Food

青パパイアと大根

おはようございます!ブラジルは朝です。

さて、今日もアップされました

幻冬舎plus  「日登美のブラジル食便り」

今回は青パパイアのサラダをざっくりとしたレシピで

ご紹介しています。

 

ちなみにこちら、庭でとれたフルーツ達=)

 

肉食の多いブラジルではフルーツをたくさん食べますが

特にパパイアは人気のようです。しかもパパイアって実ると

どんどん出来る!しかも別にほっといても大丈夫なので

色んなお宅の庭でよく見かけます。

っていうか,食べた種をその辺にほっといたら勝手に芽が出て

いつの間にか大きくなってるってくらいよく育つという

印象をうけます。

 

ともあれ、そんなパパイアを使ったサラダ。

日本では大根でつくったらどうかなぁと思い提案しています。

やっぱりこれも身土不二。日本は魚を多くとる環境だから

大根で魚の毒消しになります。

ブラジル、肉食、パパイア。

日本、魚食、大根。

面白い方程式のようにみえますね。

 

こんな風に見てみると、その土地で食べる物は

その土地に必要な物、適したものが自然と育つのだなぁと

当たり前のような自然の偉大さに感心してしまいます。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

日登美『ブラジルの我が家 Família no Brasil!』

 絶賛発売中です〜=)

 

 

納豆!

日本から帰ってはや一ヶ月。

実はねいいものお土産に買って帰っていたのです。

ふふふ。それは保温機。

基本的にはヨーグルトを作る為の物らしいですが

甘酒や納豆もできるよってことでこりゃぁ欲しい!と

目をつけておったのです。

そんで買ってきましたよ。

タニカのヨールグトメーカー

そんでもってやっと作りましたよ納豆!

日本に行く前にも納豆菌持ってたからそれで作ってたんだけど

いかんせん保温機能付きのジャーが6時間とかで保温が切れちゃうって

いう簡単な機械だったので失敗することもたびたびたびあって

がっくりきてしまって。

やっぱり買ってよかったタニカの保温機!

めちゃくちゃらくちんだったわぁ〜

しかもた〜っぷりと。

早速できたてをお茶碗にいれたらユニオ君たら醤油もかけずに

むしゃむしゃ。

おにいちゃんに食べさせてもらってむしゃむしゃ。

ユニオ日本人合格です!=)

それに既においしいものが分かってるのは嬉しいことです。

 

ともあれ今夜は主人のさばいてくれた

ちっちゃいマグロの切り身の焼き魚に

モロヘイヤと梅干し、胡麻入の自家製納豆に

奮発して丸中醤油をいれちゃいます!

それに小松菜のみそ汁

ごぼうと人参と切り干しのきんぴら。

という夕飯でお腹いっぱい日本を感じましたとさ。

保温機万歳!

一家に一台保温機あると便利だよ〜!

 

 

夢の弁当

ブラジルに来てからというもの我が家の食事は随分変化した。

菜食で育ててきた子供たちには欲しがるだけ肉も卵もあげる。

マクロや菜食の枠を取っ払って、ただ子供が食べたい物を

出来るだけ作ってあげるようにしてきた。

それに伴ってお弁当も変わった。

今日はパスタがいいとか、サンドイッチがいいとか

どんどんリクエストしてくる。

もちろん玄米はやだからね〜と言われる=)

それでもいい。自分の欲しい物を欲しいと言ってくれれば

それはそれでいい。そう出来るか出来ないかは別にして。

でも言われて作るのと,言わずに分かってあげるのとでは随分

違うようだ。

「これ欲しい」と言われなくても、阿吽の呼吸で入れたてのお茶を

出せる熟年夫婦のように、子供たちの「欲しい」を

汲み取ってあげられたらいいなぁと思う。

 

ある時、子供たちに初めて鳥の唐揚げを作った。すると大好評で

大騒ぎになった。

なので長女のお弁当の日に朝から鳥の唐揚げに卵焼きに、と

いわゆる代表的なお弁当メニューを作ってみた。

朝起きてきて今日の弁当をチェックする長女。

すると

「あ。夢の弁当。。。」としばし呆然としながら小声でつぶやいた。

「?何が?」と私が聞き返すと

「これ、本物の唐揚げでしょ?卵焼きでしょ?それにサラダも

ついてるのでしょ?」

「うん。作ってみた。好きかと思って」と私。

「ほら〜やっぱり。すごい。これずっと夢にみてた弁当だよ〜

こういう弁当つくってもらえたら夢みたいだなって思ってたんだよ」と

長女。

「へぇ。。」と私。

ブラジルに来る前は給食もあって弁当を作る事も少なかった。

その前は菜食でお弁当を作ってきた。

今でも「あの頃の弁当にこんなおかずよく入ってたよね〜」と

木のワッパに持たせていた弁当の話題になる事がある。

それはそれで楽しい思い出らしい。

だけど、長女はその日作った弁当をずっと夢見てたのだった。

「きっとうちは菜食だからこんなのは作らないんだよね。」と

思っていたのだろうか。

どれくらいそのお弁当を食べたかったのだろうか。

どれくらいの間そういう風に思ってたんだろうか。

 

私も私で一生懸命出来る限り子供に寄り添って弁当を作ってきた。

私の判断で食べさせたり,食べさせなかったりしてきた。

それが子供たちを守り育てもしたと思う。

だけど。

「夢の弁当」の一言は私にずしっと響いた。

毎日夢見てばかりじゃいられないのもわかる。

欲しい物ばかり与えて言い訳もないだろう。

だけど、子供それぞれにそれぞれの必要があり、欲求があり

生きる道がある。

それに私は果たして本当に寄り添ってきたのだろうか。

 

たった一つのお弁当。ただの弁当。

毎日の御飯。ただそれだけだけど

それを皆で美味しく紡いでいくというのは本当に

難しいなぁと思った。

いや、本当は難しくかんがえることなんかないのかもしれないのだけど。

 

これからもいろんな変化をしながら、子供たちに,家族に

はっとさせられながら

台所の日々を紡いでいけたらいいなぁ。

 

 

豆腐と日本

大好きな穀物コーヒーにまったりとした豆乳を

注いでお茶の用意をする。

 

日本にいれば至って普通の午後のひとときだが

ブラジルではこんなひとときを至福と言わざるを得ない。

なんてったって,まず穀物コーヒーはここでは売ってるのを

見かけないから大変貴重な代物。

手に入れるにはドイツルートで飛行機に乗せて持ってきてもらう

ことになるという密輸気分すら感じられるこの穀物コーヒー。

そう簡単に飲む訳にはいかない。

けれど一度開けた缶を大事にしすぎてあまり長い間放っておいて

いざという時に湿気ていた。なんて事になったら悲劇なので

その辺のさじ加減も加味しなくてはならない。

 

 その上我が家の近所では豆乳すら売ってない。

豆乳と言えば訳の分からん添加物と甘味料や砂糖や

フレーバーや色々入った物しか売っていないのだ。

これは牛乳代わりに料理やお菓子作りに豆乳を

使いたい私としてはかなり頭がいたい。

以前はなんとか無糖の豆乳が買えたから何かの間違いだろうと

思い、何件ものスーパーを回り

「いや、きっと来週になれば入荷するだろう。」と

淡い期待を抱きつつもう半年が過ぎた。

ブラジル人は無糖豆乳は飲まないのか?

無糖豆乳が無くて料理は困らないのか?

地震のときや停電の時に懐中電灯がないと困るように

毎日無くてもいいけれど、いざという時

無いと困るもの、豆乳。

半年は長い。長過ぎる。

私はとうとうしびれを切らして自分で豆乳を作る決心をした。

そしてその記念すべき第一作目の豆乳がこの

穀物コーヒーラテに注がれたのだった。

 

まだ生暖かくとろっとクリーミーな仕上がりの豆乳。

2リットルほど出来た豆乳を満足げに眺めつつ

「煮て食おうか、焼いて食おうか」と鬼婆が

小僧さんをなめ回すように思案に暮れるもまた一興。

早速以前からやってみたかった豆腐を作り、残りの豆乳で

久々にマクロビ仕様のレモンクリームのタルトを作った。

初めて作った豆腐は食感こそいまいちだったものの,味は

あの懐かしの日本のまめまめしい豆腐の味。

ブラジルで売ってる豆腐は「豆腐」の顔をしていても悲しいかな、

やっぱり何処か豆腐ではない。

その点、豆から出来上がって姿を現したこの自家製豆腐は

郷愁の思いが込み上がるほど日本の味だった。

 

それにしても、豆乳にしろ豆腐にしろ,いざ自分で作ってみると

なんて手間がかかるだろう。こんなすばらしいものを

1つ200円くらいで売ってくれてるなんて日本の豆腐屋さんに

感謝状を送りたいほどだ。

日本を遠くはなれると日常のそこここで、

日本文化のすばらしさ、ありがたさに行き当たる。

そしていままで見えなかった姿を見た時に

遠く離れたこの地からどうかこの文化が消えないようにと

祈りたくなる。

こうして外国の不便のなかにあることで、

豆腐を作るチャンスを得て、

豆腐のおいしさを味わい、日本食のすばらしさを改めて

感じることができたことはありがたいことだと思う。

当たり前のありがたさと愛しさは

ある時には気がつきにくいものなのだ。

きっと日本人は一生に一回くらい豆腐を作り、味噌を作り、

納豆を作って,梅干しを干してみたら良いと思う。

自分の国の食べ物を自分で作ってみる。

たったそれだけのことで海外にいなくても

きっとなにか大きな発見を自分の内側にも外側にも

出来るんじゃないかと思うのだ。

こうして今日も日本の裏側で私の台所は日本の風を感じながら

紡がれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アボカド

待ちに待ったアボカドの季節到来。

ただ今道行く木々にはたわわにアボカドが実っている。

いつもそこを通りがかっては「一つ捥いでみましょうか」

という気分になるのだが一応柵で囲われている

誰かの敷地なので「やっぱりだめよね。」と自分に

言い聞かせあきらめる。

何故か外国にいると良くも悪くもいつもの自分の常識のたがが

外れるような事がある。

例えばもし日本にいたなら絶対食べないようなジャンクフードも

率先して食べてしまえたり、知人の話だがとても真面目なおばあちゃんが

外国に旅行に行った時になんと車に乗って走り行く道すがら

ゴミをポイ捨てしていたという。恐るべし外国という名の魔。

いつもなら絶対しないのに、何故か心が緩む外国暮らし。

そんな日常と非日常の狭間でつい他人の柵の中のアボカドを

捥いでみたくなる今日この頃なのだ。

 

あぁ。いけないとはわかってるのに目はアボカドを捕まえる。

別れを決めたのに捨てきれない恋人の思い出のごとき

ブラジルのアボカドたち。頭の中では松田聖子の「抱いて」

が流れている。How can I stop loving you?

アボカドひとつでここではラブストーリーがうまれる。

多分暇なんだろう。

あんなに実っているのに誰も見向きもしない

この柵の中のアボカドパラダイス。

誰が収穫するのか、それともしないままなのか。

行く末が気になりつつ今日も後ろ髪を引かれながら

その場を立ち去る。

 

そんな酷い人目惚れのようなアボカドの旬。

いつか家をもつなら絶対1本うちに植えようと心に決める。

ほかにもマンゴー、パッションフルーツ、ジャブチカバ、バナナも絶対。

と夢は膨らみ想像は遥か彼方へ歩き出す。

 

そうこうしながら甘く苦いアボカド熱の時間を噛み締めていると、

仕事帰りの主人が友人の家から山のようにアボカドをもらってきた。

渡りに舟とはこのことか。

「まぁ、こんなに沢山!」遠距離恋愛中の恋人が

やっと再会したときのような喜びに鼓舞しながら

ずっしり重たいアボカドをかごのなかに納める。

まだブラジルに到着したばかりのころに旬の終わりを

迎えたこのアボカドを頂いたのを思い出す。

日本で見る物の3倍も4倍もあるかと思われる大きく

ずっしりしたアボカド。

食べるとクリーミーで甘く、ねっとりとした油を含み且つ

フレッシュなプラーナを放つこのアボカドに今までの概念を

覆されたような思いがしたものだった。

それが目と鼻の先の庭でもちろん無農薬無肥料で

ブラジルの照りつける日差しと大粒の雨を吸い込んで

こんなに立派に育つのだ。そんな自然の恵みの驚きと喜びを

初めて直に体験したものこのアボカドだった。

その頃彼女の庭のアボカドの木には今期最後の力を

振り絞ったようにわずかな実がぶら下がり旬の終わりを告げていた。

それでも初めてアボカドの木を見た私たちは大興奮していたし、

子供たちは木に登り、身をかくすように穫られにくそうな場所に

残されたいくつかの果実を収穫させてもらい大喜びしたのだった。

あれからもうすぐ一年か。

 

初めて見る旬真っ盛りのアボカドの木には何だか想いがひとしおだ。

私たちもこのアボカドのように自分の内に毎年見えない果実を

実らしていけるだろうか。

こうして次から次と季節ごとにたわわに実るブラジルの木々に

私は今も魅了され続けている。

 

 

フェジョアーダ

若い頃はよく色んなレストランに御飯を食べにいって

イタリア料理だの、フレンチだの、タイ料理だのと

色々食べていました。

どこの国の料理もとても美味しくて,フランスパンを食べて

チーズを食べてワインを飲んで「あ〜毎日でもいいわ!」と

思ったり、いまでもタイ料理のスパイシーさは大好きで

パクチ−毎日でも!とか思ったり、

インド料理も大好きで食べにいくといつも「インドに住みたい!」とか

思うんだけど,結局どこの国の御飯も3日、いや一週間も

食べ続ければ「やっぱりもういいです。」と思うのがおちでした。

やっぱり日本に住んで、日本にいれば御飯とみそ汁ほどおいしい物は

なく、毎日食べても飽きない最高の献立だと思ったものです。

 

そしてここブラジルにもそんな御飯とみそ汁に匹敵する最高の

献立があるのです。

フェジョアーダもしくはフェジャンオ(フェジョンともよぶ)という

マメの煮込みに細長いタイプの米、コーヴィというキャベツより固い葉っぱの

炒め物コーヴィマンテイガ(コーヴィのバター炒め)に

バタタパーリャというポテトチップの細い物をトッピングし

オレンジを添えて出されるこのメニュー。

多少の差はあれどだいたいどの家庭でも一日の何処かで必ず食べられる

日本の御飯とみそ汁定食のような物です。

みそ汁は魚で出汁をとるけれど、フェジョアーダは

マメにベーコンや牛肉をちょっと

加えて煮込み,出汁代わりにして作ります。

コーヴィのバター炒めはほうれん草のおひたしのブラジルバージョン

というかんじでしょうか。

どれも日本に比べると油も多いし、ガッツリしてるのですが

ここブラジルで食べると不思議とちょうどいい。というか

とってもおいしいのです。

そうはいっても、基本菜食の我が家でははじめはなんとか

菜食バージョンで作ってみようとやっていたのですが

なんだかそういう工夫が返ってこの美味しさの何かを壊してしまう

ような感じがして思い切ってこの本物バージョンを作ってみると

なんだかすかっとした美味しさがあってブラジル!って感じがして

とても好きになりました。

ここに来た当初は御飯とみそ汁をよく食べていたのですが、最近では

みそ汁とフェジョアーダが半々くらいの割合に。

「今日の昼ご飯何?」の質問に

「今日もフェジョアーダだよ」と答えると

「いえ〜い!」と喜ぶ子供たち。

日本では毎日みそ汁,ブラジルでは毎日フェジョアーダが

最高だ!

風土にあった食べ物,その土地の伝統食ってやっぱりおいしいなぁと

思うのでした。

 

 

 

うどん

昼ご飯にうどんを打つ。

夜御飯に麺を仕込む。

ブラジルに来てから私の台所仕事に麺作りが加わった。

はじめはなんかめんどくさそうな気がしたのだけど

中華麺の作り方を見ていたら,中国では小麦粉でいろんな

物を作る事を知った。

そういえば当たり前ではあるけれど

肉まんなどの蒸し物や、餃子、そしてラーメンに和え麺など

全て小麦粉一つから作られている。

そんな家庭料理の在り方をみているうちに、麺というハードルが

グンと下がった気がしたのだ。

日本人が毎食お米を炊くように、中国では毎食麺を作る、粉をこねる。

なんだ、私たちと一緒じゃないか。

自分の習慣は簡単そうに思えるのに、やったことのない

人の習慣は難しそうにみえるものだ。

けれど一度それが板についてしまえば習慣となり当たり前になる。

その一歩を踏み出すが留まるか,それだけの違いだ。

 

まぁそうはいっても、毎食はできないし、お米の方がはるかに

体になじんでいるけれど

「あ、今日はうどんつくろっかな。」という言葉が気軽にでてくるように

なるのは嬉しい。

しかもうどんってやつは、繊細じゃないからありがたい。

粉をわしわしこねて、寝かせてまた伸ばす。

切るのだってなんとなく同じになればいい。

蕎麦のように麺が均一でなくてもおいしくできるからありがたい。

私たち夫婦は二人とも麺をうつのだが、

私は断然うどん、麺派だ。

そして主人は断然蕎麦派。

性格の違う夫婦って言うのはこういうところでも役に立つ。

というわけで最近は専ら私が麺担当となりわしわし

粉を捏ねておる訳です。

 

またそんな新しい習慣の背中を押してくれたのはブラジルの食事情も

あるだろう。

私の住んでいる街ではそんなに日本の食品を買えないし、

乾麺はあっても生麺、中華麺、ましてやうどんなど

売っていない。

はじめはなんて不便な街なんだ!とがっかりした物だったが

そういうときこそ発想の転換。

なんとかある物で作ればいいじゃんってことになる。

追いつめられれば結局人は何でも出来るんだろう。

昔の人がよくクリエイティブでいられたのは物がなかったからだ

なんて聞くけれど,それは本当だなと最近よく思う。

ハングリーであるということは自分を随分飛躍させてくれるものだ。

実際、本来怠け者のわたしもこのハングリー、不便という状況の

お陰で随分いろんなことができるようになった。

 

ともあれ、こうして麺を自分で作るのが楽しくなってきたのも

この不便の賜物。

ありがたきブラジル不便ライフ。

しかもコシのあるしっかりしたできたての麺を食べられるこの

幸せ。自分の手で作ったという達成感。

ビバ不便。ビバ小麦粉。

ちまたではグルテンフリーなんてことが流行っているし

アンチエイジングには粉物が大敵だって事,百も承知だけど

自家製麺にはそれをしのぐ魅力があるのだ。

 

こうして今日の昼もうどんをこしらえた。

ただのザルうどんなのにみんなどんどん食べる。

4人前で600gのうどんを作ったのだけど予想より無くなるのが早い。

何故かと思ったら、赤ん坊と思っていた一番下の坊やも

エンドレスでうどんをほうばっていたのだった。

もう彼も一人前に勘定しなくてならないのだろう。

これから一体一度にどれくらいうどんをうったらいいのだろう?

途方に暮れるような気持ちと何処か懐奥深く満たされるような

嬉しさとともに今日の昼ご飯は過ぎていった。

 

日曜日の風景

日曜日の朝、毎週恒例のオーガニックマーケットに買い出しに

出かけるため、まだ寝ていたい自分に喝をいれて布団からでる。

ブラジルは初冬。

こんな時コーヒーの香りに包まれながら自分のバッテリーが

起き上がるのを待てればなんとなく格好つくのだろうな、と

思いながらコーヒーが飲めない私はカーテン越しに犬達が餌を待っている

気配を感じつつを既に朝焼けの終わった空を渋い顔で見つめる。

子供たちが一人またひとりと起きて来る。

寝起きで既にテンションの高い子、朝ご飯の気になる子、

取りあえずハンモックに座って昨日と今日の境界線を越えたという

ことを納得しようとするように佇む子。やっぱりまだ起きてこない子。

気配と気配が合わさりながら一日が始まる。

どんよりと眠そうな空の日曜の朝。

けれどブラジルの天気は朝にどんよりと曇っていても、気がつくと

あっという間に機嫌がよくなり見事な晴れ間をみせてくれる事も多い。

今日はどうだろう?と天気の心配をしていながらも、結局どっちにしたって

洗濯機をまわさない訳にはいかないのだということに気がついて

急いで山のような洗濯物を洗濯機に放り込む。

「ウ〜ン」と言いながら洗濯機も動き出す。

洗濯機でさえ日曜の朝は億劫そうに働くものなのだ。

 

そうこうしてるうちに眠気も覚めて買い物の支度をする。

さて、そろそろ行こうか。

 

平日と違ってすいている高速を走るのは気持ちいい。

わたしもここで運転が出来ればいいのになぁとふと思う。

「早く免許を申請しないといけないんだよなぁ」と頭によぎり

急に休日気分は興ざめする。

よりによって日曜日にブラジルの役所仕事なんて世界で一番

めんどくさい事の三本指に入りそうなことを思い出したくない。

気分を取り直しゆっくりと景色を見ながら重たそうに沢山の実をぶらさげる

アボカドの木を見つけては誰が収穫するのか、それとも収穫しないのか、と

言った私にはおよそ関係のないことに思いを巡らしてみる。

いつもと同じ道を走りながら運転をする主人となんと言う事もない会話をしつつ

気分は再びいつもの日曜日に戻って来る。

走行しながら20分ほど走ってるとマーケットのやっている公園に到着する。

野生のカピバラがそこここで見られるこの公園

「日曜日、オーガニックとカピバラと」

なんだか一句詠めそうな牧歌的な雰囲気である。

 

やや出遅れたのか既にマーケットはにぎわっている。

小さい規模で数件しかないマーケットだけどここでは

大根に里芋、小松菜、かぼちゃにしめじにらなど

日本の野菜をオーガニックで買う事ができる。

 

ちらほらと聞こえて来る日本語と日本人客とちょっと

ブラジルの発音になってる「caqui(柿)」やそのままの「小松菜」

の名前に微笑ましさを覚えつつ、やや郷愁にひたる。

「小松菜はどうやってたべますか?」と聞いているブラジル人の奥様を

横目に「あ〜小松菜ね。知らないんだぁ〜」と心の中でかすかな

優越感を抱いたりもする。

ブラジルという海流と日本という海流が私の心の中で潮目のように

合流するこのマーケットのカオス。

 

ほぼ一週間分の野菜と果物に加え、

前回作ったキムチのおいしさに味をしめ、白菜を4個も買い

これまた前回あっという間になくなってしまったタイカレーペーストを

作るべくレモングラスにコリアンダーにと買い占め

気持ちがいいほど大量の野菜を手に家路に着く。

 

一日3食の食事を6人分,離乳食、おやつも時々作って

台所は休む暇を知らない。

意気込んで買い占めた野菜たちを四苦八苦しながら冷蔵庫に

しまい、よせばいいのに今日もその上三度の食事以上に料理を

しようとする自分にあきれるのだった。

 

昼ご飯前の微妙な時間、今日は機嫌を取り直さなかったのか

外は雨が降り出している。

買い物から帰ってきた騒々しさも、天気の悪い日に閉じこもる

子供たちのやかましさも、雨が全てを吸い込んでにわかに静けさと

落ち着きが訪れる。

そのタイミングを計ってか否か、それとなく主人が「やろうか。」

と言って本日の夫婦共同作業タイカレーペースト作りが始まった。

 

ひたすらににんにくの皮をむくわたし。スパイスを計量する主人。

ライムの皮。こぼれたクミンシード。しょうがの香り。

薬剤師のように黙々と作業は進む。

部屋中にアジアの香りが広がる。

にんにくの香り、ターメリックの黄色、ブレンダーは回る。

しとしとと寒空に降り注ぐ冬の雨のブラジルに

東南アジアの暑く湿った人懐っこい風が吹く。

真夏の太陽をつれてくるような香りが全てを吹き飛ばす。

これだから料理はやめられない。

 

一言も言葉らしい言葉は交わさないが阿吽の呼吸が心地よい。

カレーペーストの工程を共有しているだけなのに

こんなに夫婦関係が穏やかで刺激的で親密に感じられるのは

なぜだろう。

時折目を合わせてはその進み具合に、できばえに「うん」と

うなずき合う様はどこか神事のような趣もある。

それぞれに進む一つの作業、一つの工程が二人の手によって

なされ、時々確認され、あるときは一つの鍋で,あるときは

一つのボールに、あるときは瓶に詰められ出来上がる。

この工程は何かに似ているような。

こうして今日も大きな瓶にビッチリ詰まったペーストができ

あがる。私たちの達成感はクライマックスに至る。

 

アジアの香りを漂わせ、カオスと化した台所。

シンクの辺りに散らかったにんにくの皮に、ターメリックの黄色が

しみついたヘラ、心の穏やかさとは別に戦のあとのような有様を眺める。

どこか自分を見るようで親近感がわく。

気がつけば昼をまわり、おなかをすかせた子供たちが

朝の残りの蒸したジャガイモをほおばりながら

ポルトガル語でふざけあう。

半年前には見られなかった光景なのに

もうすっかり前からここにあったような気がするのは

このしっとりと全てをなじませる雨のせいなのか。

 

瓶をパントリーにしまって、カオスを片付けてしまうと

台所はいつもの顔をみせる。

床に転がる4個の白菜に今日は出番は回ってこないようだ。

ふたたびアジアの残香漂う台所に立つ。

さて急いで昼ご飯を用意しよう。

落ち着きと、騒々しさと達成感と刺激的な香りを振りまく

日曜日はこうして過ぎていく。

 

おやつ

ブラジル人はチョコレートが大好き。

とにかくおやつはチョコレート。

子供たちの通っているシュタイナー学校も例外でなく

毎週学校で開かれるのオーガニックマーケットに行けば

親御さんの手作りチョコレートケーキ販売に長蛇の列。

まだ2歳くらいのよちよち坊やが片手にでっかい

チョコレートケーキをもってかじりながら学校の中を歩いている

光景などはじめは驚いたものですが今ではもうすっかり

慣れてしまいました。

日本人の私たちがNo life No rice(米なしの人生なんてあり得ない)

ならば,ブラジル人はNo chocolate no lifeといったところでしょうか。

とはいえ、そんな光景をみて

「うちの子なら、2歳で絶対片手にチョコケーキはあり得ないよね!

ユニオには片手におむすびもって歩かせよう=)」と子供たちと

話しておりますが。

 

けれどそうはいっても周りがこれだけチョコレートを食べれば

子供たちも欲しくなります。

そしてここでは不思議なものでチョコレートがすごく食べたくもなるのです。

コーヒーも名産地なので飲めないくせにコーヒーも

飲んでみよっかなんて気にさせるのがブラジルです。

そして普段お酒を飲まない私でも、

「カイピリーニャ飲みたいなぁ〜」なんて淡い憧れを抱かせ

授乳中である事を思い出し、「がび〜ん」と思わせるのがブラジルの

雰囲気のマジックです。

そう。

この国では快楽、喜び、楽しみということを満喫するために

みんな生きているという感じがするのです。

頑張る、我慢する、努力する、禁欲的という日本人的な発想は

この国には似合いません。

そして、コーヒーのかぐわしさ、チョコレートの魅惑のテイスト

すばらしいトロピカルフルーツのカクテルなどはそれを体現してる

この世界からのギフトのようです。

だからこの味を知る事は人生の喜びという風に思えます。

けれどその甘い喜びは刹那で強力。それ故に反転して毒にもなる。

どんな物にも裏と表がある。

美しい花に毒があるように、甘い魅力には罠があるように

このすばらしい地球の贈り物にもそういう世界の逆説が

含まれているのも事実。

こうやっていろんな美味しいを体験するのも人生をうんと

広げてくれるなぁと思う今日この頃なのです。

 

そんなわけで魅惑のチョコレート大国ブラジル。

私たちも時々楽しんでおります。

こどもたちにとってはちょっとしたチョコ解禁。

これは我が家のレボリューションといってよいでしょう。

そう、ここでは食卓の上でも様々な革命が日々起こっておるのです。

けれど残念なのはこれだけチョコが好きな国なのに

美味しいチョコレートが売っていないこと。

せっかくのチョコ解禁にこれはかなり残念。

原材料をみると訳の分からない添加物が一杯で本当に参ります。

たしか原材料のカカオもここでとれるはずなのになぜ?と

思ったら、どうやらこの暑い気候と未発達の技術のせいで

添加物をいれないと遠くまで運べないとかそんなわけがあるそうで。

なんなら自分で作ろうかとも思うのですが、ローフードのチョコを

作ろうとするにはまた他の材料が足らず。

なかなか思うようなチョコライフは送れないのが現状。

う〜ん惜しい!

 

ともあれチョコに魅せられている我が子達ではありますが

秋深まるブラジルでは乙女はやっぱり

芋、栗、ナンキン、トウモロコシなど

甘い野菜が欲しくなるのですよね〜

子供の頃からよく食べてる味ってのは

体にしみ込んでいるせいか、チョコ大国でもそこはかわりません。

こっちでは日本のようにトウモロコシは甘くなく

初めて食べたときは「これは動物の餌じゃないのか?」と

思ったのですが何度も食べるうちに古来種のとうきびのような

素朴なうまみさえ感じられるようになり、日本の極甘のトウモロコシの味など

忘れ今ではブラジル産トウモロコシをがしがし食べる子供たち。

 

そして生まれて初めて食べるピニャンウというブラジルのナッツ。

松の実の種の大きいものでもちっとしていて、ナッツというより

銀杏みたいな食感。ほんのり甘い穀物のような感じがまた

たまらなく美味しくて恋しかった栗をしのいでただ今我が家の人気

ナンバー1に。

こういう土地のおいしい物との出会いも嬉しいものです。

お肉に添えたり、ケーキにいれたり、はたまた栗ごはんのように

混ぜて炊いたりと色んなレシピがあるようですが子供たちは圧力鍋で

茹でただけのピニャンウが好き。

茹でたてのあつあつを皮をむきむき散らかしながら

食べる昼下がりのブラジルってのも乙なものです。

 

強烈な魅惑の味を振りまくチョコレートに

噛むほどに味わい深い素朴な魅力を醸し出すピニャンウ。

いろんな美味しいを味わいながら子供たちは世界を広げる。

おやつからみたブラジルも様々な魅力でいっぱいのようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

料理

毎日毎日料理する。

朝昼晩と、時々さぼって時々全力で

のんびり気長に繰り返す。

国が変わっても食べる物が変わっても

作る物が変わっても

誰かの為に自分のために料理する。

 

例えばブラジルで近所の人に頼まれてお寿司を作ったり

あるときはラザニアの残りで自家製パスタを作る。

目指すは無駄なく最後まで美味しく,食べる,作る,食べるの

繰り返し。

けれど干したパスタは朝には半分くらい乾きすぎて落ちていた。

無駄をしない為の苦労が無駄を呼ぶこともまた日常。

だけどドンマイドンマイ。

 

毎日の仕事は簡単そうで大変で

台所で疲れて,台所でまた元気になるのも

本当のこと。

ドイツから両親が遊びに来てくれて大家族になったとなれば

大勢人が集まった時に作ることが多いという

streuselkuchenが我が家の新しいレシピに加わったり。

新しい出会い、発見の日々。

そうかと思えば、ブラジルでは今が旬のハイビスカスで

漬け物を作る。

懐かしさと冒険と。

味は柴漬け。見かけはラテン。

ジャパニーズブラジリアンはまるで我が子のような。

こうして

日本人の私の手によってドイツ人の主人の文化と

ブラジルの食材と環境で

インターナショナルな食卓が繰り広げられる。

それでもいただきますとごちそうさまの習慣は変わらない。

箸の文化、フォークの文化

醤油と、スパイスと

色々あわさって彩りはますます豊かになる。

我が家の新しい文化が生まれる。

「変わる」は「育つ」の印。

育てば変わる。

 

こうして今も食卓は自在に変化し続ける

時々進んで時々休んで時々走りながら。

諸行無常もまたここに在り。

されど変わらず在るものを大切にして。