとか(250円ほど)

なのでここにきて手前味噌を作るまではよく頂きました。

マクロビオティックだと一般的に乳製品はタブーな感じですが

ドイツではこの寒さだし、お味噌の質に比べるとうんとヨーグルトの

方がよいし、活きてる!という感じがするのってのがなにより

の決め手で食べる事にしています。

もちろん日頃食べない方や、一時的にドイツに来てる方で乳製品を

とらない方が召し上がると鼻水とか出やすいかもしれませんが、ドイツ

在住が長くなってる方なんかはきっと下手にお味噌を買ってたべるより

質のいいヨーグルトやクアーク、ケフィアなんかが助けになることが

多いと思いますよ。

ただ春になるとやっぱりちょっと重たいので豆乳のヨーグルトも

質のいいものが出ていますので私は春にはそちらも頂きます。

そうやって季節で洋服をかえる様にヨーグルトもかえたり、住む場所で

発酵食品も土地のものをいただいたりしています。

 

そうそう、最近こちらでは発酵したお豆腐というのも見つけました。

これはヨーグルトの菌で豆乳を発酵させて豆腐を作ってるんですって。

食べてみたら歯ごたえがあってやや塩気があって島豆腐のような。

おいしかったです!これで2ユーロちょっと。悪くないですね。

豆腐もとても便利な植物性蛋白ですが,なにぶん発酵してない大豆は

あまり消化に良くないのです。ですから納豆や味噌は別ですが豆腐は

時々に負担になるんですよねベジタリアンの方でも。なので発酵豆腐って

なかなか良いアイデアだなと思いました。こちらドイツでは

ビオカンパニーLPGで買う事ができます。

 

発酵発酵と発酵づいてしまって遂には沢庵もつけてしまいました。

大根は家の中の寒い部屋で干して精米してる糠をとっておいて。

干しておいたリンゴの皮とかみかんの皮とか一緒にいれて。

さて後一週間くらいで食べれるな。と。

質のいい沢庵もドイツでは手に入りません。売ってないのです。

だからこれも作るしかないという。。何でも必要に迫られてやって

しまうのです。。。

沢庵も肺や大腸を調えるのにも大変役に立ちますし、冬〜春の

鼻水とかね、乳製品のとり過ぎなんかにもとてもいいです。パソコン

やり過ぎの方なんかにも(ってうちの夫か?!)いいです。

なのでこれもうまくいくといいなぁ。

きっとドイツではザワークラウトが同じようなものでしょうが、

なにせ沢庵は大根だものね。いろいろなデトックスにも一役かって

くれる食材だからこの時期にもうまく食べておきたいです。

我が家ではいま大根の甘酢漬けの漬け物が流行中。大根も春先には

食べたくなりますね、しかもやや生でばりばりと。

酵素が欲しいって感じかな=)春ですな。

 

と春はマクロビオティック的にも上昇のエネルギーです。

発酵もここに対応しているエネルギーですね。

なので是非発酵食品をうまく取り入れて、消化良く、

そして重たい冬の空気を入れ替えて軽やかな体になるように

イメージして食卓を作っていただけたらと思います。

体が軽くなると心も軽くなりますよ〜

春だ春だ!私も春が待ち遠しいです。

 

Macrobiotic class in Berlin

日本で言えば三寒四温の雨でしょうか。

ベルリンも寒くなっては緩んで雨が降り、寒さが和らいで

春の訪れを感じます。

いよいよ年が明けて、冬が終わり春なのですね。

 

ここ数年ぼんやりと赤ちゃんと子供たちとで暮らしていた私も

ご縁があって動きだす事になりました。

マクロビオティックの料理教室、ベルリンの自宅を皮切りに

始めました。

出張でもクラス賜る運びとなっています。

ご興味があれば詳細はcontactまでご一報くださいませ。

ブログの方でもこれからは、海外でのマクロビオティック、季節の巡り

食材のこと身の回りのことなどなど、「暮らしに活かせるマクロビオティック」

をモットーにアップしていきたいと思います。

 

もっと自然に、当たり前に。無理なく楽しく自然を感じる暮らしをどこででも。

あなたのために。わたしのために。地球とみらいのために。

なんちゃって=)でもまじめにそう思ってます。

どうぞよろしくお願いします。

 

 

アップルムース

だいたい私の朝は「あ〜思ったより時間がなかった。。」ということが多い。

思っていたよりできなかった。思ったより時間がかかって大慌て。

そんな毎日なんだけど、なぜかたま〜に「思っていたより時間があった!」

なんて日もある。なんでかわからないけど、ある。

給料日前の財布になぜかいきなり5千円札があった、的にある。

と、そんなことどうでもいいんだけど。

 

昨日の朝はそんな朝だった。

長女と保育園に行くちびくんと夫の弁当をつくり、子供らに

朝ご飯を食べさせて、後片付けまでしちゃって、第一便に上の4人の

こどもたちが学校に出払って台所では保育園時間待ちのちびと末っ子の

姫と私だけが残っていた。

こうして片付いた台所って気持ちがよくって、つい「じゃ、なんか作ろうか」

なんてまた仕事を増やそうとするのがわたしの癖だ。まぁ仕事といっても

結局は台所仕事はわたしには一種の娯楽でもあり趣味でもあるから

いいのだけど。

そういえば私が6人目を出産する頃のことだった。予定日一週間ほど前の

いよいよ、という時。私の頭にあったのは「我が家の福神漬けがもうなくなりそうだ」

ということだった。夫が「もうすぐ生まれるから何か用意するもの考えないとね」

と言った時私が真っ先に言ったのは生まれてくる赤ちゃんの為の物ではなく

産後の自分の為のものでもなく「そうだ!福神漬け作っとかないと!」だった。

私にとっては極自然な思い付きだったのだけど、今になっても夫はそれを

笑い話にする。まぁ確かに生まれてくる赤ちゃんより福神漬けって

どうかとは思うけど。。ともあれ、わたしの頭の中にはいつでも我が家の食料

事情と作り置き、季節の保存食などのことが大半を占めているのだ。

 

そして今回白羽の矢が立ったのは前々から気になってた食料庫にある夫の

おじいちゃんちから頂いてきた大量のリンゴだった。おじいちゃんちの庭にある

リンゴの木から毎年沢山のリンゴがとれる。もちろん肥料や農薬は使ってない

正真正銘の庭にあるリンゴの木のリンゴだ。なのにた〜くさん実を付けてくれる。

本当にすばらしい。

しかもリンゴの木は野生種で昔からあるものだから見た目も小さくて

いかにも自然に実ったぜ、的な感じがたまらない。売り物よりちょっとすっぱ

かったり形がへんちくりんだったりしてるけど、やっぱりあの力強さは

お日様と雨と土とただそれだけで自力で実ってきたリンゴの命の力強さ

なんじゃないだろうか。わたしはそれが好きだ。

とはいえ、生で全部食べきれないのでそれを煮てアップルムースを作る。

それを入れて作るおばあちゃんのレシピのアップルパイが夫は大好物

なのだ。

そんなリンゴなのにもう春が近づいているベルリンの我が家の片隅で

宇宙の法則に従うかの様に摘み取られたリンゴ達はしわしわと

その身を枯れ衰えさせ、土さえあればそのまま土に還ろうかとしているような

佇まいのものもちらほらでてきた。これは見逃す事が出来ない事態だ。

アップルムースをつくらないと。つくらないと!

そう心で警鐘をならし続けていたのに、そういう時に限って思ったより

時間がない、サイクルに入っている。

だのに、とうとうやってきたのだ。あのリンゴ達が救われる日が!

 

人生のタイミングの妙というのは本当に不思議だ。ひょっこりやってくる。

アップルムースは皮をむいて、芯をとって実を刻んで鍋で煮る。だから

何十個、あるいは百個近くなるとそれはかなり大掛かりな作業になる。

たかがアップルムース、されどアップルムース。

我が家に存在する一番大きな鍋を出してきて私の心は決まる。

今日はやるぞ。今日こそやるぞ。

そんなわたしに頼もしい助っ人のちびくんがいた。3歳の坊やだ。

実際助っ人なのか、お邪魔なのかはわからない。でもこういう大掛かりな

季節の台所仕事を子供と一緒にやるのが私は好きだ。

上の子供たちもみんなそうやって一緒に梅を漬けたり、味噌をつくったり

ジャムをつくったりしてきたものだった。そんな懐かしい思い出が

頭をよぎりながら今またドイツの片田舎ではなく、街中のベルリンで

季節の仕事ができることがとても嬉しかった。おじいちゃんのりんごよ

ありがとう。心からそうおもった。

 

春を待つリンゴ達からはしわしわになりかける見てくれとはうらはらに、

芳醇な薫りが漂っていた。息子と匂いをかぐ。

「あ〜良い薫りだね〜」溜息がでるほど素敵なかおりだ。

胸がいっぱいになって幸せがこみあげてくる。もうこのままでいたい。

あの時胸が締め付けられるほどリンゴの薫りが愛おしかったのは

なぜだろう?

 

芳香に後ろ髪を引かれつつも作業にかかる。

私が芯をぬく、皮をむく。皮は干してお茶にするのでとっておく。

半分に切ったりんごを息子が小さくきる。私も一緒に切る。

かわいい小さな手でりんごを切る息子。切ってはちょこっと

つまみ食いをしている。

可愛くて胸が締め付けられる。リンゴの芳醇な薫りとともに

この時間が愛おしくてたまらない。

この小さな手と一緒にいろんなことをする度に、その愛くるしさ

その無邪気さ、その純粋さを感じる度にいつも同じ様に

もう大きくなった上の子供たちのことを思う。あの子達にも

こんな時があったよなぁ。と。

 

愛と言うのは時々溢れ出てくる。とめどなく。

上の子達が小さかった頃を思い出す。

あぁかわいかったなぁ。こんな風に可愛い手でどれだけの事を

一緒にしてきたのだろう。その時どれだけその可愛さを心に

抱けていたのだろう。どれだけその場に心を留めて見つめることが

できていたのだろう。

 

上の子と干支が一回りも違う年の離れた弟妹を授かった私は今もう一度

子育てをやり直している。

今この赤ちゃんを、この坊やを心から慈しみその愛らしさに改めて感動しながら、

もう育って大きくなった上の4人の幼少期を再び心に抱き慈しんでいる。

可愛い無邪気なあの手が、あの口が、あの体が、すっかりと

大きくなっていろんなことができるようになって、子供が育っていく

という当たり前の奇蹟を、その愛らしさを繰り返し繰り返し

感じている。

もちろん現実は簡単な事ではないけれど、日々は格闘なんだけど。

今でも子供たちは育ちの過程なのだけど。

 

リンゴを切るその仕草に心を留めて、ただそのときにすっぽり

包まれていると、そこにあるものの愛おしさに圧倒される。

子供という存在の愛おしさに圧倒される。

その愛おしさというのは決定的でありながらつかみ所がない。

圧倒的でありながら至極さりげない。

留めようがないところに留められていて、

気がつこうとしなければ忘れ去られる場所にあるのに

手を伸ばしても届かず、目の前にある。

 

どうして日々はこんなに簡単に流れていくのか。どうして自分の

心はいつも何処かに流れていくのだろうか。

今は今しかないのにさ。

 

しわしわのリンゴと芳醇な薫り。

小さい坊やとの思いがけない朝の時間はきっとまた私の心に

甘酸っぱく残るんだろう。こういう季節を繰り返して

坊やにも美味しい思い出が残ってくれるといいな、と願う。

土に還ってしまうまえのリンゴをムースにできてよかった。

 

お弁当ライフ再び

最近ユニオが保育園のようなところに行く様になり

お弁当をはじめました。

そこではオーガニックのケータリングがランチで出てくるのですが

やはりオーガニックといえども食べ慣れないものがでると子供は

食べないので我が家はお弁当も持たせる事にしました。

お父さんと一緒にお昼御飯を食べられる保育園なので夫弁当も復活。

こちらはとある日のお子ちゃま弁当と夫弁当。

 

ぶつきごはんにゆかり、ごまふりかけ。(大人にはシャケも)

ターキーのグリル(夫にはマッシュルームグリルとマスタードを添えて)

キャベツと若芽の蒸し炒め

茹でトウモロコシと梅ペースト

デザートのうさぎりんご

 

こんな感じで朝は長女も含め3人分のお弁当の日が始まりました。

長女のお弁当だけ作っていた時には肉食も多いのでお弁当作りは楽

だったのですが、菜食を好む夫と幼児向け弁当も一緒となると

なかなかあたまを使います。

乾物や海藻。野菜の種類、葉もの、根菜、丸いもの、長いものなど

取り入れて、茹でる、炒める、揚げる、和えるなど調理法の

陰陽バランスはどうかしら?などなど。

もちろん日本でのマクロビオティック食材とドイツでは

手に入るものも違いますし、野菜や調味料も違います。

その辺りの工夫もしながら、大人、思春期の女子、幼児では

必要なエネルギーも違うし、栄養素も、求められるものも違う。

そんなこんなを乗り越えて。の弁当。

ガッツリ食べたいけど表向きガッツリ見えない工夫の必要なお年頃の

女子弁。その上フレッシュなフルーツの甘みや野菜が欲しい長女。

しっかり食べたい夫は色んな栄養素と食感が必要なので一番おかずの

バラエティが欲しい人。そして味はしっかり目に。でもそのなかでも

一品は素材の味のするシンプルなおかずを。

(ちなみに、ドイツに来てお魚料理に大根をあわせられない場合

辛みのあるスプラウトが消化を助けるかわりになると気がつきました。

おそらくドイツの気候とあうのでしょう、以来スプラウトは我が家の

冷蔵庫にかなりの頻度で常備されています。)

幼児のお弁当は食べつきやすさ、形の工夫,色の工夫で野菜も食べる様に

甘みと穀物をしっかりとれるように。。などなど。

手前味噌ではありますが以前オーガニックベースで行ったお弁当コースの

内容を思いだしつつ、今は大きくなった四人の子供に作っていた

お弁当も思い出しつつやっております。なかなか楽しいです。

こういうバランスを感じながら作るのがマクロビオティックの料理の

楽しい所そして難しい所かもしれません。

 

ともあれユニオにとっては人生初のお弁当。

お兄ちゃんのおさがりのワッパ弁当を持ってうれしそうに

毎朝出かけていく姿は愛らしく、同時に大きくなったなぁと感動。

ドイツの保育園でも皆さん興味津々の様子。

お弁当って日本の良い文化だなぁと改めて感じている毎日です。

 

 

 

 

 

旬と野菜の考察

台所で旬を感じるのが私は好きだ。

春先の息吹から苦みを運んで来る山菜達

初夏のさわやかな緑のお豆達にあの青々しい梅。

真夏のはじけるような夏野菜に

ほっこりしっくり落ち着きをみせる秋の芋栗なんきん。

滋味深い冬野菜たち。

それに季節折々の魚介類から海草類。

それらを時に茹で、時に油で揚げ、煮しめ、焼きこがし。

手を変え品をかえ私達の食卓を賑わしてくれる旬の食べ物たち。

あぁ日本の食卓はなんと豊かなのでしょう。

外国に暮らす様になって特に私はこの季節の移ろい、旬というものが

愛おしく、それに伴う日本の調理の奥深さをありがたく思う様になった。

それと同時に、このような旬という移ろいがそれぞれの国では

どのように楽しまれているのか、親しまれているのか、というのを

知りたいとおもうようになった。

 

さて、ドイツでは一体どうなっているのだろうか。

ちょうど春を迎えたドイツ。とおもった矢先には既に初夏の風ふいている。

わたしには冬〜初夏の変化が急だったように思う。これは今年だけだろうか。

春に一期に地面が緑になったとおもうと今や木々は若草を

通り越して繁る緑に包まれている。こんな風に暖かくなると体は

緩みたくなる。こんなとき日本なら春の山菜たちが体を解放するのに

助けになるのだけど。と思いドイツには山菜がないのかと思い当たる。

そうなのだ。ドイツにはどうやら山菜はない。まず山自体がそこここに

ある訳ではないので山菜はない。地面をみるとなにか食べられそうな草は

ないのか?と思うけれどつくしやのびるはベルリンではみつけ

られなかった。

自然から与えられる恵みをうまく食べて、日々の健康を保つ智慧は

きっとどの国にもあるはずだ。だからきっとドイツにもなにか季節の

恵みがあるはずだとおもい辺りを見回す。

ちょうどドイツの郊外にある夫の祖父の家を訪れ,大きな庭を散策

しているとタンポポがたくさん咲いていた。

種類はわからないけどそこここに咲くタンポポの黄色は野草のように見えた。

柔らかい若草をつんで食べてみるとほろっと苦い。これは食べれるのでは

ないかなぁとぼんやり思う。きっとおひたしなんかにできるんじゃないかと

想像は膨らむ。そういえば以前タンポポの葉をサラダに食べるというのを聞いた

ことがあったのを思い出した。

春先の緑、ほろ苦さという季節の恵みの理にかなったこと。

目が、体が欲するところの全てを自然は与えてくれているというこの奇蹟。

そんなことにはたと行き着く。

その頃ベルリンのカフェやレストランの至る所では白アスパラガスのメニューが

旬のメニューとして出回っていた。やはりドイツにも旬はある。

私は人生で初めて白アスパラガスを食べてみた。

太くしっかりとした外観なのにお皿に乗るとほっとりと柔らかい。

それをバターやクリームのソースと生ハムの塩気で頂く。

これはまるでふろふき大根のような味わいだと思った。

ふろふき大根も柔らかく茹でられた白くやや甘みのある大根を

ゆず味噌など塩気のある調味料でいただく。これは冬のお料理だけど

冬の終わりの頃にこのような甘みのある白いお野菜を食べるのは

冬中に寒さで締まった体をゆっくりとほぐすのに役立つ。

春先の4月でも寒さの厳しい日のあるドイツでは白アスパラは

日本のふろふき大根のような役割があるのではないだろうか。なんて

うんちくを思いつく。また夫が頼んだ白アスパラのスープには

にんにくにも似た香りのグリーンの薬味がかかっていた。

聞くとそれは春に森でとれるニラのような野草だという。

「あるじゃないか、ドイツにも!季節の草を食べる。

そんな習慣がドイツにも!」わたしの心は踊った。

 

わたしは好きなのだ。春が好きなのだ。

山里の春は美しい。そこここに命の芽吹きを、再生を、目覚めを

感じられる。雨が降る毎にあたたかくなる大気。湿り気を帯びて

柔らかくなる土。やさしい若草色のなかに食べることのできる草を

見つけることができる宝探しの季節。

地面を押し上げる筍の穂先はまさに、ここ掘れわんわん。

春はなんてたのしくすてきなのだろう。

そんな命が踊る体験を送った日本での田舎暮らしの日々が白アスパラガスとともに

ここベルリンでよみがえる。世界はつながっている。

春はここにもある。

 

アスパラガスはドイツの山菜だった。そんな考察が信憑性をもってわたしの

頭を駆け巡る。春の苦みとアスパラの苦みが。アスパラの帽子のような穂先と

柔らかな土から顔を出す筍の穂先とがシンクロする。

このシンクロをきっかけにわたしの目はドイツの旬を

日本の旬の記憶を便りに解読しようと試みる。

ルバーブを見る目はもはや日本のふきを見る目になっている。

似ている。似ているじゃないか!!

食べ方は違う、味も違う。

だけど地面からやってくる力が似ているじゃないか!

だから外観もにているのかもしれない。

エネルギーによって形は形成される。

性質は違っても本質が同じならば、、あるいは。。

ドイツと日本に流れるエネルギー。

ドイツ人と日本人は同じようで全く違う。違うようで似ている所もある。

旬を通して人種の違い、国籍の違いという異なりと

それを越えたつながり共通性に思いを馳せる。

野菜も人間もあるいは同じように。。。

 

マクロビオティックを通して台所から自然を見つめてきた。

旬という季節の巡りは自然の摂理を教えてくれた。

まるごと食べることは全体を知る大切さを教えてくれた。

それが今世界に飛び出した私に台所から新しい意味を見いださせる力に

なっている。

日本という部分からでてみれば、私という日本人は世界という

全体の一部なのだけど、世界もまた様々な一部を内包した大きな何かの

一部なのかもしれない。

これは台所を発端にした壮大な物語だ。

 

今ベルリンではプラムやアプリコットが出回っている。

私は再び日本の旬の記憶を頼りにアプリコットで梅干しを作っている。

ドイツにおける梅干し的な食材は一体何になるのだろうか?そんな問いを

掲げながらアプリコットのへたをとる。

するとどこからとも無く子供がやってきて幼い頃からやっていたこの

梅仕事に参加していた。

旬が運んでくるのは味覚だけでなく、家族の思い出でもあるのだ。

さて今年の梅干しはどんな味になるのだろう。ドイツでの記憶がまた一つ

台所から紡がれていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手料理

新学期が始まって朝は忙しい。

お弁当がいる子、朝食は御飯がいい子、果物が必要な子、

サンドイッチを持っていく子。それぞれの欲求を満たすべく

今日も台所にたつ。

 

子供たちは大きくなるにつれてそれぞれの食の好みや傾向が

はっきりとしてきた。

朝ご飯をたっぷり食べたい子、食べたくない子、パンを食べたい子

果物を食べたい子。おかゆは食べられない子、などなど。

小さい頃はなんでもある程度大人が決めてあげた方が子供が安心して

過ごせる、というのと同じ様に、食事もある程度(いや、我が家は結構

私が決めてしまっていたけど;)「これ食べようね」というかんじで

整えてあげたほうがよい。(と私は思う)そんな風にして朝はおかゆだの

お味噌汁だの,お漬け物だの、青菜の茹でたのだの、と朝食に適している

ものを用意していたものだけど今となっては子供に委ねっぱなしの毎日だ。

「ねぇ今日は何食べるの?」なんてお伺いをたててみたり

「あなたは今日も御飯ですね。」とマンネリ化してしまうこともある。

もちろん「今日はこれですから」と私から決め込むときもある。

子供の頃は季節や子供の様子やお天気までみて献立を決めていたのに

この変わり様。なんだかちょっぴり寂しいのだけど

もう私の料理など期待されてないのではないか、と思うことも

多々ある。

けれど具合が悪そうな時なんかはやはり私の知っている限りの智慧をもって

して「これをお食べよ」と差し出すこともまだある。

あぁ私が作った物を素直に食べてくれていた頃がなつかしい。

「手作りでいいね」なんてよくいわれるのだけど実はその手作りを食べて

くれる子供たちがいたこともありがたいものだったと気がつく。

こうやって私も次第に子離れしていくのだろう。

けれどさて、それでもこれからの子育てに必要な料理というのは

どういうものなのだろうか。

ちょうどそんなことを思っていたときだった。

 

ある朝のこと、毎朝フルーツしか食べないことの多い双子くんたち。

どうせ果物しかたべないから、好きなフルーツを勝手に食べてもらおう

と思ってリンゴやオレンジの入ったかごをテーブルに置いておいた。

すると食いつきが悪い。何も食べないで出て行ってしまうときもあった。

さすがに心配になったのでとりあえず果物を切ってお皿に盛りつけて

置いてみた。するとひとつ、ふたつと手を伸ばしなにかしら

口にいれて出て行く。あるいは御飯はあまり食べたくない様だけど

御飯を小さな俵型のおむすびにしておいておくと、「御飯いらない」と

言っていたにも関わらずやっぱり一つ,二つと口に放り込んで

出て行くのだった。

これはいかに。

 

またあるときのこと。

朝いつもならしっかり朝食を食べるはずの長女が寝坊したのか

台所にやってこない。お茶碗に御飯をよそって箸を並べつつ

お弁当を包み朝ご飯にやってくるのを待っていた。遅刻ぎりぎりの

時間にやってきた長女に「ほら、急いでお食べ。御飯よそっといたよ」

と言うと「あ〜今日は梅干しのおむすびがいい。」と言った。

どうも宿題で夜遅くまでおきてた長女は随分つかれた様子だった。

ともかく何か食べさせてから学校に行かせないと,と思い

ささっと御飯をおむすびにする。

おむすびを結びながらなんとも言えない気持ちになった。

もしこれがパンだったらサンドイッチということになるのだろう。

だけどサンドイッチと決定的に違うのはおむすびには何か

特別な何か、をこめることが出来ることじゃないかと感じたのだった。

祈り、愛?言葉にするとなんて陳腐なのだろう。けれど。。

おむすびで有名な初女さんという方がいらしたけれど、その方も

たしかおむすびのことを言ってらした。何て言ってらしたのだろう?

今からでも本を買って読んでみようか。。ともあれ私はそれまで

おむすびのすごさを心の底から実感はしていなかったのだった。

でもその日、台所であわただしくおむすびを結んでいたときに

すとんと心の腑におちた。「おむすびってすごい」

もちろんサンドイッチでも心をこめることはできる、祈りを込める

ことはできるだろう。だからサンドイッチはすごくなくておむすびは

すごい、なんていう比較や勝ち負けをするつもりはない。

ただ単純にわたしが紡いできた毎日の中で初めて心の底から

おむすびを作ってあげられることが嬉しく、ありがたく、それを

食べてもらいたいと、大げさに言えばこれさえ食べていればこの子は

大丈夫だと思わしめるほどの実感を抱いたのだった。

そして、これこそがこれからの私に求められる料理なのだろうと思ったの

だった。いや、これからの私だけでなくても誰にでも出来る誰にも

必要な料理というのはこういうことではないのか?

煮物ができるとか、みそ汁が作れるとか、漬け物を漬けるとか

そういうことを越えておむすびなのだ。

いままでさんざんいろいろな料理をしてきて、色々な食事法を

取り入れてみて、その末にたどり着いているのは想いを込めた料理。

それがなければ料理というのはただの実験の結果のようなものだ。

料理を通して、食べ物を、食べるという行為を通してわたしたちは日々

何を受け取り、何を育てているのだろう。

料理と調理。

リンゴ一つ、切ってお皿に出してあげる。

おむすび一つ、手と手の間で結んで持たせる。

これも立派な料理で調理なんだ。

たったそれだけのことで、子供は食べる。子供たちは育つ。

たったそれだけのことがこれだけ大切だと感じたことはいままでなかった

ように思うのは、私と子供たちとの距離がかわり、私が子供たちに

してやれることがかわってきた今だからなのかもしれない。

 

そういえば辰巳芳子さんがおっしゃっていた言葉を思い起こす。

「食べつかせる」

ご病気でらしらお父様になんとか食べていただこうとして辰巳さんご自身が

想い、考え調理なさって作ったお料理の数々があったそうな。

私の場合はそんな大それたことではないけれど。

お年を召した方やご病気の方、幼子、という気をかけてあげなければ自分で

食べられない人に向けてだけでなく、いよいよ食べ盛り、いよいよ

自分勝手に生きたい大きな子供たちにこそのびのびと食べつかせたい。

肉だとか,野菜だとか、栄養だとか、何を食べるとかだけでなく

たった少しの手間をかける。

手を加えるという調理法をもってわたしはこれからも

手料理の道を進みたい。

 

ご無沙汰してました。ブラジル〜ドイツへ引っ越しました。

あけましておめでとうございます。。。っていう時期でもないのですが

随分ブログおやすみしておりました。

皆さんどんな新年をお迎えになったでしょうか?

ご存知の方も多いかとおもいますが、我が家は昨年秋に二年半過ごした

ブラジルを後にし新天地ドイツへ引っ越しをしました。

といっても私と主人、末っ子と長女だけまず引っ越しまして

下の双子と次女は12月までブラジルの友達の家で学年末まで

過ごしていたので最近ようやく家族が揃っての新たな暮らしが始まった

ところです。

新しい場所での暮らしはいつもいつも役場の手続きやら

なんやらでめちゃくちゃに忙しくなります。

それはブラジルもドイツも一緒。特に我が家はへんちくりんな

国籍ミックスファミリーなもので、皆眉をひそめながら

書類を食い入るように見つめながら時に苦笑い、時に嫌みを

言われながらの登録、登録の日々=)もうさすがに慣れましたけど。

子供も沢山いるから書類を書くのも一苦労。ははは。

そんな風にしてあっというまに今日に至っております。はい。

 

ともあれ南半球、真夏のブラジルから北半球真冬のドイツへ。

これまた大きな変化を家族で乗り越えていこうと思います。

空気が違う、水が違う、文化が違う、人が違う、考え方が違う

雰囲気が違う、食べ物も違う,色々違うのです。

でもそんな違いの中でまた、その違いを楽しみ、同じものを

見つけ、外の世界を体験しながら再び新たな自分を発見していくのだと

思います。

 

それにしてもドイツはオーガニックが簡単に手に入るので

すごいですね。

何もかもオーガニックですよ。それも結構安いです。

それに外食も安くてボリューム満点、ベジタリアン料理の

オプションも簡単に見つけられます。

そういう点ではとても楽だなぁと思っていたのですが、

やっぱり日本人。毎日重たいものは食べれないし、

結局御飯とみそ汁が恋しくなっちゃうのね。

もちろん日本食も外で食べられるのですが、自分の味に

こだわりがあるもので;)

やっぱり自分で作るしか無いなぁということに。

そんなわけで引っ越し早々年末年始、味噌つくりやら調味料作りから

新しい暮らしが始まっています。

どこにいても私にとっては台所から自分の暮らしを紡ぐのが

一番心地よいようです。

そんな訳でブラジル在住中にで培った調味料のレシピをフル活用し

ドイツでの暮らしを初めています。

その上,もうすぐ6人目の赤ちゃんも生まれてくるので当面の食事を

簡単に出来るよう冷凍庫のストックおかず作りに励む日々。

またここドイツから我が家の食卓の様子や暮らしの様子など皆さんに

シェア出来たらと思います。よろしくおねがいいたします。

 

そんなドイツから初めてのブログ。今回はドイツで見つけた

ごぼうもどきをお見せしましょう。

ドイツって結構野菜が少ないんですよね、オーガニックスーパーだと

ビーツとかセロリの根っことか?見た目的にはハリーポッターにでてくる

魔法生物学のへんちくりんなお化け植物みたいな結構ごつい根菜が

主流です。日本人にとってこの寒さの中でやっぱり恋しいのはごぼうや

人参、甘い大根、れんこん、さといも、などなど。とくにやっぱりときどき

食べたいきんぴらごぼう。どうしようか?と思ってたら見つけました

ごぼうもどき。その名も「Schwarzwurzel(シュバルツヴルツェル)」です。

ほら、ごぼうそっくりでしょ!これは農家の白アスパラと言われている

らしくて、茹でると春先にドイツでよく食べられる白アスパラガスに

味がにてるそうで白アスパラが高くて食べれない農家の人が

かわりにこれを食べるんですって。

まぁそうとは知らずに見かけで購入。

切ってみると真っ白な乳液のようなアクがでてきましたよ!

取りあえず皮を剥いてみると随分アクがでてきます。

本当はきんぴらにしようと思ったけど、アスパラの話を聞いてしまい

急遽私も茹でて豆乳クリムソースで食べてみることに。

加熱するとごぼうのような強い食感はなく、確かにアスパラ的な

やや歯ごたえはあるけど柔らかい肉質に。

これには確かにクリームソース合いますね。パセリとこしょうをたっぷり

効かせてなかなかおいしく頂きました。

不思議なのですがやはり土地に会った調理法や料理ってあるんですよね。

きんぴらが食べたいと思っていたはずが、こんな洋風ごぼうもどきが

なんかとてもおいしくて。もちろんばりばりの日本食も時々体が

欲しがるのですけど、ドイツではこってりとどっしりとしたクリーミーな

お食事も体が必要としているようです。

郷にいっては郷に従え、というのはほんとうですね。

また、ドイツでは朝ご飯はパンかミューズリー、昼は暖かいスープや

こってりどっしりしたランチをたっぷりと。夜は残り物かパンにサラミ

やチーズですませるということが多いそうです。

日本人って三食しっかりご飯を炊いておかずも作ってって

マメじゃないですか、でもねドイツの台所は合理性重視のようです。

みんなあんまり料理をしない。

でもある意味で理にかなってるというか。不合理すぎる日本の台所事情。

確かに私も台所で時間を費やすことが多く、それは私の楽しみでもあるの

ですが。人によっては大変だと思うこともあるのかなぁって、初めて

そういう視点で台所を眺めることができました。

とはいえ、やはり手作り、伝統食を大事にしながらうまく合理性をとりいれた

食卓をドイツで開拓出来たらいいなと思っております。

これからますますチャレンジの日々です。

 

Coconuts everyday!

こちら毎日30度越えの暑〜い日々が続いております。

ブラジルの季節は春?なのにね。何か今年は暑いです!

そんな時にうれしいのがココナッツウォーター。

ここ最近我が家は毎週末に青果市場のマーケットにいって

一袋10個入のココナッツを買っています。

こんな風に八百屋さんやら、チーズ屋さん,ソーセージ屋さんにまぎれて

ココナッツ屋さんがあります。

そこでベビーカーを押しながらココナッツを一つ割ってもらって

チュ−チューのみながら買い物をします。

こちら1個2レアル。だいたい60円〜70円の間でしょうか。

安い!

飲んだらまたお店に戻ってココナッツを半分に割ってもらって

ココナッツミートを食べるのがまたおいしい!

わたしもおちびもこれにはまってしまっております。

中身はこんな風になってます。

しかもスプーンとかついてくる訳じゃなく、

ココナッツの皮をそいでスプーンを作ってくれるんですよ

そのラフさがまたナイス!

こんな感じでばくばく食べます。

すっかりココナッツがお気に入りになってしまったうちのおちびさん。

毎日お父さんにココナッツを割ってもらって

おいしそうに飲んでいます。

いまではココナッツミートを自分ですくって食べる

ようになりました=)

この姿がかわいい=)

そんなわけで我が家では毎日がココナッツ。

ただし妊婦の私には南国ブラジルにいてもココナッツは

体が冷える感じがするので控えめに。

南国のフルーツ天国ではありますが、

毎日夏日でものすごく暑いのではありますが、

日本人の私にはやっぱり適量があって、それ以上は食べられない。

ココナッツを通してマクロビオティックの陰陽を

体で実感できたのもなかなか面白い体験でした=)

 

お白湯

最近お白湯を飲むのがマイブームになっています。

いよいよ寒くなってきた冬のブラジル、お番茶がおいしい

季節なのですが何故かふと「白湯」飲んでみようかなと思いついて

飲み始めるこれがまたおいしい!

確かアーユルヴェーダやる人はお白湯を飲んでるっていってたなと

調べてみると確かにお白湯はアーユルヴェーダでは万能薬として

飲まれているようで。マクロでいうお番茶的な存在ですね。

アーユルヴェーダではヴァータ、ピッタ、カパという三つのドーシャ

というのがあって、ヴァータは風(空)、ピッタは火、カパは水の

エネルギーを持っていると言われています。

アーユルヴェーダで飲むとよいとされているお白湯はこの三つのバランスが

とれた状態のお白湯をのむそうで、沸騰してから10〜15分気泡を出しながら

煮詰めたものを飲むそうです。水(カパ)を火(ピッタ)にかけて

沸騰させ気泡を出す(空)ことによって三つのドーシャをもつバランス飲料に

なるという優れもの。

またお白湯は毒素排出の力もあるそうでこのようにして湧かした白湯をポットに

いれて一日ちびちび飲むと言いそう。食前にもちょっと、食事中にも

冷たい飲み物は飲まないで暖かい白湯か常温の水がいいのですって。

こうすることで内臓があたたまり、消化吸収力もあがり、免疫がアップするので

健康によいとされているようです。

でも先ほど言ったように白湯はデトックス効果も強いので一日に800ccほどに

しておいたほうがいいとか。そうしないとかえって胃の消化液が薄まり弱くなったり

必要な養分も排出してしまうそうで。何事も適度に,体の声をききながら、ですね。

ともあれ、そういえば日本でもお白湯って昔は小さな子供の飲みものの

代表的なものだったですよね。わたしも子供の頃よく母が湯冷ましをつくって

くれて飲んでいました。また病人にもお白湯とかいいますよね。

煮沸した水が安全だという時代背景もあったかもしれませんがこうして

アーユルヴェーダの考えを聞いてみると、目に見えない部分でも

昔の人はお白湯がいいってなんとなく感じていたのかもしれませんね。

たしかに、番茶やハーブティーであってもお水のなかに何かしら

成分が含まれる訳で、そうなるといくらかでも飲めば陰性か陽性かの

影響を体に取り込むことになりますよね。でも白湯は水そのものに

熱を加えた物ですから、陰も陽も含まない。水自体は陰性の性質では

ありますがそれ以上には影響しない。という点で体が弱っている時や

敏感になっている時には優しく感じられるかもしれません。

そんなうんちくは置いといても、偶然飲み始めたお白湯。

最近は毎朝お湯を沸騰させるのが日課。そのお陰か寝起きもいいし

とても調子がいいです。

お湯が甘く感じる時はデトックスが進んでいる状態で、お湯が苦く

感じる時は体に毒素がたまってる状態だとかいいますが、幸い

毎日甘く暖かなお白湯を楽しんでいます。

蒸し暑い梅雨の日本ではありますが、この湿気でうちから冷える方も多いのでは?

と思います。そんな時にお白湯、けっこういいかもしれません=)

 

おいしい、について。

今我が家にはブラジル人のゲストがステイ中で

一緒に時間を過ごしているといろいろと面白い発見がある。

 

今朝一番下の子供にコーンフレークをスナックてあげていた。

この国では小さい子供にあげられるようなスナックが

ほとんど買えない。(日本のマクロビオティックを

基準にするのは到底無理なんだけど、一般的な日本人としても)

そんな中でもこのオーガニックコーンフレークは一応お砂糖も少し

使っているようだけど甘みはほとんどなく、フレークはしっかりと

かみごたえもあり、何よりこの国で一番難しいと思われる

穀物を食べているという感じがして私は気に入っている。

(というのも、ブラジル人はほとんど肉と野菜、クリームや乳製品で

満腹にするような食事が基本なので穀物を主食としていない。

確かに険しい熱帯ジャングルの環境で伝統的にも米や麦や雑穀が育つわけも

なくそれはそれでいいと思うのだけど)

ともあれ、うちのちびがそれを食べているとこのゲストの女性に

コーンフレークを差し出して「どうぞ」とあげた。

彼女は「Obrigada」といって食べるや否や、

「何これ?酷い味じゃん。どうしてこんなもの子供に食べさせてるの?」

と言った。

彼女の事を良く知る私達夫婦からするとなかなか面白い意見だった。

「だって、ケロッグとかもっとおいしい味するの一杯あるじゃない。

だいたいこんな酷いあじのコーンフレークなんて食べたこと無いし

どうして食べるのかわからないわ。確かに、ケロッグとかには変な人工甘味料も

使われてるけどでもうんとおいしいからね。」と続けたのだった。

 

「う〜ん。なるほど。」

私は彼女の意見が面白くて大笑いしてしまったけど彼女は大マジだった。

で、別にお互いに気分を害したりもしなかったのは、意見の違う人がいる

ことが当たり前のこの国の良さかもしれない。

 

ともあれ、私がそこで思ってたのは「おいしい」とは何か?ということ。

彼女はこんな甘くもないフレーク,馬の餌みたいなフレーク。とズバリ

言いのけた。

確かにちまたでヘルシーと言われている食べ物は時々本当に

酷い物があるかもしれない。けれどどこかで「これは体にいいもの。これは

オーガニックだから、これは高かったから美味しいに違いない。」という

マインドや思考で物を食べてしまうことが特に健康に気を使う人、ヘルシー

コンシャスの人には多いように思うし、もしかすると端からみれば

私もそのうちの一人なのかもしれない。そんな中で食に関してなんのこだわりも

持たない彼女のストレートな意見はなかなかおもしろい物だったのだ。

そう。こだわりを持たないということ。それが彼女の意見のなかで

もっとも信頼出来る部分だったのかもしれない。

そして、良い,悪い、のジャッジを無視して自分の好きな事を好きと言える

おおらかさも。

健康や良いことを、と思うほどに自分の素直な感覚から遠ざかっていることが

ないだろうか。

こだわりを持つことは美徳とされる部分も十分承知しているけれど

長所は常に転じて短所になるように、このこだわりもよく気をつけていないと

あっという間に自分の手綱をはなれて一人歩きしてしまうくせ者だと

私は思っている。

そういう意味で、このコーンフレークは美味しくないのかもしれない。

 

でも私はこのコーンフレークの自然な美味しさがとても好きだ。

健康かどうかをなくしても、オーガニックでなくても美味しいと思って

食べていた。だから私のおいしいと彼女の美味しいは多分ちがうところに

あるのだと思う。

 

また往々にして、ブラジル人のおいしいの感覚はマクロビオティックが中心の

味覚とはかけ離れているし、それを理解してくれる人は少ない。

彼女のように甘いなら甘い、肉なら肉。とはっきりとしてたっぷりと重みが

あって味がしっかりとしているものを美味しいと感じるようだ。

そんな時日本人の私にはうまみ,という物の感覚が日本人のおなかを満たす上で

とても重要なんだって気がついた。ブラジル人はタンパク質が十分な食事で

おなかも心も満たされる。日本人は出しやうまみの効いた味がないと

満足出来ないように思う。だから日本にはあんなに繊細に美味しい伝統の塩や

味噌や醤油があり、それがあれば食事のことが足りてしまうほどの満足感が

得られる。ブラジルではそういう美味しいじっくりと発酵させたり、

手間をかけた塩や調味料が存在しない。塩も醤油もただしょっぱい。

これは熱帯と温帯のお国柄の違いだろう。

そして日本人のわたしは穀物を噛み締めてうまみを,栄養を吸収して育って

きた。けれどブラジル人はそうではない。当然おいしいの基準が違ってくる。

 

我が家の子供たちはこのコーンフレークを食べたとき同じく

まずいといった。

オーガニックでももっと砂糖がたっぷりしているものがあるので

(いや、うちの子はケロッグでもうまいと言って食べるだろう。。

そこがまたおいしい。の秘密である。この美味しいの秘密を

食品会社はしっかりと捕らえているんだからすごい。)

そのほうが美味しいと思ったみたいだ。これは素直な意見だと

言えるだろう。この万人を一瞬にして「うまい」と思わしめる

人工的なうまさ、というのは本当に厄介だなぁと思う。

この罠にはまってしまいたくないなぁ、はまってしまって

ほしくないなぁと願ってやまない。

とはいえ、既に上の子達は10歳以上の子供ばかり、味も幼児期の子供が

食べる物とは変わってくる。この穀物感たっぷりの甘みのない

コーンフレークを美味しく食べてくれるのは末っ子のユニオと

私、そして穀物をしっかり食べて育った主人だけのようだ。

 

ともあれそんな風にして、今朝は「おいしい」ということについて

思いを巡らせていた。

人それぞれ違っていい。

良い、悪いのジャッジに自分がコントロールされずに

頭でなく心から

本当に自分な好きなもの選んでいけるのは素敵なことだ。

だけどやっぱりわたしは自然なものから

美味しいと思う物を選びとっていきたいと思う。

そして今はいろんなおいしいを体験中の子供たちにも

最後には本物が美味しいと感じてくれたらいいなぁと

願ってしまうのだった。