Kids

子育てと台所

まだまだ味噌つくりの日々です。

 

なんせ麹から作っているので毎週何キロか麹を作って保存。

をくりかえしての作業。その上毎日のお食事もありますから

あ〜もう忙しい!なんでこんなことやってんだ!と

思わなくもないですが。

「6人分の御飯も作って手作り味噌におやつにすごいよね〜」

とおっしゃていただくこともありますが、実は味噌つくりは

最大のずぼら、と思っています。

というのも、確かに大変〜って思うこともありますよ、今は。

でも今日一日、今月一ヶ月を味噌に集中すれば一年は美味しい味噌

が食べられる。

味噌さえあれば、食事ってなんとかなっちゃうでしょ?特にこどもが

小さいとね。御飯とみそ汁、それでなんとかなるじゃない?

まぁうちの場合は大きい子もいっぱいいるからそれだけでなんとか

ならないんだけどね(爆)

 

完璧にいろいろ作ろうなんて思わないし、そんなことできない。

これだけやることがいっぱいあれば手を抜かないとやってられない。

でもだからって健康的に手を抜けないわけじゃないと思うの。

味噌つくりは手抜きの一歩。インスタントラーメン食べさせる時に

ちょっと自家製味噌を加える。おやつにキュウリや人参スティック

だけど自家製味噌をつけてみるとか。

手をかけないなりに、手をかけてる物と一緒に献立すれば

ストレスにならずに手を抜いて、罪悪感もなくなるし(笑)

 

目指すはシンプルで手抜きできるヘルシーな食卓。

でもね、やっぱり味噌つくりには時間もかかるし、今年は

6キロの豆で米味噌を作って、自宅のキッチンでは一回に1キロずつしか

豆をゆでられないから丸一日かかっちゃった。

ちびくんたちは味噌玉投げるのが好きですごく楽しみにしてたん

だけど、待つ時間の方が長いという。。。

ちょっとかわいそうなことになってしまいました。

 

「ねぇ、ママと遊びたいな。」と言われることの多い味噌つくりの時期。

台所で子育てするのも大事なんだけど、やっぱり子育てってそれだけでもない。

買い食いして夕飯パスしても、一緒に保育園の帰りに公園で暗くなるまで

遊ぶ方が大事って思うこともある。そうしたい!って思う日もある。

だから台所と子供との時間とバランスが大事だなぁといつも思う。

 

自然育児とか、台所育児とか、素敵なコンセプトなんだけど

って私が大事にしてることなんだけど、実はそれよりもっと大事なことは

やっぱり、やっぱりこれにつきる。

目の前の子供にむきあうこと。

自分の大事なことに向き合うこと。

その二つのバランスをとること。

子育ては自然の中にいればなんとかなるわけでもないし、健康的な食事

作っていればなんとかなるわけでもない。それらは子育てのサポートに

なるけど、元は子供とママだよね。

 

というわけで、今月は味噌に命を懸けてきたから(笑)

来月は家事をさぼって子供とたっぷり遊びたいとおもっております。

 

 

 

 

 

 

引き継ぐもの

久しぶりに双子の片方がおなかをこわして学校を休んだ。

おなかがいたい人にはおかゆ。梅干し、そしてりんご葛。

リンゴジュースに少々の塩、そして葛粉。とろとろとあたたかい

リンゴジュースの葛湯はあたたかくても美味しく、葛をやや多めに

入れて作れば冷めてもプルンとゼリーのようになり贅沢なおやつ

になる。

葛は体温調節や、陰性陽性療法の排出を助ける。熱がこもれば

放出を助け、体が冷えれば暖めてくれる。

一般的に料理ではスターチで代用されることが多いが、

私は葛の独特の食感の素晴らしさもさることながら、

この根の物の薬効、不思議な力に魅せられて確かに高価ではあるが、

必ず台所に常備している。

そんなわけで、ちょっと熱っぽいなとか、だるくて食べれないなとか

おなかこわしてるなって言う子にはこの葛りんごを作って

あげることになっている。

そしてこの「お薬」は大変美味しいのでどの子供も風邪をひいたが

早いか嬉しそうに台所でりんご葛を堂々とせがむ。ほかの子供の

羨望を一心に集め、ややしんどそうな面持ちでりんご葛をすすり

ながらも風邪の優越にひたるのである。

 

上の子供たちが小さいときからもうずっと風邪は家でお手当

をして乗り切ってきた。しょうが湿布に、こんにゃく湿布、

オイルマッサージ、足湯、愉気、梅醤番茶に、葛、大根湯などなど。

ありがたいことに子供も元気で自然治癒力と自然療法だけで

普通の病院にお世話になることはほぼなかったし、外国にすむ

ようになって4年以上経つがまだ一度も病気で病院にいったことはない。

我が家では風邪をひいたらまず、台所で手当てをすることになるのが

当たり前になっているし、風邪の予感が在る時に手当てをしてしまう

ので病院に行くほど大事に至らないのかもしれない。

 

ともあれ、台所で日々御飯をつくる、献立を考えるのと同じ様に

体のメンテナンスを考えたメニューや薬に近い料理、メニュー、手当て

も含めて我が家の台所は回転しているから、今ではどこまでが手当てで

どこまでが食事なのだかわからない。

医食同源とはよく言うけれど、我が家の食卓はそれが大きなコンセプトに

なっているのかもしれない。

 

ともあれ、おなかをこわした双子君にいつものようにリンゴ葛を作って

あげた。

「何食べれる?」と聞くと「わかんない」という僕。

「りんご葛がいいんじゃない?」というと「うん!たべたい!」と

そんな流れでりんご葛を作り始めると双子の僕がこんなことを言った。

「ねぇ、これがうちの引き継ぎのものじゃない?」と。

「?引き継ぎ?」ちょっと意味がわからない私。日本語でうまく出て

こない様子。

「よくあるじゃん、これが我が家に代々引き継がれてきたものですとかさ」

と僕。

「あ〜代々受け継がれてきたものってこと?」とわたし。

「そう!そう!なんかずっと作ってきてみんながずっとやり続ける

っていうことでしょ?りんご葛ってずっとそうだよね。」とぼく。

「なるほど。。。」

いつか我が子達が誰かにリンゴ葛を作ってあげる時がくるんだろう。

 

ともあれ、我が家ではりんご葛が代々受け継がれていくものなのかぁ。

と嬉しいようなおかしいような気持ちがしながらも、

りんご葛とともに乗り越えた数々の病気の思い出や

手当てをしてきた日々が引き継がれていく様子に

心がほっこりするような、くすぐったいような気持ちが

したのでありました。

 

(ちなみに写真は双子君がまだまだばぶばぶ期のもの。

10年くらい前なのかなぁ。確かにずっとリンゴ葛なんだな、と

改めておもったりして(笑)

 

 

 

 

 

 

誕生日会

先日娘の好物のバナナマフィンを一杯焼いて

末娘の誕生日会で保育園に行ってきました〜

こちらのマフィン。我が家のちびたちの一番人気。

砂糖を使わず、バナナと少しのメープルシロップの甘みに

小麦粉はスペルト小麦で作ります。

卵なし、でもフレッシュなオーガニックバターを加えて

なんとも素敵な薫りを放つ自慢のマフィン。

今日は特別に、ラズベリーをアガベシロップで作ったジャム

と一緒にトッピング。

保育園向けなので、あくまでもシュガーフリーにはこだわります=)

ご覧の通り、どのお子さんにも大人気=)

もう食べていい?!まだダメ!の様子が可愛かった〜

 

誕生日の朝に保育園に行くと。。

「おめでとう!2歳だね〜!」と先生達が次々と

娘にハグ=)

実際、誕生日って何かもわかってない娘は、「?」と

不思議顔。でも今日はなんだか私特別らしい、というのは

分かった様子。

おめでとうの嵐のあとに先生は私のところにやってきて

「日登美おめでとう!お母さんも2歳おめでとう!」って

一緒にお祝いしてくれました。

子供の誕生日って実は、お母さんにとってもお母さんになって

何年目、の誕生日なんだよね。

 

最近思うのだけど、先日のお弁当の記事にもかぶるけど、

子供の誕生日、子供のために、子供の勉強〜学校〜って

いろいろ子供の為にやってるとおもってたことって、以外と

自分のためでもあったりして。

子供におめでとう、っていいながら。子供がありがとうって

いいながら、わたしも自分におめでとう。そして元気に育って

くれて、育てさせてくれて、周りの皆様にも、ありがとう。

そんな気持ちになるのがお誕生日だなって。

子育てって親からの一方通行じゃないんだよね。

 

まだ2歳で誕生日を喜ぶとか、プレゼントが嬉しいとかいう

年でもない娘。

しかも当日はパパは出張で起きたらいない。

子供5人とわたしだけ。その日は保育園のマフィンだけで

家では特別なことは何もしないなぁって思ってたんだけど

夜になって上の子がみんないて、お夕飯のあとになって

ロウソクを灯そうよ!ってことになり。ロウソクをつけたら

皆が輪になって末っ子を囲み、誕生日の歌のカノンをはじめ

ました。

まずはドイツ語で、カノン、そして日本語バージョンで。

そのあとに英語でハッピーバースデートゥーユーの歌を。

次にそのポルトガル語バージョン。最後はやっぱりドイツの

誕生日の歌でしめる。

かれこれ5分くらい歌ったの?我が家の誕生日ソングは

いろ〜んな国の言葉と歌で祝います。

さすがの娘もこれには大喜び。思いがけないプレゼントとなりました。

形のないプレゼントっていうのもいいよね。

その後、今は日本に住んでるお姉ちゃんからも誕生日カードの

サプライズもあったりして。

子供たちの想像力と行動力で思いがけず心に残る

2歳の誕生日となったのでした。

 

 

お弁当

長女が日本の高校に通う様になって一年経とうとしている。

なので今の我が家は子供が5人になった。

日常的なお世話が一人分減ったから子供が5人という気持ちが

するけれど、やっぱり母親のお世話というのは目の前のことだけ

ではないんだなぁと最近思う。

意識というか見えないところではいまだに何かをしている気持ちが

するからだ。そんなことを言えば長女は顔をしかめるだろうが(笑)

御飯を作る、洗濯をする、宿題をみて、習い事につきあって、

それだけでないのがお母さんなんだろう。

 

そしてふと娘はもう当分うちに帰ってくることもないんだ、と気がつい

た。

今頃?と言えばそうなんだけど、高校で日本に送り出したときから

そうなることになっていたはずだけど、やっとその実感がわいてきて

「もう暫くは、もしかすると一生一緒に暮らすということはないのかも

しれない」

ということが頭ではっきりと文字となって浮かんできた。

もちろホリデーや何かあれば一緒に時間を過ごすことはあるだろうけど

そのときには我が家は既に彼女にとっては仮の宿という存在になって

いるのではないかとおもう。

 

娘は巣立ったんだ。

まだ仮に、ではあるけれど。

そう思うと、いままで当たり前に過ごしてきた時間が急に

懐かしくなった。あっという間だったなぁと。

心にぽっかり穴があいたような気持ちはしたものの、

不思議と寂しさとか後悔の気持ちはわかなかった。

その気持ちを助けたのは中学最後の日のお弁当だった。

娘の好きなものだけをいれたお弁当。既に私が何を作るかも

娘には予想済みで「やっぱりね」と特にびっくりするような

弁当だったわけじゃないのだけど。

そのとき既に「これで最後の弁当か」という気持ちはあって

その思いの為に私にとっては忘れられない弁当になった。

というか弁当はただのその象徴であったかもしれない。お弁当を

通してわたしは何かやり遂げた気持ちがしたのかもしれない。

 

ともあれ、たいした弁当作ってきた訳でもないし、寝坊してパンを

買わせた日もあるし。何もなくてすかすかの弁当だった日もあるし。

詰めすぎて食べきれない!と叱られたこともあるし、

思い出せばほんとにすごいことなんて何もなかったと思う。

子供にしてみれば母親がお弁当を作るのは当たり前だろうし

「それがどうした?」っといわれるだろう。私もお弁当生活の

長かった少女時代を過ごしたけれど、母親にきちんと感謝した

ことなんか大人になるまでなかったと思う。

自分が母になった今になってやっと、母がどんな気持ちで作ってきたか、

どんなに大変だったかなど想像することもできるのだけど。

今回巣立ちつつある娘を思った時に、お弁当のもつもう

一つの意味に気がついた。

 

わたしにとってお弁当を作り続けさせてもらえた日々こそが

娘と私との絆の証だったのだと。

お弁当を作らねばならない環境が億劫だと思うこともあった、

やっぱり毎日早起きで大変だなぁと思うこともあったのだけど、

もしもお弁当を作っていなければ気がつかなかったことが沢山

あったんじゃないか?もしもお弁当を作っていなければ考えて

やれなかったこともいっぱいあったんじゃないか?

お弁当を通して娘に向き合わせてもらえたことで、自分がわかった

こと、気がついたこと、いろいろなことがあったんじゃないかと

いまでは思ってる。少なくとも、そうやってやり続けてきた日々が

今わたしにはかけがえのないものだったと感じられる。

もちろん、それは人それぞれだと思う。

 

そしてこんなもので絆と

言われてもね、と娘は思うかもしれない。

子供が望むものと、親が差し出すものは時としてちぐはぐになることが

ある。それがあまり大きすぎると問題だろうけど、やっぱりお互いに

お互いの角度からみていることがあるのだから、多少は仕方ない。

親だって親なりに一生懸命だし、逆をいえば、親から見て

「どうしてこんな!」ということも子供からしたら精一杯の

ことなんじゃないかとおもう。

(そうはいっても、その瞬間、親の定規でがみがみいってしまうことが

あるけれど)

絆は見えなくても強ければいい。あればいい。かんじられるはずだ。

家族なら、親子なら、夫婦なら。

それはそうかもしれない。

だけどやっぱり、目に見えるものが、手に取れる思い出が

何か形となってあるものが、手応えが欲しいと思わずにいられない

のも親の気持ちなのだ。少なくとも私には。

そう思ったときに、日々を紡いだ食卓が、作り続けた弁当が

娘と向き合ってきた日々なんだと私に教えてくれている気がした。

 

出来損ないの弁当も、親としてやりきれなかった自分のふがいなさも

全てが弁当の日々で救われる気すらする。

勝手に罪滅ぼしのような気持ちを弁当に押し付けていると

言えなくもないけれど、それだけ日々紡いできたことというのは

偉大な力を発揮する。

これまた親のエゴかもしれないけれど。

 

毎日の積み重ねが支えるもの、それは私が母であることの自信

であり、証拠であり、すなわちそれが愛の形でもあるのだろう。

日々を暮らすことはたやすくみえて、難しい。

たかが日々の食卓、日々のお弁当。うまく出来る日も出来ない日も。

頑張れる日も頑張れない日も。

とりあえず紡いでいくことでいつか見えてくるもの。

お弁当を通して、食卓を通して

子供がまた一人一人と巣立っていくときに、全うしたと思える

ようでありたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アップルムース

だいたい私の朝は「あ〜思ったより時間がなかった。。」ということが多い。

思っていたよりできなかった。思ったより時間がかかって大慌て。

そんな毎日なんだけど、なぜかたま〜に「思っていたより時間があった!」

なんて日もある。なんでかわからないけど、ある。

給料日前の財布になぜかいきなり5千円札があった、的にある。

と、そんなことどうでもいいんだけど。

 

昨日の朝はそんな朝だった。

長女と保育園に行くちびくんと夫の弁当をつくり、子供らに

朝ご飯を食べさせて、後片付けまでしちゃって、第一便に上の4人の

こどもたちが学校に出払って台所では保育園時間待ちのちびと末っ子の

姫と私だけが残っていた。

こうして片付いた台所って気持ちがよくって、つい「じゃ、なんか作ろうか」

なんてまた仕事を増やそうとするのがわたしの癖だ。まぁ仕事といっても

結局は台所仕事はわたしには一種の娯楽でもあり趣味でもあるから

いいのだけど。

そういえば私が6人目を出産する頃のことだった。予定日一週間ほど前の

いよいよ、という時。私の頭にあったのは「我が家の福神漬けがもうなくなりそうだ」

ということだった。夫が「もうすぐ生まれるから何か用意するもの考えないとね」

と言った時私が真っ先に言ったのは生まれてくる赤ちゃんの為の物ではなく

産後の自分の為のものでもなく「そうだ!福神漬け作っとかないと!」だった。

私にとっては極自然な思い付きだったのだけど、今になっても夫はそれを

笑い話にする。まぁ確かに生まれてくる赤ちゃんより福神漬けって

どうかとは思うけど。。ともあれ、わたしの頭の中にはいつでも我が家の食料

事情と作り置き、季節の保存食などのことが大半を占めているのだ。

 

そして今回白羽の矢が立ったのは前々から気になってた食料庫にある夫の

おじいちゃんちから頂いてきた大量のリンゴだった。おじいちゃんちの庭にある

リンゴの木から毎年沢山のリンゴがとれる。もちろん肥料や農薬は使ってない

正真正銘の庭にあるリンゴの木のリンゴだ。なのにた〜くさん実を付けてくれる。

本当にすばらしい。

しかもリンゴの木は野生種で昔からあるものだから見た目も小さくて

いかにも自然に実ったぜ、的な感じがたまらない。売り物よりちょっとすっぱ

かったり形がへんちくりんだったりしてるけど、やっぱりあの力強さは

お日様と雨と土とただそれだけで自力で実ってきたリンゴの命の力強さ

なんじゃないだろうか。わたしはそれが好きだ。

とはいえ、生で全部食べきれないのでそれを煮てアップルムースを作る。

それを入れて作るおばあちゃんのレシピのアップルパイが夫は大好物

なのだ。

そんなリンゴなのにもう春が近づいているベルリンの我が家の片隅で

宇宙の法則に従うかの様に摘み取られたリンゴ達はしわしわと

その身を枯れ衰えさせ、土さえあればそのまま土に還ろうかとしているような

佇まいのものもちらほらでてきた。これは見逃す事が出来ない事態だ。

アップルムースをつくらないと。つくらないと!

そう心で警鐘をならし続けていたのに、そういう時に限って思ったより

時間がない、サイクルに入っている。

だのに、とうとうやってきたのだ。あのリンゴ達が救われる日が!

 

人生のタイミングの妙というのは本当に不思議だ。ひょっこりやってくる。

アップルムースは皮をむいて、芯をとって実を刻んで鍋で煮る。だから

何十個、あるいは百個近くなるとそれはかなり大掛かりな作業になる。

たかがアップルムース、されどアップルムース。

我が家に存在する一番大きな鍋を出してきて私の心は決まる。

今日はやるぞ。今日こそやるぞ。

そんなわたしに頼もしい助っ人のちびくんがいた。3歳の坊やだ。

実際助っ人なのか、お邪魔なのかはわからない。でもこういう大掛かりな

季節の台所仕事を子供と一緒にやるのが私は好きだ。

上の子供たちもみんなそうやって一緒に梅を漬けたり、味噌をつくったり

ジャムをつくったりしてきたものだった。そんな懐かしい思い出が

頭をよぎりながら今またドイツの片田舎ではなく、街中のベルリンで

季節の仕事ができることがとても嬉しかった。おじいちゃんのりんごよ

ありがとう。心からそうおもった。

 

春を待つリンゴ達からはしわしわになりかける見てくれとはうらはらに、

芳醇な薫りが漂っていた。息子と匂いをかぐ。

「あ〜良い薫りだね〜」溜息がでるほど素敵なかおりだ。

胸がいっぱいになって幸せがこみあげてくる。もうこのままでいたい。

あの時胸が締め付けられるほどリンゴの薫りが愛おしかったのは

なぜだろう?

 

芳香に後ろ髪を引かれつつも作業にかかる。

私が芯をぬく、皮をむく。皮は干してお茶にするのでとっておく。

半分に切ったりんごを息子が小さくきる。私も一緒に切る。

かわいい小さな手でりんごを切る息子。切ってはちょこっと

つまみ食いをしている。

可愛くて胸が締め付けられる。リンゴの芳醇な薫りとともに

この時間が愛おしくてたまらない。

この小さな手と一緒にいろんなことをする度に、その愛くるしさ

その無邪気さ、その純粋さを感じる度にいつも同じ様に

もう大きくなった上の子供たちのことを思う。あの子達にも

こんな時があったよなぁ。と。

 

愛と言うのは時々溢れ出てくる。とめどなく。

上の子達が小さかった頃を思い出す。

あぁかわいかったなぁ。こんな風に可愛い手でどれだけの事を

一緒にしてきたのだろう。その時どれだけその可愛さを心に

抱けていたのだろう。どれだけその場に心を留めて見つめることが

できていたのだろう。

 

上の子と干支が一回りも違う年の離れた弟妹を授かった私は今もう一度

子育てをやり直している。

今この赤ちゃんを、この坊やを心から慈しみその愛らしさに改めて感動しながら、

もう育って大きくなった上の4人の幼少期を再び心に抱き慈しんでいる。

可愛い無邪気なあの手が、あの口が、あの体が、すっかりと

大きくなっていろんなことができるようになって、子供が育っていく

という当たり前の奇蹟を、その愛らしさを繰り返し繰り返し

感じている。

もちろん現実は簡単な事ではないけれど、日々は格闘なんだけど。

今でも子供たちは育ちの過程なのだけど。

 

リンゴを切るその仕草に心を留めて、ただそのときにすっぽり

包まれていると、そこにあるものの愛おしさに圧倒される。

子供という存在の愛おしさに圧倒される。

その愛おしさというのは決定的でありながらつかみ所がない。

圧倒的でありながら至極さりげない。

留めようがないところに留められていて、

気がつこうとしなければ忘れ去られる場所にあるのに

手を伸ばしても届かず、目の前にある。

 

どうして日々はこんなに簡単に流れていくのか。どうして自分の

心はいつも何処かに流れていくのだろうか。

今は今しかないのにさ。

 

しわしわのリンゴと芳醇な薫り。

小さい坊やとの思いがけない朝の時間はきっとまた私の心に

甘酸っぱく残るんだろう。こういう季節を繰り返して

坊やにも美味しい思い出が残ってくれるといいな、と願う。

土に還ってしまうまえのリンゴをムースにできてよかった。

 

春分

春分。

時間が入れ替わる時。

 

ドイツにやってきて5ヶ月。季節は秋から冬を乗り越えて春へ。

そして子供たちが全員ここに揃ってから3ヶ月。子供は5人から6人へ。

あっという間のこの時間に気がつけば沢山の変化が

日々少しずつ少しずつ訪れていたわけで。

「何もしてないのに…」と想いながら焦るような気持ちで過ぎてく日々でも

何もしてない訳でも、何も起こってない訳でもないという

当たり前のことを思いだすのにはやはり目に見えるなにかが欲しい訳で。

春分。

ベルリンの寒々とした景色にもふと視線を落とせばそこここにクロッカスが

黄色や紫の花を咲かせ、晴れた日曜日には日向に人々が集まり

まるで海辺の街の野良猫の如くは微笑ましくもあり。

Spring has come.

 

おそらく今回はうんと早いだろうと思われた双子の言語取得。

日本からブラジルのときは6ヶ月を過ぎた頃。

そう、丁度今のように3月だった。

双子の9歳の誕生日を境にめきめきポルトガル語を話す

ようになったのだった。そう、それはまるでいつしか

コップに水が満ち溢れ出てくるような具合だった。

そして今。既にドイツ語も彼らの中で満ちてきたようだ。

ついおとといのこと、双子は普段ポルトガル語で会話をしているのだが

「ねぇ,見て!」という意味で「Olha isso!」と言う所を

ぽろっと「Guckt mal!」とドイツ語で言っていた。

芽吹きの時。そう思った。

いよいよ芽吹いてきた新しい音。新しい世界。

春と訪れとともに、またこの3月に。

 

ブラジルとは違う日々がまたやってくる。

新しい時間が始まるのだ。

春がまたやってきた。出会いと始まりを連れてやってきた。

この気持ちが3月の気持ちなんだろう。

最後の出産

あっという間に6人目の赤ちゃんを産んでから一ヶ月が過ぎてしまった。

あの感動的な、あの神秘的な、あの懐かしいお産の余韻と

そこにたどり着くまでの数奇な道のりの記憶が

消えてしまうまえにここに何かを記しておきたくなり

かすかな残香を辿りながらあの日を思い出そうとおもう。

 

おそらくこれが人生最後の妊娠、出産になるだろう。

そういう予感と決意のなか6人目の赤ちゃんはドイツで誕生すること

になった。

長女の出産から実に12年ぶりの妊娠だった5人目の赤ちゃんを

おなかに抱え臨月でブラジルに引っ越しをした前回の出産。

それに引き続き今回は次女の出産からまた干支を一回りしての

妊娠だった。しかも出産予定日は長女のそれと同じという

なんとなく意味深で不思議なタイミングでの妊娠だった。

私はブラジルでの大自然のなか家族に囲まれての自宅出産の幸せが

忘れがたく今回も絶対自宅出産を、と思っていた。

そして今回は育児第二ラウンドまっただ中の疲れもあるし

高齢出産と世に呼ばれる年齢に達していたこともありドイツへの

引っ越しは以前よりうんと余裕をもって妊娠7ヶ月のころにした。

前から考えれば余裕のよっちゃんなタイミングだ。そのうえ

ドイツにいけば保険もある、病院もある、救急車もすぐ来る。

万全の体勢での出産。

きっとなにもかもさくさくと簡単に安全にすすむのだろう、

名付けてドイツでらくらく出産プラン。

しかしそう思って引っ越したのは甘かった。

ドイツは今難民問題を抱え役場はいつも大混雑、思った通りに

ことは運ばないし、病院も予約はとれない。

そうこうしているうちに時間はどんどん過ぎ、私はブラジルでたった

一回うけた妊婦検診以来赤ちゃんの様子を体感でしか知らないまま

季節は秋から冬へ。そして臨月に突入しようとしていた。

「そんなはずじゃなかったのに、ドイツランドよ何故に?」

こんな状況を誰が想像しただろう。これじゃまるでブラジルじゃ

ないか。

そんなわけで私のドイツでらくらく出産プランはかなり怪しい

雲行きに包まれていったのだった。

それだけではない、勝手にドイツはナチュラル志向の国だから

自宅出産も簡単に出来るんだろうと思っていたのだけど、おっとどっこい。

もちろん自宅出産は多々存在するのだけど、最近は助産婦さんが

訴訟を起こされることが多く多額の保険金をかけなければならないので

自宅出産をやってくれる助産婦さんがあまりいなくなってしまったと

わかった。その上ベルリンは今子供が増えて手が足りないらしい。

こんな風に夫の母国だからと安心してドイツにのこのこやってきた私は

臨月間近のおなかを抱えてクリスマスも差し迫った頃、妊婦検診も受け

られず助産婦も見つからないままここドイツで赤ちゃんが一体どんな風

にどこで産まれてくるのか想像もつかない状況に陥っていたのだった。

 

ブラジルでは「なるようになるさ」なんて思ってたのに、なぜかドイツは

そんなのんきな考えを抱かせてくれない雰囲気がある。いや、それとも単に

私の頭が固くなったからなのか、それともそれを人は賢さ、と呼ぶのか。

「どうするの?どうなるの?」そう思いながらひたすら産婦人科と助産婦を

探す。それでもチャンスは巡ってこない。そんな日々が続いた時ふと思った。

「これはもうなるように任せたら、なんとかなるんじゃないか。」

どうやらドイツの賢い雰囲気にわたしのケセラセラ精神が勝ってしまったらしい。

自宅出産と決め込んでいたけどどうやら無理そうだからそれならそれで

いいじゃないか。ともかくいつかは何処かで赤ちゃんも生まれてくるから

どこで、だれと、どんな風になんてのはやってくるまで待てばいいじゃないか。

と思うようになった。

やっぱり最後はなるようになるさ、なのだ。

そしてそんな風に夫に話をした次の日に私達は自宅出産をしてくれる助産婦

さんに出会うことになったのだった。

このときばかりはさすがに思った。「おぉ神よ。」

なるようになるのだ。ほんとうにそうなのだ。それでいいのだ。

この時私は出産は総合病院でもどこでも良いと本気で思っていた。もしか

したらこの赤ちゃんにはそれが必要なのかもしれないとも思っていた。

だからわたしの握りしめていた「絶対自宅出産」という願いをすっかり

手放してみたのだった。そうすると答えは向こうから勝手にやってきた。

今回に限らず経験上これはどうやら宇宙の法則らしい。

 

ともあれご縁あって自宅出産の暗雲は晴れ間を見せ始めた。

助産婦さんは私と同じ年の4人子供のいるおかあさんだった。しかも

誕生日は一日違い。これはきっと運命に違いない。

赤ちゃんはそんな素敵な出会いをまた運んできてくれたのだった。

 

年が開けいよいよ出産までのカウントダウンに入る。

外の気温はマイナス10°を下回る日もあった。

寒さで産んでしまいそうな日が続いたりもしたけどまだ産むわけには

いかなった。

なぜなら、我が家の浴室のタイルが工事中でバスタブが使えなかったのだ。

そう。わたしは自宅出産の雲行きが晴れたのをいいことに、欲張って

前からぼんやり願っていた水中出産の可能性についても期待を抱き

始めていたのだった。もちろん、水中出産は私だけの願いではなく今回の

出産に限ってなぜか赤ちゃんがそうしたがってる気がしていたからでも

あったのだけど、これで人生最後の出産と思うと是非試しておきたかった

というのも否めない。ともあれ浴室工事は亀の歩みで進み,いつ終わるのかの

めどが立ったのは予定日のほんの数日前だった。

けれど赤ちゃんというのは賢い。自分がいつどのように産まれようか

考えているんじゃないかと思えてならない。

ちょうど浴室工事が終わった次の日、ベルリンは雪景色だった。

もういつ生まれても良いさ、と思ったわたしは我が家の男の子3人をつれて

雪の公園に遊びに出かけた。そしてそれがわたしの妊婦時代の最後を飾る

一日となったのだった。

 

家に帰って夕飯の支度をしているとなにやらおなかの具合がおかしい。

「来たな。」と心はつぶやいた。

私の頭の中では風林火山の旗を翻し合戦の始まる光景が浮かんでいる。

ホラ貝の笛が鳴り響く。

出産の始まりは戦の始まりのような興奮と緊張に包まれているのだ。

それでもまだ半信半疑でしくしく痛むおなかを抱えながら

七面鳥と野菜のトルコ風トマト煮を作る。陣痛の痛みをベース音のように

低い部分で感じながら肉を切り、野菜を炒める。陣痛の最中に

トルコ料理は悪くない。なぜだかガッツが湧いて来る。できあがった

トマト煮にミントとパセリをたっぷりかけてと細長いぱらぱらした米と

一緒に食べる。腹が減っては戦は出来ぬという言葉を心に刻みながら

ただ黙々と食べる。そして片付ける。着実に近づいてくる何かを感じながら

台所は静けさを取り戻し、きちんと片付いていく。この対比がさらに

何かの始まりを予感させる。

それでもまだ痛みは強くない。夜は少しずつ更けていく。私は時計とにらめっこ

しながらいよいよ助産婦さんを呼ぶ決心をした。

 

そんな風に私は私の内側で合戦を始めようとしていたわけだけど、

子供たちはそんなのおかまいなしで週末の風景を繰り広げていた。

前回ブラジルで出産したときは初めての海外で、新しい家族での

最初の共同作業とも言うべき出産に、どこか皆が一致団結した雰囲気が

あったように思う。

穴があくほどベッドを見つめ手に汗にぎる出産の一幕を固唾を飲んで

見守ってくれた。産まれた時にはみんなが側にいて、みんなで感動を

分かち合った。あぁあの感動よ再び…

そんな淡い期待はあっというまに消え去ることになる。

 

刻々と陣痛は強くなり私の半信半疑も疑いようのない出産の兆しに

ふんどしのひもを締め直すような気持ちになっているのをよそに

子供たちは「あ、赤ちゃん産まれるの?」とまるで「明日は晴れるの?」

的な気分で問いかける。「あ、そういえばまだおなか空いてる〜」とか

夕飯のあとにお食後を催促される。「あの〜ママ赤ちゃん産まれるかもで、

おなか痛いんだけど?」と言ったって「でも痛くなきゃ産まれないんでしょ?」と

助産婦さん並の返答。ええ、確かにそうですけど。

あげくの果てにはかなりいい感じの陣痛の波が来始めている中、

「独眼竜正宗のyou tube見る約束したじゃん〜」といわれ、寝室でわたしの

パソコンに群がる子供たちを横目に私は陣痛の波をやり過ごしていたのだった。

これが子だくさんの現実ってもんだ。

なにが楽しくて陣痛のさなかに自分が子供の頃見てた伊達政宗の時代劇を

見なくてはならないのか。あのブラジル出産の感動を遠い目で懐かしみつつ

パソコンか聞こえて来る時代劇の侍達の声をききながら、あぁ諸行無常。

私の中で起こっていた風林火山の合戦は次第にリアル感を帯び始めて

いったのだった。

 

陣痛のさなか、私をよぶのはyou tubeを見たい子供だけではない。

出産の意味すら知らないブラジルで生まれた一番下のおちびくんはお眠むの

時間になっていて絵本を読んでとせがんでくるし、眠れのうたもうたって

あげた。陣痛の合間に歌う子守唄というのは6人目にして初めてだ。

かなり聞き苦しかったに違いない。私は途中でギブアップし、長女に

寝かしつけをバトンタッチした。

こんな風にブラジル時代とは打って変わって私のことなんぞおかまいなしの

子供たち。自宅出産を経験してたくましくなったのは私だけではなかった様だ。

ともあれ出産が特別なことではないと受け止めるのはそれはそれでいいかと思い

私は私で合戦に取り組んでいくことにした。

 

いや、ここでも一人だけ戦に参加してくれた人がいた。夫だ。

「いよいよか!」と今回も嬉しそうに緊張感を分かち合ってくれるのは

彼だけだった。いそいそと助産婦さんを出迎え、赤ちゃんを迎える支度を

始める手つきも手慣れたもんだった。そして「今日のメニューはどういたしますか?」

的に「今回も胎盤たべるよね?しょうが醤油にする?」なんて気の早い

質問までしてくれたのだった。

 

出産は粛々と進んでいった。陣痛は刻一刻と強く効果的にリズムを刻んで

いった。その度に波を乗り越していく。

呼吸にフォーカスしようと思っても痛くて忘れてしまう。

夫と二人で向かい合って陣痛を乗り越えていく様子を助産婦の

ヤスミンはただじっと側で見守ってくれていた。

何をするでもない、ただ一緒に呼吸をしてくれていた。

音のある深く強い呼吸。

痛みで呼吸を忘れそうになるときに聞こえて来る彼女の呼吸の音。

まるでガネーシャのようにどっしりと落ち着き払った彼女の存在と

呼吸の響きが私を現実に引き戻してくれる。

 

出産への道のりではいつもこの現実と彼方を行き来しているように思う。

激しい痛みの中で、その現実の中で、意識が遠のいていくような中で

意識は私の中心へと深く強く向かっていく。

あるいは、何かを手放すように私の中の一部が痛みによって引き裂かれ

遠のいていくかわりに、私の奥底に眠る何かが目を醒すと言う方が

正しいかもしれない。

痛みの中心へ向かって意識が遠のいていきながら、痛みの中心へ意識を

集中させていく。そこにあるのは確かな命だ。

もう既にその中心にある命をこの世界に連れて来るために、わたしは

痛みの中で呼吸を繰り返す。痛みの中で目をしっかり開いて見つめる

先にヤスミンがいて、夫がいる。けれど焦点があってるのはそこなのに

見つめているのはそこではない。わたしは私の中で産まれようとしている

もうひとつの命を見つめているのだ。

そんなことを6人目にして初めて痛みの中で感じていた。

 

呼吸と音と痛みの波と命を見つめるこのときこそが出産というものなのだ。

わたしはこの痛みと、この瞬間をなんども経験させてもらったのだ。

6人目、これがきっと人生で最後の出産になるだろう。これで私の命が

あるうちに命を産み落とすことはないのだろう。そういう想いがこのように

初めて出産を俯瞰させてくれた。

自分の命の限界を感じながら新しい命を迎えるからだろうか、今回初めて

出産という、命が産まれる場にありながら私は死をも感じている

ことに気がついた。

出産という真剣な命の現場ではひたすら呼吸と鼓動の

もとに生と死とが在る。それも吐息が聞こえそうなほど近くに在る。

そのとき天と地ほどの違いがあるように思われる生と死は

ただそこに並んで、ただ在る。圧倒的な存在感で、かつひそやかに

そこに在る。

それがあの真剣さを生み出すのだろう。

打算も計画もごまかしも効かない大きな自然の働きに飲み込まれて、

生と死の狭間で、現実と彼方を行き来する。

そしてある時一度にこちらがわに戻って来る。産声とともに。

 

わたしは初めて痛みにめげそうになる中でもこのときが

愛おしいと感じた。実際あまりにも痛いので「こんなことどうして

6人分もやろうとおもったんだろ?」と疑問に思うこともあったし、

「もうやめたい!」と思うことも何度もあった。

けれど今回それ以上にわたしは出産という場を愛しく感じた。出産を

してきた自分を愛しく感じた。そしてこうして脈々と命をつないで

きた沢山の出産の場を命のつながりを、こちら側とあちら側との

つながりを改めて希有なものと感じた。

 

そんな風にして痛みのクライマックスを迎えたわたしはとうとう

あの改装したての浴室でバスタブに浸かり初めて赤ちゃんを

水中で産んだ。それは想像を超えて心地よくスムーズだった。

赤ちゃんはやっぱりこれを知っていたんだ、とわたしは思った。

だから浴室工事が終わるまでちゃんと待ってたんだな。と。

 

思いがけず出産は静かに親密な雰囲気の中で終わった。

わたしは生まれたての赤ちゃんを胸に抱きバスタブのまだぬるい

お湯につかったままで安堵の気持ちとともに今までのお産の全てが

走馬灯のようによみがえっていた。

私にとってこれが最後の出産になるんだろう。「お疲れさま自分」

満身創痍にも関わらず満ち足りたこの時間を噛み締めながら

そう心の中でつぶやいた。

まだ若くて何もわからなかった初産のころから今まで6人。

どれもちがったけれど、どんなときも同じ痛みのなかで同じ想いで

皆を産み落としてきたんだ。

命とはなんと尊いものか。なんと美しいものか。

 

赤ちゃんが生まれた時子供たちはもうすっかり眠りについていた。

もし産まれたら起こしてね、と言っていたから産まれてすぐに

夫がみんなを起こしに言ったけど二回起こしても誰も起きてこなかった

ので赤ちゃんは翌朝のサプライズということになった。

次の朝に寝室を訪れた子供は「産まれたの?」と「うん、産まれたよ」そう言うと

「女の子だった?」「女の子だよ。」と私。

「きゃっ!」と喜んで手を合わせて喜んで兄弟に知らせにいったのが

可愛いくて私まで嬉しくなった。

子供たちの一人一人が驚きと喜びではしゃぐ姿はブラジル時代と同じだった。

 

こうしてまた新しい命の物語が始まっている。

毎日はあっという間に過ぎていく。

忘れたくない日々を忘れながら紡いでいる。

けれどきっとこぼれ落ちてしまった毎日は子供たちが拾い上げて

くれているのだろう。そしていつかそれを子供たちが自分の手で

再び紡ぐときが来るのだろう。

8年生劇と新たな旅立ちのご報告

長女がシュタイナー学校に通うようになって8年がすぎました。

とはいえ、日本でのシュタイナー生活が4年。

引っ越しにともなって2年半東京の公立に通いながら週末のみの

シュタイナー学校に通い、再び引っ越しにてブラジルのシュタイナー

学校に編入して早2年。様々な紆余曲折がありました。

こんな選択に色々悩んだ時期もありました。

そんなつぎはぎだらけの旅路ではありましたが日本のお友達よりも

1年遅れて今ブラジルで8年生を迎えています。

シュタイナー学校では1年生から8年生まで同じ担任の先生でクラス替えなし。

8年間を一貫として教育が行われます。その総仕上げというべき最後の

大イベントに8年生劇というのがあります。

 

私達も日本にいる間に何回か上級生達のお芝居をみせていただきました。

まだ一、二年生だった長女をみながらいつかこの子達もあんな風に

大きくなって思い切りお芝居をするときがくるのかなぁなんてぼんやり思った

ものでした。そうして人生の荒波を乗り過ごしながら,私達なりの

旅路を経てとうとう長女がブラジルという土地で8年生劇を迎えることに

なったのはなんだか私にとっては夢か幻のようにおもえるのです。

 

ともあれ、昨日3日間続いたお芝居の最終日を迎えました。

毎日違う配役、毎日違うテンション、リズム、雰囲気。

興奮と緊張の中始まった初日から毎日新しいお芝居をみせてくれた

8年生達。

日本でみていたそれと言葉こそ違えど空気は同じでした。

若さの情熱と、勢い。個性と協調。青春と旅立ち。

成長と葛藤。緊張と快感。命の輝き。

こどもたち一人一人がそれぞれにそれぞれの役の中で輝き、

精一杯その役に命を吹き込むことで役を演じきり、その物語りの

時代を生き、その人物の人生を生き、そのなかで彼らは

一体何を感じ、何を体験し、何を見ていたのでしょうか。

若くしなやかで繊細でもろく強くこれからの人生の荒波を行きていく

若者達。私もかつてはそんな存在だったのだなぁ。

いやいや、いまでもそんな存在なのかもしれません。ただそこに

ちょこっと経験という積み重ねがあるだけなのかもしれません。

けれど確実に我が娘もいよいよこの荒波を生きていく年になったのだと

そういう風に感じました。

8年生という時期になったのだと。

 

ここまで来るのも簡単な道ではありませんでした。

異国での新しい学校生活、言葉も文化も違う人たちのなかで

アイデンティティを模索する日々。いや、アイデンティティなぞ

確立すらされていなかったあの頃に大海原に投げ出されたような

気分だったでしょう。

今でもまだまだ苦しい航海は続いていることでしょう。

8年劇に向い合うという気持ちになるまでの葛藤、

「やりたい、やりたくない。がんばりたい。がんばれない。」

いろんな思いを抱えての日々だったと想います。

だけどとうとうやり遂げられた長女の姿をみて、どんな道をたどってきたに

しろ、どんな思いを抱えているにしろ、拍手を贈りたい気持ちに

なりました。「お疲れさま、よくがんばったね。」と。

まだまだ人生の航海は始まったばかり。劇が終わって全てが終わる

訳はないけれど、確実に何かの終わりと始まりになった気がします。

どうかこの若い命達がよいよい未来を生きていきますように。

よりよい未来を築いていきますように。

そして、私達家族もまた8年生劇を終えた長女の旅立ちと時同じく

して、再び旅に出ることになりました。

二年ちょっと住まわせてもらったブラジルの土地を離れ

主人の古郷ドイツに引っ越します。

ブラジルに旅立つことを決めた時、その先にどんな未来が待っているか

想像もしていませんでした。

そして縁あってドイツに旅立とうとしている私達にどんな未来がまっているか

やはり私達は知りません。

それでもあの時と同じように来るべきときがやってきて、行くべき場所が

再び目の前に現れた。その流れに素直に進んでいこうと思います。

 

そんなわけで年末までにはドイツでの新しい暮らしがはじまります。

さて、どんな毎日が待っているのでしょうか。

今後もブログでも綴っていきますのでどうぞよろしくおねがいします。

 

 

 

 

母の日でした。

今年もやってきた母の日。

感動的だったブラジルで初の母の日だった昨年。

今年は前日から「明日は母の日だよ!」と宣言されていたので

ちょっとわくわくしていたのですがこれがまた

姉弟それぞれの個性が見えるお祝いとなりました。

 

まずはやっぱり律儀な双子のあおくん。

前日から「ねぇママ、明日何時に起きたい?目覚ましかけて

一緒に起きるからさぁ」と朝一のプレゼントを狙います。

時間を伝えたのに結局私が目覚ましよりうんと早く起きてしまって

台所でがさごそしていると、はたっ!と目を覚まして

早速台所にやってくるあおくん。

「ママ〜時間より早いじゃ〜ん」といいながらも、既に背中に

プレゼントを隠してある様子。

「はい。母の日おめでとう!」といって嬉しそうにプレゼントをくれました。

最近学校で真剣に取り組んでいたクロスステッチのしおりと素敵な絵。

いやぁやっぱりうれしいですね。こういうのって涙腺ゆるみますね〜

そしてそれを横目で見ていて「私も!」と現れたのは次女。

「はい!」っていって威勢良く渡されたのは自作の詩。

頭文字をあわせると「ひ、と、み」になるように仕組まれておりました。

いやぁ〜これまた感激。

嬉しくってついつい主人に自慢。そのときふと気がついたのは

後の二人はどうした?と。

でも後の二人、つまり長女と双子のみどりは何食わぬ顔でいつもの

朝を迎えておるようで。

「はぁ、そうですか。まぁそれはそれで。」ってなかんじで

去年と随分違う母の日だけど、まぁいいやって思っていると。

その日の午後になにやら台所で次女と長女がどたばたしています。

何事かと思うと,二人でケーキ作りに取り組んでいるではないですか。

前から作りたいから材料買っといてって言われてたあのケーキのようです。

本物の!レアチーズケーキです。豆腐とかじゃないんです=)

はい。長女はアンチもどき料理なのです。もどきが大嫌いなのです。

ともかく、いつしかどたばた料理も静かになって夕飯のあとには

いよいよあの本物レアチーズケーキを頂きました。

「ママ、これブログにのせてね!上手に作ったんだから!」と

言われたものの、いざカットしてみると「下が固くて切れない。。あ、こわれた。。」なんて

ハプニングが続きまして、まるでローマ遺跡崩壊のような見た目のケーキに

なったのですけどそれはそれで楽しく、おいしく。

そして私にくれた一切れは一番きれいに切れた物を

くれるという心遣いもうれしく。

あんなに張り切ったのにぐちゃぐちゃになったケーキに半笑い、半泣き。

でも結局みんなで大笑い。あぁ善きかな、楽しい我が家。

ともあれ皆すっかり満腹でそろそろ眠りにつこうって頃になって

寝室にやってきた坊やが一人。

そうです。みどくんです。

我が家では色んな家事を子供たちと分担しておりまして、家事のサイクルが

二ヶ月単位でかわるシステムになっているのですが

5月からは双子のみどりがお洗濯取り込む、畳む、その人の部屋まで持っていく、

の係になっていました。

一応係は決まっているのですけどね、やっぱりそう毎日うまくいく

もんではありませんよ。「洗濯係が遊びにいっていません!」という

事態も頻繁で、「洗濯物係がソファに取り込んだ洗濯物をためていて

はくパンツが見当たりません!」という苦情もしばしば。

そして当の洗濯物係は「だっておれ一人で毎日なんてやだよ〜」って

それを皆で当番で回してるんでしょ!って基本的にこの

お手伝いシステムが理解できてません発言もあったりして

これまた毎度一悶着なのですが。

それがね、母の日の夜にもう寝ようかと思ってたら寝室を

「コンコン」とノックするわけですよ。そんで「どうぞ」って

いったらなんとまぁ、洗濯物を畳んだ山をもってみどりが部屋に

入ってくるではありませんか!

洗濯物係になって一週間ちょっと。実はこの日が初めて

畳んだ洗濯物を部屋までもっていく。という終いまでを

やり遂げた日となったのでした。

それにはついつい「おぉ。。。!洗濯持ってきたの?すごい!」と

マジで褒めてしまいました。

すると案の定嬉しそうに鼻を膨らましながら何も言わずに

部屋を立ち去るみどくん。

母の日最後の贈り物はこんな形でやってきたのでした。

という訳で、母にとっては子供の成長がなによりの贈り物なんだなぁと

しみじみ嬉しい今年の母の日なのでありました。

 

 

 

記憶の中で

先日私がユニオを出産した時にお手伝いしてくれた

助産婦のラリッサと話をしていた。

私達は偶然彼女の家の数件となりに住むご近所となり

彼女の子供二人も我が家の子供と同じシュタイナー学校に

通わせていることから会う機会も多く親しくなった。

ラリッサの家の坊やとうちの双子が今やマブダチで毎日

彼女の家で遊んでいて、そのときに子供たちが話していた会話を

聞いていたラリッサがそのことを教えてくれたのだった。

 

出産の時双子達がどう思ってたか。

こんなこと本人達は以外と私に話してくれない。

一体どんなこと思ったのかと思えば、

「俺たちお母さん死んじゃうと思ったよ〜だってさ、すんごい叫んでるし

痛そうだし、こわかったぁ〜」

だと=)

ラリッサも可笑しくて笑ってしまったそうで。

私もその話を聞いて笑ってしまった。

 

普段はひょうひょうと遊んでばかりで、いろんなことを体験したって

別にそれを言葉でいつも伝えてくれる訳じゃない。

だからこそ、ぽろっと子供同士で遊んでる時に

「お母さん死んじゃうかとおもったよ〜」なんて話してくれたのが

なんか嬉しかった。

言葉にしなくたって心感じていることはいろいろあるんだよね。

それは出産という特別な瞬間でなくてもきっと

日頃からいろんなことを感じたり思ったりしているんだよね,子供って。

というか、誰でもそうか。

でも子供のほうがそれを言葉として外に出せるまでに時間がかかるよね。

出来事と自分との距離がしっかり離れるまで、消化できるまでは

言葉にできないもんね。

ユニオが産まれて1年半以上が過ぎて、やっとあの日のことが

言葉になったんだなぁって感慨深く。

怖っかったにしろ、死ぬかと思ったにしろ、今生きて暮らしてるから

良いじゃん。

そうやって命がけで産まれてきたいのちを

一緒に感じられてよかったな。そしてそうやって

あなたたちも産んだんだよって心で密かに思いながら

いたのでした。