Life

誕生日会

先日娘の好物のバナナマフィンを一杯焼いて

末娘の誕生日会で保育園に行ってきました〜

こちらのマフィン。我が家のちびたちの一番人気。

砂糖を使わず、バナナと少しのメープルシロップの甘みに

小麦粉はスペルト小麦で作ります。

卵なし、でもフレッシュなオーガニックバターを加えて

なんとも素敵な薫りを放つ自慢のマフィン。

今日は特別に、ラズベリーをアガベシロップで作ったジャム

と一緒にトッピング。

保育園向けなので、あくまでもシュガーフリーにはこだわります=)

ご覧の通り、どのお子さんにも大人気=)

もう食べていい?!まだダメ!の様子が可愛かった〜

 

誕生日の朝に保育園に行くと。。

「おめでとう!2歳だね〜!」と先生達が次々と

娘にハグ=)

実際、誕生日って何かもわかってない娘は、「?」と

不思議顔。でも今日はなんだか私特別らしい、というのは

分かった様子。

おめでとうの嵐のあとに先生は私のところにやってきて

「日登美おめでとう!お母さんも2歳おめでとう!」って

一緒にお祝いしてくれました。

子供の誕生日って実は、お母さんにとってもお母さんになって

何年目、の誕生日なんだよね。

 

最近思うのだけど、先日のお弁当の記事にもかぶるけど、

子供の誕生日、子供のために、子供の勉強〜学校〜って

いろいろ子供の為にやってるとおもってたことって、以外と

自分のためでもあったりして。

子供におめでとう、っていいながら。子供がありがとうって

いいながら、わたしも自分におめでとう。そして元気に育って

くれて、育てさせてくれて、周りの皆様にも、ありがとう。

そんな気持ちになるのがお誕生日だなって。

子育てって親からの一方通行じゃないんだよね。

 

まだ2歳で誕生日を喜ぶとか、プレゼントが嬉しいとかいう

年でもない娘。

しかも当日はパパは出張で起きたらいない。

子供5人とわたしだけ。その日は保育園のマフィンだけで

家では特別なことは何もしないなぁって思ってたんだけど

夜になって上の子がみんないて、お夕飯のあとになって

ロウソクを灯そうよ!ってことになり。ロウソクをつけたら

皆が輪になって末っ子を囲み、誕生日の歌のカノンをはじめ

ました。

まずはドイツ語で、カノン、そして日本語バージョンで。

そのあとに英語でハッピーバースデートゥーユーの歌を。

次にそのポルトガル語バージョン。最後はやっぱりドイツの

誕生日の歌でしめる。

かれこれ5分くらい歌ったの?我が家の誕生日ソングは

いろ〜んな国の言葉と歌で祝います。

さすがの娘もこれには大喜び。思いがけないプレゼントとなりました。

形のないプレゼントっていうのもいいよね。

その後、今は日本に住んでるお姉ちゃんからも誕生日カードの

サプライズもあったりして。

子供たちの想像力と行動力で思いがけず心に残る

2歳の誕生日となったのでした。

 

 

クリスマスとお正月

ベルリンで迎えた3度目のクリスマス。

ようやくドイツのクリスマスの過ごし方が分かってきた気がしました。

そして気がついたことは、この国でのクリスマスは日本で言うお正月

なんだ、ということ。

ただその準備も過ごし方も、日本のそれよりもっとずっとのんびりと

ゆっくりとしたもののように感じます。

 

ドイツのクリスマスは早ければ10月末頃からその雰囲気が漂います。

街のあちこちで少しずつクリスマスに向けての準備の風がどこからともなく

やってくるのです。スーパーにはスパイスが目立つ所に並び、ドライフルーツ

が見え隠れし、チョコレート、小麦粉などのお菓子作りの材料がちょっとづつ

人目につくところに配置されていく様子がなんともわくわくします。

そして11月になればもうクリスマスは本番といっても過言ではありません。

その頃からみんなクッキーやシュトレンを準備しはじめます。

日持ちのする様々な種類のクッキー、クリスマス独特のスパイスをあわせたものや

形のものや、いろいろあるのです。3年かけてやっとそれをどのペースで、

どのくらいの量を仕込んでいくのか、ということが分かってきた気がしています。

それでもまだまだ全然準備不足、経験不足のわたしなので

思っていたより大量に、そして早い時期からせっせとやらないと間に合わない

ということに気がついたのも最近の話。「え〜大変。。」と始めは思っていた

のですが、その準備こそがクリスマスのお楽しみでもあるのだなぁと

思い始めたのも最近の話=)

 

というのも、11月には既に日がどんどん短くなって、寒さも厳しくなってきます。

心の中にあかりを灯したい気持ちとクリスマスがやってくる時期が重なって

クリスマス準備をすることでせっせと心に灯火を送るのです。

クッキーを焼きながら、シュトレンを準備しながら、はたまたプレゼントや

おくりものやカードにあくせくしながらも、クリスマスの日が近づく

喜びや興奮は短くなっていく日照時間と反比例的に大きくなっていきます。

街は活気づき、生活はすこし忙しくなるようですが、それがなければ

この寒くて暗い11月から12月にどうやって過ごしたらいいのでしょう?

といったら大げさかもしれませんが、クリスマスがあることで

この時期の生活はうんとうんと楽しいものになるのです。

そしてまた、こうして忙しくやることがあるというのは

ありがたい事なんだなぁ、とふと人生について考えてしまったりも

するのです。

 

人生って忙しすぎてもいけないんだろうけどやることがあって、

誰かの為に走り回れる時期っていうのも、それはそれで

命が輝くというか、生きてる実感があるというか。

クリスマスってそういうことも含めて光りの体験というのかしら。

自分の暮らしの中に自分で灯火を送る。自分の灯火と周りのひとの

灯火を感じる時。

人が生きる、暮らす、関わるということ。喜びを送る、感謝を伝える

ということ。

クリスマスの準備をしながら様々な思いが巡ります。

 

そうこうしているうちにクリスマス当日がやってくると、なんとも街は

静かなもので。もちろんにぎわっている場所もあるでしょうし、パーティーを

している人もいるでしょうが、一般的にクリスマスは静けさとともにやってきます。

24日は我が家も近所の教会に行きました。

キリスト教ではない我が家ですが、神聖さというのに宗派は関係ないようです。

素晴らしく美しい聖堂に入り、聖歌を歌い、お話を聞きながら祈りを捧げて

「アーメン」なんてなれない言葉をいいながらも、気持ちはきりっとひきしまり

厳かになり、不思議なものでまるでお正月の参拝のあとのような気持ちになるのです。

神聖さに国境はない。

何か大きなものに抱かれる、恐れ敬う気持ちというのは万国共通で

人間は誰も皆そうやって現実とともに、見えない世界とも一緒に

生きているのだなぁ。と思った教会での時間。

信じる神が違っても、話す言葉が違っても、文化や見た目が違っても

いいじゃないか。どうしてそこに壁を作ってしまうんだろうなぁ。

と、世界が未だ一つになれていない現実に思いを馳せてみる。

そんなことも教会でのお話を通しても考えさせられた聖夜。

 

ともあれ、クリスマスはお店は基本どこも休みで、レストランも休み。

だからみんな家で家族と過ごしますし、おうちで食事をします。

今年は夫の両親が家族の伝統料理のピロシキのようなパイと栗のスープを作って

くださいました。24日は伝統的には菜食で肉類は食べないそうです。

わりと質素な食事をし、翌日25日にごちそうを食べます。

このごちそうも今年は夫の両親が作ってくださって、

丸一匹のガチョウグリル、紫キャベツのワイン煮、ジャガイモの団子という

ドイツの伝統料理をいただきました。こういう伝統と風土に根ざした料理

というのが私はとても好きです。

そこには菜食とか肉食とかそういうジャンルを超えたなにか人間らしい

暖かみと智慧を感じます。理論や倫理を越えたところにある料理

というのが伝統料理なのではないかと思うのです。言葉にするとややこしい

ですが、とにかく伝統料理はいいなぁ!

 

そういえばクリスマスの贈り物がサンタクロースからやってこないのも

ここ数年の我が家のスタイルとなっています。ドイツではサンタクロースは

伝統的にはクリスマスにやってくるものではないそうです。

12月の初旬にセントニコラウスの日というのがあって、そのときに

みかんやクルミをもらったりするのがサンタクロースの日なのです。

なので我が家ではクリスマスのプレゼントは家族の中でおくりあいます。

子供も大人もそれぞれ家族皆に宛てて贈り物をおくっています。

手作りする子。買い物する子。いろいろですがそれもまたこの時期の

楽しみ。

今年は4歳の息子に水彩の道具を送りました。上の子達はずっと幼い頃に

この水彩の時間を楽しんできたので、「私も!」「ぼくも!」と結局

クリスマスの翌朝はみんなでじっくり水彩の時間となりました。

これがまた気分は書き初め=)静かな中でじっくりと気持ちのいい時間です。

面白かったのは、12歳の息子が渦巻きの模様を描いたこと。

シュタイナー幼稚園に通っていた上の子供たちはクリスマスの時期には

特別な儀式をやっていました。うずまきの道をろうそくを

もって歩くのですが、この時期の象徴的なモチーフが渦巻きなのです。

すっかりそんなことも忘れていた今日このごろ、す〜っとためらいもなく

自然とにじみ絵の色の中で渦を描いていく彼の姿に、子供の中に培われた

あの頃の体験の大きさを感じました。

幼児期に蒔かれた種が育っていることを感じられた嬉しい体験でした。

 

そうこうしてあっという間に正月の三が日が過ぎていくように

クリスマスの3日間が過ぎていきます。

家族とすごし、静けさを味わいながら、近くにある愛を感じ、

遠くにある愛に思いを馳せる。

仲間と集い、再会し、ゆっくりとした時間をもつ。

お節をつつくかわりに、たっぷり用意してあるクッキーやケーキをつまみ

ながらゆったりとした時間を過ごす。

そういえば、お節料理というのは日頃忙しく台所を駆け回る主婦の為に

正月3日くらいはゆっくりできるように保存のきくものを詰めて作られた

ものだったのよね?

 

クリスマスがすぎ年末に向かっていくこの時間。

既にお正月を迎え終わったようなすっきりとした気持ちになっているなかで

今年もお節は作らないことにしました。

なんだか暮らしの時間軸がカレンダー通りではなくなってきたみたいです。

暖かな光りと静けさの時間のあとで、残りの時間はゆっくりと

なにもせずに過ごしたいと思っています。

こんなふうに人生に隙間をつくりながら過ごすことの大切さを

ドイツにきてから知ったような気がします。

 

今年も一年ありがとうございました。

来年も皆様にとってよき年となりますようにお祈り申し上げます。

どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不便な暮らしと心地よさ。

我が家の台所には日本から持ってきた(ブラジル経由でやってきたというほうが

正しいでしょうか=)台所道具がいろいろあります。

なんといっても、台所は私の城だからそこに一つ一つ愛着のある

道具が、しかも天然素材の道具達がやってきては

新しく住む場所で、特には海外の家で、然るべき場所に

置かれていくのを見るとその度にほっと心が落ち着く気持ちが

したものです。

 

私はなぜか竹のかごやザルが好きでそれらが見える所に

あるとほっとします。

おむすびを入れる竹籠、青菜を茹でた時にあげる盆ざる。

そういうものが台所で、食べ物と一緒にある風景は

なんとも素敵なものです。

その他にもすり鉢やすりこぎで胡麻をあたるとき、味噌を当たる時

飯台に酢飯を作る時、これが木や土でできた器であるのと、

そうでないのとでは天と地ほどの差が有ると思うのです。

何の差かといえば。。それは感覚的にしか申せませんが、いや

敏感な方は味でも差を感じるかもしれませんね。

ともかく、ドイツでもブラジルでも台所で竹や木製の道具を

みかけることはほとんど有りませんのでこのアジア独特の

スタイルも私の心をほっとさせます。

 

天然素材のものに囲まれると都会の台所にあっても、す〜っと

呼吸が深くなるような、自然の中にいるような気持ちになれます。

目に見える姿形、そこからやって来る匂いなどもあるかもしれませんね。

けれどその反面天然素材には不便さがつきまとうのも事実です。

洗った後には木製品ならしっかりと乾かさなければなりませんし、

洗う時にも気をつけ無ければなりません。あまり乱暴に

扱えば壊れますし、金属には弱いし、食器洗い機にもいれられないし

温度差にも弱いです。ドイツの食器や道具はほとんどが食器洗い機

対応である事が重要視されているからその観点でいけばこれらの

道具は大失格です。

だけどそうやって手をかけながら、若干の不便さを感じる所に

実は心地よさが潜んでいることに私は最近気がつきました。

というか、私の主観ですが、人間はある程度の不便さがあるほうが

心地よく暮らしていけるのではないか?と最近思っているのです。

 

便利さを追求し、合理性を追求していくと、その先にあるのは

「もっと」だと思うのです。でも若干の不便であれば

「まぁいいいか。これで十分」という風にある程度満ち足りた

気持ちになりやすいと思うのです。その不便さの加減も人それぞれ

違うと思うのでそのバランスは一概に言えませんが

台所道具のことを除けばドイツでの暮らしは、「若干の不便」が

前提になっているように思います。

 

例えば、電車はちょっと遅れることもある。郵便物はすぐに

届かない。建物にエレベーターが無いことも多い。ペットボトルの

飲み物を買うには25セント支払わねばならず、それを買った店に

返却しないとそのお金は返ってこない。スーパーは基本

ビニール袋はくれない。電車には基本クーラーがない。日曜日は

基本店が休み。基本コンビニはない。

などなど。

日本での暮らしを思い返してみると、まさか先進国ドイツで?!と

思うような事がたくさんあります。

 

でも便利な日本に比べて一般的にうんと暮らしにゆとりがあります。

不便な事は多いかもしれないけれど、その分みんなのんびりと

暮らしています。

便利さが忙しい暮らしを招いて、不便さがゆとりのある暮らしを

もたらしているのは何か変な感じですね。

 

というのも、その便利をするかわりに誰かが働く必要があるし、

ということは皆が仕事をもっとしなくてはならなくなって暮らしの

ゆとりが減ります。またその分電気を使ったり余分なエネルギーを使います。

そうやって自分達の人生の時間や大事な地球の資源の無駄をするくらいなら

このくらいの不便を味わうほうがいい、というふうに

ドイツ人は考えているのではないかしら?そういう考えが中心となって

この若干不便でエコな暮らしが一般的になっているのではないかと

想像しています。

 

天然素材の不便さとはちょっと質は違いますが、どちらにしても

ちょっとの不便によって人の暮らしがいろいろな面で心地よいもの

になっていることは同じだと思います。

 

食卓でも同じだと思うのです。便利を追求してインスタント食品や

加工食品が沢山あります。その反面、家庭の味はどんどん

忘れられています。伝統の味も無くなっていっています。

インスタントが悪いとは言いません。

便利さと合理性というのは人生の中で必要なことが

あるのは確かですが、それが人生の暮らしのメインになっていくと

思いに反して暮らしは益々荒んでいくように思うのです。

 

便利になって、余裕ができて、益々時間を使って資源を使って

日々を削って、家族を削って、我々は一体どこへ向かっていくのか。

忙しいから益々便利な物が必要になって、暮らしや生活がなくなって

季節や時間の区切りがなくなって、益々便利な物が増えていく。

もうそろそろいいんじゃない?と思わなくもありません。

 

忙しいからこそ、ちょっと不便な事に心を向けてみる。

みそ汁を作る。米を土鍋で炊いてみる。

そんな一歩から大きな革命が起こるかもしれません。

もしかしたらこの不便な、めんどくさい作業の中にいるのが

合理的に忙しい毎日より心地よく感じるかもしれません。

 

ともあれ、天然素材の心地よさの秘密は以外にも奥深く

ドイツでの暮らしの不便さもまたありがたく感じる

今日この頃なのであります。

 

 

 

 

 

 

節分と正月

今年はお正月に風邪をひいていたせいか、それともその頃が

水星逆行だったからなのか、それともただの気のせいか。

何故だか年が明けた気分にならないまま、不思議な時間をさまよいながら

節分になった。

もうそんなこんなだから、我が家はお正月を延期して、お年玉も延期して

恵方巻きもお雑煮も一緒に食べることになったのだった。

ちょうど今はドイツの学校は冬休みで一週間ほど学校がないし、気分的には

お正月っぽい。ゆっくりしきり直しのお正月を迎えられるだろうと思っていたけど

そんな訳は無かった。

お雑煮と黒豆こそ作れたが、具はほうれん草の茹でたのに人参だけ。

人参の飾り切りすら出来なかった。

恵方巻きはなんとかたっぷり作ったけれど飾り切りのないおせちもどきなんて

初めてだ。

小説「モモ」にでてくる「じかんどろぼう」という言葉が頭をよぎりながら

ともかくなんとかお正月を迎えた。

迎えてみると、どんなお正月だってやっぱり迎えたら気持ちがいいものだ。

お正月を過ごす、でなくて迎えるという気持ちが大事なのだろう。

やって来る新しい年を迎え入れる。受け入れる。そこに自分の意志を持って挑む。

そんな意気込みが、そんな決意がお正月の最大の意味かもしれない。

日々の生活の中でやり過ごしていく毎日のなかで、お正月だけが特別なのは

そんな風にして流れていく自分を一度拾い上げてもう一度行くべき道に

向かって方向を定める事ができる唯一のときだからかもしれない。

ともあれ、それがどんな風であれ私も、我が家もやっとこさ2017年という

年を迎え入れたのだった。

今年はどんな年になるのだろう。今更ながら思いを馳せる。

きっと何かが起こって、きっと何も起こらなくて、なんとかかんとかやっていくん

だろう。

子供たちはぐんと大きくなって、わたしはまたひとつしわを増やして、

読みたい本を読み終えるかもしれない、それすら出来ないかもしれない。

それでも子供は大きくなって、昨日はできなかったことが出来る様になってるのを

みせて驚かせてくれるのだろう。私はそれを側で見れるのだろう。

それだけでいいじゃないか。

それだけで満足出来なくなったら一度足を留めてそれがどれだけ

代え難い瞬間なのかを思い起こせるようでいたい。

 

お正月という時に自分の人生を立ち止まる。

自分の手の中にある幸せを数えてみる。

立ち止まる時にはいつだって見えなかった物が見えて、聞こえなかった音が

聞こえて来る。

さて、そろそろ歩きだそう。2017年を歩いてみよう。

今年は一体どんな景色がみえるのだろう。

 

 

 

 

 

最後の出産

あっという間に6人目の赤ちゃんを産んでから一ヶ月が過ぎてしまった。

あの感動的な、あの神秘的な、あの懐かしいお産の余韻と

そこにたどり着くまでの数奇な道のりの記憶が

消えてしまうまえにここに何かを記しておきたくなり

かすかな残香を辿りながらあの日を思い出そうとおもう。

 

おそらくこれが人生最後の妊娠、出産になるだろう。

そういう予感と決意のなか6人目の赤ちゃんはドイツで誕生すること

になった。

長女の出産から実に12年ぶりの妊娠だった5人目の赤ちゃんを

おなかに抱え臨月でブラジルに引っ越しをした前回の出産。

それに引き続き今回は次女の出産からまた干支を一回りしての

妊娠だった。しかも出産予定日は長女のそれと同じという

なんとなく意味深で不思議なタイミングでの妊娠だった。

私はブラジルでの大自然のなか家族に囲まれての自宅出産の幸せが

忘れがたく今回も絶対自宅出産を、と思っていた。

そして今回は育児第二ラウンドまっただ中の疲れもあるし

高齢出産と世に呼ばれる年齢に達していたこともありドイツへの

引っ越しは以前よりうんと余裕をもって妊娠7ヶ月のころにした。

前から考えれば余裕のよっちゃんなタイミングだ。そのうえ

ドイツにいけば保険もある、病院もある、救急車もすぐ来る。

万全の体勢での出産。

きっとなにもかもさくさくと簡単に安全にすすむのだろう、

名付けてドイツでらくらく出産プラン。

しかしそう思って引っ越したのは甘かった。

ドイツは今難民問題を抱え役場はいつも大混雑、思った通りに

ことは運ばないし、病院も予約はとれない。

そうこうしているうちに時間はどんどん過ぎ、私はブラジルでたった

一回うけた妊婦検診以来赤ちゃんの様子を体感でしか知らないまま

季節は秋から冬へ。そして臨月に突入しようとしていた。

「そんなはずじゃなかったのに、ドイツランドよ何故に?」

こんな状況を誰が想像しただろう。これじゃまるでブラジルじゃ

ないか。

そんなわけで私のドイツでらくらく出産プランはかなり怪しい

雲行きに包まれていったのだった。

それだけではない、勝手にドイツはナチュラル志向の国だから

自宅出産も簡単に出来るんだろうと思っていたのだけど、おっとどっこい。

もちろん自宅出産は多々存在するのだけど、最近は助産婦さんが

訴訟を起こされることが多く多額の保険金をかけなければならないので

自宅出産をやってくれる助産婦さんがあまりいなくなってしまったと

わかった。その上ベルリンは今子供が増えて手が足りないらしい。

こんな風に夫の母国だからと安心してドイツにのこのこやってきた私は

臨月間近のおなかを抱えてクリスマスも差し迫った頃、妊婦検診も受け

られず助産婦も見つからないままここドイツで赤ちゃんが一体どんな風

にどこで産まれてくるのか想像もつかない状況に陥っていたのだった。

 

ブラジルでは「なるようになるさ」なんて思ってたのに、なぜかドイツは

そんなのんきな考えを抱かせてくれない雰囲気がある。いや、それとも単に

私の頭が固くなったからなのか、それともそれを人は賢さ、と呼ぶのか。

「どうするの?どうなるの?」そう思いながらひたすら産婦人科と助産婦を

探す。それでもチャンスは巡ってこない。そんな日々が続いた時ふと思った。

「これはもうなるように任せたら、なんとかなるんじゃないか。」

どうやらドイツの賢い雰囲気にわたしのケセラセラ精神が勝ってしまったらしい。

自宅出産と決め込んでいたけどどうやら無理そうだからそれならそれで

いいじゃないか。ともかくいつかは何処かで赤ちゃんも生まれてくるから

どこで、だれと、どんな風になんてのはやってくるまで待てばいいじゃないか。

と思うようになった。

やっぱり最後はなるようになるさ、なのだ。

そしてそんな風に夫に話をした次の日に私達は自宅出産をしてくれる助産婦

さんに出会うことになったのだった。

このときばかりはさすがに思った。「おぉ神よ。」

なるようになるのだ。ほんとうにそうなのだ。それでいいのだ。

この時私は出産は総合病院でもどこでも良いと本気で思っていた。もしか

したらこの赤ちゃんにはそれが必要なのかもしれないとも思っていた。

だからわたしの握りしめていた「絶対自宅出産」という願いをすっかり

手放してみたのだった。そうすると答えは向こうから勝手にやってきた。

今回に限らず経験上これはどうやら宇宙の法則らしい。

 

ともあれご縁あって自宅出産の暗雲は晴れ間を見せ始めた。

助産婦さんは私と同じ年の4人子供のいるおかあさんだった。しかも

誕生日は一日違い。これはきっと運命に違いない。

赤ちゃんはそんな素敵な出会いをまた運んできてくれたのだった。

 

年が開けいよいよ出産までのカウントダウンに入る。

外の気温はマイナス10°を下回る日もあった。

寒さで産んでしまいそうな日が続いたりもしたけどまだ産むわけには

いかなった。

なぜなら、我が家の浴室のタイルが工事中でバスタブが使えなかったのだ。

そう。わたしは自宅出産の雲行きが晴れたのをいいことに、欲張って

前からぼんやり願っていた水中出産の可能性についても期待を抱き

始めていたのだった。もちろん、水中出産は私だけの願いではなく今回の

出産に限ってなぜか赤ちゃんがそうしたがってる気がしていたからでも

あったのだけど、これで人生最後の出産と思うと是非試しておきたかった

というのも否めない。ともあれ浴室工事は亀の歩みで進み,いつ終わるのかの

めどが立ったのは予定日のほんの数日前だった。

けれど赤ちゃんというのは賢い。自分がいつどのように産まれようか

考えているんじゃないかと思えてならない。

ちょうど浴室工事が終わった次の日、ベルリンは雪景色だった。

もういつ生まれても良いさ、と思ったわたしは我が家の男の子3人をつれて

雪の公園に遊びに出かけた。そしてそれがわたしの妊婦時代の最後を飾る

一日となったのだった。

 

家に帰って夕飯の支度をしているとなにやらおなかの具合がおかしい。

「来たな。」と心はつぶやいた。

私の頭の中では風林火山の旗を翻し合戦の始まる光景が浮かんでいる。

ホラ貝の笛が鳴り響く。

出産の始まりは戦の始まりのような興奮と緊張に包まれているのだ。

それでもまだ半信半疑でしくしく痛むおなかを抱えながら

七面鳥と野菜のトルコ風トマト煮を作る。陣痛の痛みをベース音のように

低い部分で感じながら肉を切り、野菜を炒める。陣痛の最中に

トルコ料理は悪くない。なぜだかガッツが湧いて来る。できあがった

トマト煮にミントとパセリをたっぷりかけてと細長いぱらぱらした米と

一緒に食べる。腹が減っては戦は出来ぬという言葉を心に刻みながら

ただ黙々と食べる。そして片付ける。着実に近づいてくる何かを感じながら

台所は静けさを取り戻し、きちんと片付いていく。この対比がさらに

何かの始まりを予感させる。

それでもまだ痛みは強くない。夜は少しずつ更けていく。私は時計とにらめっこ

しながらいよいよ助産婦さんを呼ぶ決心をした。

 

そんな風に私は私の内側で合戦を始めようとしていたわけだけど、

子供たちはそんなのおかまいなしで週末の風景を繰り広げていた。

前回ブラジルで出産したときは初めての海外で、新しい家族での

最初の共同作業とも言うべき出産に、どこか皆が一致団結した雰囲気が

あったように思う。

穴があくほどベッドを見つめ手に汗にぎる出産の一幕を固唾を飲んで

見守ってくれた。産まれた時にはみんなが側にいて、みんなで感動を

分かち合った。あぁあの感動よ再び…

そんな淡い期待はあっというまに消え去ることになる。

 

刻々と陣痛は強くなり私の半信半疑も疑いようのない出産の兆しに

ふんどしのひもを締め直すような気持ちになっているのをよそに

子供たちは「あ、赤ちゃん産まれるの?」とまるで「明日は晴れるの?」

的な気分で問いかける。「あ、そういえばまだおなか空いてる〜」とか

夕飯のあとにお食後を催促される。「あの〜ママ赤ちゃん産まれるかもで、

おなか痛いんだけど?」と言ったって「でも痛くなきゃ産まれないんでしょ?」と

助産婦さん並の返答。ええ、確かにそうですけど。

あげくの果てにはかなりいい感じの陣痛の波が来始めている中、

「独眼竜正宗のyou tube見る約束したじゃん〜」といわれ、寝室でわたしの

パソコンに群がる子供たちを横目に私は陣痛の波をやり過ごしていたのだった。

これが子だくさんの現実ってもんだ。

なにが楽しくて陣痛のさなかに自分が子供の頃見てた伊達政宗の時代劇を

見なくてはならないのか。あのブラジル出産の感動を遠い目で懐かしみつつ

パソコンか聞こえて来る時代劇の侍達の声をききながら、あぁ諸行無常。

私の中で起こっていた風林火山の合戦は次第にリアル感を帯び始めて

いったのだった。

 

陣痛のさなか、私をよぶのはyou tubeを見たい子供だけではない。

出産の意味すら知らないブラジルで生まれた一番下のおちびくんはお眠むの

時間になっていて絵本を読んでとせがんでくるし、眠れのうたもうたって

あげた。陣痛の合間に歌う子守唄というのは6人目にして初めてだ。

かなり聞き苦しかったに違いない。私は途中でギブアップし、長女に

寝かしつけをバトンタッチした。

こんな風にブラジル時代とは打って変わって私のことなんぞおかまいなしの

子供たち。自宅出産を経験してたくましくなったのは私だけではなかった様だ。

ともあれ出産が特別なことではないと受け止めるのはそれはそれでいいかと思い

私は私で合戦に取り組んでいくことにした。

 

いや、ここでも一人だけ戦に参加してくれた人がいた。夫だ。

「いよいよか!」と今回も嬉しそうに緊張感を分かち合ってくれるのは

彼だけだった。いそいそと助産婦さんを出迎え、赤ちゃんを迎える支度を

始める手つきも手慣れたもんだった。そして「今日のメニューはどういたしますか?」

的に「今回も胎盤たべるよね?しょうが醤油にする?」なんて気の早い

質問までしてくれたのだった。

 

出産は粛々と進んでいった。陣痛は刻一刻と強く効果的にリズムを刻んで

いった。その度に波を乗り越していく。

呼吸にフォーカスしようと思っても痛くて忘れてしまう。

夫と二人で向かい合って陣痛を乗り越えていく様子を助産婦の

ヤスミンはただじっと側で見守ってくれていた。

何をするでもない、ただ一緒に呼吸をしてくれていた。

音のある深く強い呼吸。

痛みで呼吸を忘れそうになるときに聞こえて来る彼女の呼吸の音。

まるでガネーシャのようにどっしりと落ち着き払った彼女の存在と

呼吸の響きが私を現実に引き戻してくれる。

 

出産への道のりではいつもこの現実と彼方を行き来しているように思う。

激しい痛みの中で、その現実の中で、意識が遠のいていくような中で

意識は私の中心へと深く強く向かっていく。

あるいは、何かを手放すように私の中の一部が痛みによって引き裂かれ

遠のいていくかわりに、私の奥底に眠る何かが目を醒すと言う方が

正しいかもしれない。

痛みの中心へ向かって意識が遠のいていきながら、痛みの中心へ意識を

集中させていく。そこにあるのは確かな命だ。

もう既にその中心にある命をこの世界に連れて来るために、わたしは

痛みの中で呼吸を繰り返す。痛みの中で目をしっかり開いて見つめる

先にヤスミンがいて、夫がいる。けれど焦点があってるのはそこなのに

見つめているのはそこではない。わたしは私の中で産まれようとしている

もうひとつの命を見つめているのだ。

そんなことを6人目にして初めて痛みの中で感じていた。

 

呼吸と音と痛みの波と命を見つめるこのときこそが出産というものなのだ。

わたしはこの痛みと、この瞬間をなんども経験させてもらったのだ。

6人目、これがきっと人生で最後の出産になるだろう。これで私の命が

あるうちに命を産み落とすことはないのだろう。そういう想いがこのように

初めて出産を俯瞰させてくれた。

自分の命の限界を感じながら新しい命を迎えるからだろうか、今回初めて

出産という、命が産まれる場にありながら私は死をも感じている

ことに気がついた。

出産という真剣な命の現場ではひたすら呼吸と鼓動の

もとに生と死とが在る。それも吐息が聞こえそうなほど近くに在る。

そのとき天と地ほどの違いがあるように思われる生と死は

ただそこに並んで、ただ在る。圧倒的な存在感で、かつひそやかに

そこに在る。

それがあの真剣さを生み出すのだろう。

打算も計画もごまかしも効かない大きな自然の働きに飲み込まれて、

生と死の狭間で、現実と彼方を行き来する。

そしてある時一度にこちらがわに戻って来る。産声とともに。

 

わたしは初めて痛みにめげそうになる中でもこのときが

愛おしいと感じた。実際あまりにも痛いので「こんなことどうして

6人分もやろうとおもったんだろ?」と疑問に思うこともあったし、

「もうやめたい!」と思うことも何度もあった。

けれど今回それ以上にわたしは出産という場を愛しく感じた。出産を

してきた自分を愛しく感じた。そしてこうして脈々と命をつないで

きた沢山の出産の場を命のつながりを、こちら側とあちら側との

つながりを改めて希有なものと感じた。

 

そんな風にして痛みのクライマックスを迎えたわたしはとうとう

あの改装したての浴室でバスタブに浸かり初めて赤ちゃんを

水中で産んだ。それは想像を超えて心地よくスムーズだった。

赤ちゃんはやっぱりこれを知っていたんだ、とわたしは思った。

だから浴室工事が終わるまでちゃんと待ってたんだな。と。

 

思いがけず出産は静かに親密な雰囲気の中で終わった。

わたしは生まれたての赤ちゃんを胸に抱きバスタブのまだぬるい

お湯につかったままで安堵の気持ちとともに今までのお産の全てが

走馬灯のようによみがえっていた。

私にとってこれが最後の出産になるんだろう。「お疲れさま自分」

満身創痍にも関わらず満ち足りたこの時間を噛み締めながら

そう心の中でつぶやいた。

まだ若くて何もわからなかった初産のころから今まで6人。

どれもちがったけれど、どんなときも同じ痛みのなかで同じ想いで

皆を産み落としてきたんだ。

命とはなんと尊いものか。なんと美しいものか。

 

赤ちゃんが生まれた時子供たちはもうすっかり眠りについていた。

もし産まれたら起こしてね、と言っていたから産まれてすぐに

夫がみんなを起こしに言ったけど二回起こしても誰も起きてこなかった

ので赤ちゃんは翌朝のサプライズということになった。

次の朝に寝室を訪れた子供は「産まれたの?」と「うん、産まれたよ」そう言うと

「女の子だった?」「女の子だよ。」と私。

「きゃっ!」と喜んで手を合わせて喜んで兄弟に知らせにいったのが

可愛いくて私まで嬉しくなった。

子供たちの一人一人が驚きと喜びではしゃぐ姿はブラジル時代と同じだった。

 

こうしてまた新しい命の物語が始まっている。

毎日はあっという間に過ぎていく。

忘れたくない日々を忘れながら紡いでいる。

けれどきっとこぼれ落ちてしまった毎日は子供たちが拾い上げて

くれているのだろう。そしていつかそれを子供たちが自分の手で

再び紡ぐときが来るのだろう。

日本滞在記その1 家族の時間

一年半ぶりの日本。

色んなタイミングが重なっての帰国だったけど

一番の目的はやっぱり家族に会いにいくこと。

一年半って言ってしまえばそんなに長い時間でも

無いように感じるのだけど、初めて家族、親族のいない

国で暮らしてみて、そしてそこで子供を産んでみて

一年半であっても,半年であっても

もしその期間に会う機会があったとしてもなかったと

しても、みんな一緒に日本にいるというのと、遠い国に

離れているというのでは随分と気持ちが違う物だなぁと

気がつきました。

離れても気持ちはつながっている。それはきっと本当でしょう。

でも距離は距離として、感じられる気配の遠さは

現実にあるのだと気がついた一年半でした。

子供たちのブラジルの友達達が長い休みや祝日に

なるとおじさんやおばさん、おじいちゃんの家等に遊びに

行く話や、誕生日会に親族が集まる風景を見る度に

「あぁ私達の家族はここにはいなんだ。ここでは訪れるべき

家族がいないのだ。」という事実をはっきりと感じてちょっと

寂しくもなったものでした。

普段日本にいればお互い元気にしていれば別に会わなくてもいいか、

とさえ思ってしまう家族なのに、会えないとなると

急に恋しさが増したりして。

ともあれ家族に会えるのを親子共々楽しみにしていたこの帰国。

末っ子のユニオにしてみれば初めての会う日本の家族。

そういえば実家の母は私が子供を産む度によくお手伝いに

来てくれたのに、今回初めて産まれたばかりの赤ちゃんを

みることも、お世話をすることも、抱っこする事すら無く

気がつけば坊やは既に一人で歩くほど成長してしまっていて

それがなんだか寂しいような気持ちもしたのですが

ともあれ、みんなに会える!

 

日本に着いた当日は兄が手作り豚汁で迎えてくれて

これがまた長いフライトの後にはしみるようにうまい!

みそ汁万歳!

 

そしてちょうど長女の誕生日をまたいでいた滞在だったので

この日を目指して忙しい家族全員が集まることになりました。

その日のメニューはもちろん「手巻き寿司」!

生魚を殆ど食べる事のできないブラジルライフだもの

ここぞとばかりに食べましたよ!

築地でネタを仕入れてガッツリと!

みてこれ、魚だらけ=)

そうこうしながら皆で乾杯してよもやま話に華を

咲かせておりますと「おや?この雰囲気。。」

気がつけば長女の誕生日で集まったはずがなんだか

日本のお正月の雰囲気に。

家族で集まってごちそうを食べる。皆の近況を話して

お酒を酌み交わす。

ブラジルではお正月の雰囲気ってあまりないので

この懐かしい雰囲気に嬉しくなってしまいました。

日本人にとっては盆暮れ正月って何かぐっと家族の絆を深める

大事な時間なのかもしれませんね。

ともあれ遅ればせながら、なんとなく旧暦の正月的な時期ですが

嬉しい再会の時間となりました。

 

そして外せない我が家の伝統。

誕生日ケーキのじゃんけんも開催され。

子供たちはご満悦。

これ、一つずつ色んな種類のケーキを用意してみんなで

じゃんけんして勝った人から好きな物を獲得するという

ゲームでして。このときばかりは大人も子供も関係なく

途中でじゃんけんに負けて泣き出す子供がいたって

誰も代わってはいけないという鬼のようなルール=)

子供の頃よく妹が負けて泣いてたなぁ。なんて思いだしながら

やりましたよ。

父曰く、「これで人生の厳しさを学ぶんだ!」と。

威厳たっぷりに言っておりましたが、さてその効果のほどは

いかがなものか疑問ではありますが、結構盛り上がるので

面白いのです。

子供たちの成長した姿にみんな驚きつつ、私達も

姪っ子の成長に驚き、初めてあう生まれたての甥っ子に

会えたのもうれしかったなぁ。

末っ子扱いされていたユニオが急にすっかりお兄ちゃんに

なってしまった瞬間でした。

おそるおそる赤ちゃんを見つめるユニオ。

「なんじゃ、この生き物は?」的な雰囲気でみつめるユニオ。

赤ちゃんと赤ちゃんの対面って面白いよね。

 

そんなこんなで時間はあっという間に過ぎて。

スケートリンクにいったり、お買い物したり、

イチゴ狩りして温泉に入って。

短い時間にた〜っぷり楽しいことをして。

 

でもね、楽しい思い出ができるほど

別れは辛くなるもの。

最後はなきじゃくる姪っ子に子供たちもほろっと

きたりして。

 

そんな家族の時間に私は思いがけずプレゼントを

送ることができました。

日本から出発したのは2013年夏。

その前の年2012年の冬に日本に遊びにきていた

主人と二人で味噌つくりをしていました。

引っ越しにあたってブラジルまで味噌瓶を持っていく事が

出来ずお友達の奥津典子さんにこの味噌瓶を託して

私は日本を離れたのでした。

その瓶を典子さんが大事に持っていて下さって、

ちょうど帰国の時期はご自身のご出産間近だというのに

わざわざ送って下さって。

もう手放した,と思っていた思い出の味噌が思いがけず

手元に戻ってきたのです。

典子さんのお陰で私達はタイムカプセルをあけるような気持ちで

二人で仕込んだ味噌をあけました。

結婚する前の私達が初めて一緒に作った味噌。

なんだか感慨深くとてもありがたく。

そして何よりの贈り物は

美味しく出来たお味噌を家族みんなで分け合えたこと。

私の手作り味噌をいつも嬉しく受け取ってくれていた

私の家族達。

ひさしぶりの私の味噌を妹家族、兄家族、両親と

分けあって、私達もブラジルに持ち帰ることに。

このときほど自分が手作りしてきた事がうれしいと思った

ことはありません。

家族と離れて初めて、日本から離れて初めて

自分がしてきた事をもっと純粋にありがたく嬉しく

思えたように思うのです。

そして作れる嬉しさ、分け合う嬉しさを再確認した

のでした。

 

あっという間の家族の時間。

今は冷蔵庫の手前味噌が日本でも食べられていると

思うとなんだか心が近く感じられます。

同じみそ汁を飲んでるだろうって=)

やっぱ日本人ですな。

 

こんど日本で家族に会うときはまた子供たちの成長に

驚くことになるのだろうと思うと

嬉しいタイムカプセルだなぁと思いながら

ブラジルでの暮らしを送っています。

 

引っ越し

クリスマスも過ぎ、2014年も終わろうとしてる今日。

まさかこんなに早くこの日が来るとは思わなかったけど

ブラジルに来てからずっと住んでた家から引っ越した。

見た事もないブラジルという国で初めて暮らし始めた家。

家族みんなに囲まれて五番目の子を出産した家。

私達の新しい人生が始まったのもあの家からだった。

ブラジルに来てからここまでの道のりが一気によみがえる。

 

思えばこの家との出会いは奇蹟以外の何物でもなかった。

もしくはこれは運命の出会いだったのかもしれない。

この家が素晴らしかったとかそういう事でなくて

ここにこうして暮らせたのはこの家を含めて数ある

妙なる縁と導き以外言いようがないからだ。

引っ越しの作業を進める中でわたしは何度もそのことが

頭によぎった。

「あぁ不思議だなぁ、あぁ奇蹟だったなぁ」

そしてまたこの引っ越しも妙なるご縁と運命としか

思えない絶妙さの中で起こったのだった。

人生ってのは不思議だ。

 

さて、いざ引っ越しとなるとブラジルは日本とは違う。

引っ越しは業者に頼もうと思ったのだけど近所の人に聞いたら

安い所で頼んで物が無くなってしかも物を壊された、といわれて

怖じ気づき自力でやる事にした。

今更自分たちで未知のブラジルの引っ越しやを頼むより頑張って自分たちで

やった方が色んな意味安全でリーズナブルだと言う気もした。

それにどうせ引越し先は住んでいた所から車で10分ほどの

場所だった。

不思議なことには、たったスーツケース12個で日本からやってきたのに

気がつけばどこからどうやってきたのか物は増え、

何度もスーパーマーケットで頑丈なバナナの箱をもらいに

行かなくてはならなかった。

これまた人生の不思議。

 

日に日に暮らしの香りがそがれていく家の中で暮らした12月。

そうはいっても普通の引っ越しよりは物はうんとすくなく

子供たちは早々と部屋を空っぽにしてしまい

ベッドもあっという間に片付けられてしまったので

ぽつんと部屋の真ん中に置かれたマットレスでキャンプのように

眠る日々が続いたが,普段別々に寝ていたのに一緒に寝るのが

楽しかったのか、それとも新しい家へ旅立つ予感が興奮させるのか

既に夏休みに入っていた我が家の子供部屋からは

毎晩遅くまできゃっきゃと楽しげな声がひびいていた。

 

しかし引っ越しの荷造りは思いがけず時間がかかった。

というのも掘り起こせばブラジルに来たばかりのころの

日記やら学習ノートやら、はたまた日本から持ってきた思い出の品が

ごろごろと出てくるのだから

気がつけばパッキング前よりも酷い状態の部屋で

思い出に浸り時空を超えている人が何人もいた。

そんな訳で、気持ちは分からなくもないが

「もしも〜し、そこ!思い出に浸らない!」と何度

叫んだかしれない。

ともあれ全ての荷物はいつの間にか片付いてしまって

それはそれでなんだか嬉しいような悲しいような複雑な気分だった。

思い出を箱に詰めて持っていく時に

少しこぼれ落ちてしまう何かがあるような気がするからかもしれない。

引っ越しセンチメンタルとでも言うべきか。

 

いざ始まった引っ越しはまるで戦の様だった。

大きめの自家用車で赤土のでこぼこ道をこれでもか

というほど荷物を詰めて運ぶ。

運んでも運んでも終わらない。

途中大雨の日もあった。クリスマスイブだって関係なしだ。

冷蔵庫に洗濯機を搬出し終わると家はすっかり生気を失い

長い時間見ない事にしておいた壁の裏側には何かの

因縁の歴史のようにびっしり汚れがこびりついていて

それは明らかに私達だけのものでなく

この家を貸してくれたオーナーからの年代物であるにも

関わらず、なんだかこれを綺麗にしてしまうのが

私達の使命であるように感じられた。

殆ど不可能に思われるほどこびりついた汚れが

少しずつ頑固さを和らげていくのを見るのは気持ちよかった。

これが私にとっての今年の、そしてきっとある意味では

人生の大掃除だったのかもしれない。

そうこうするうちに家は本当にすっからかんになった。

クリスマスがやってきた後だった。

 

クリスマスの余韻に浸る間もなく子供たちを動員して

最後の大掃除にはいる。

あちこちにある蜘蛛の巣をとり、窓の桟のほこりも床の

ぞうきんがけもぬかりなく。

はじめは「もうこれくらいでいいじゃ〜ん」って

言ってた子供たちも最後は真剣になって

「自分が住みたいと思う家にしてください!」との

私の指令通り、はたまた恩返しと思ってか

ぴかぴかにしてくれた。

有終の美をかざるという良い言葉が日本にはあるけれど

やっぱり気持ちのいいものだ。

大雨の過ぎた後のブラジルはうだるほど暑く

この日もプール日和。

そうこのコンドミニウにあった共有プールとも今日で

お別れ,ということで最後は

夏休みでみんな旅行に出かけてがらんとしている

コンドミニウで貸し切り状態のプールに

「おつかれさまでした〜!」と言って飛び込んだ。

ちなみに私はと主人は水着を持ってなかったけど

パンツとブラで飛び込んだ。もうやけくその楽しさだった。

また夏がやってきたのを今年になって初めて感じた。

 

がらんと片付き静まり返った家とは対照的に

新しい家はカオスの状態が続いている。

けれど年末差し迫る今でもようやく台所でなんとか

食事を作れるようになったのはありがたい。

そして何故か子供部屋は早々に片付き子供たちは

既に新しい家の庭で探検を始めている。

 

新しい家、違う国、いつもと違う場所であっても

はたまた長い旅行から帰ってきた後の気持ちもとても

似ていると思うのだけど

私は台所が動き出すと我が家になった、帰ってきた、と

感じる。

前夜の疲労を引きずっている朝にめちゃくちゃに

散らかってる家の中を横目に台所でお番茶を

わかす。

家一杯に番茶の香りが充満するとここはブラジルなのか

日本なのかなんてもうどうでも良いような気がする。

「ここは我が家だ。」

 

こうしてまた我が家が動き始めた。

前の家からちょっとしか離れていない引っ越しなはずだけど

なんだかすごい大きな変化だったきがする。

というよりも、ひょっとすると

なんだか大きな変化の前なのだろうか。

いや、今はそんな事は宇宙しかしらないけれど

こうして人生はまた何処かに流れて変化して

進んでいくのだろう。

 

引っ越しを持って終了した2014年と言う

もう一つの激動。

全てのことにありがとうさようなら。

そして来る2015年に

新たな出会いに

こんにちは、よろしく!(お手柔らかに=)

 

皆さんもどうぞ良いお年をお迎えください!

 

 

 

 

 

 

嵐の夜に

夏なのに今年は嵐がやってこない。

夕立もあまりないものだから

熱帯特有の夕方から突然やって来る冷たく強い風とともに

やってくるあの激しい雷雨が懐かしくなってきたところだった。

 

でも昨晩遅くに嵐がやってきた。

地面をたたく雨音はラテンミュージックのように

心地よい。

もう真夜中になっても雨はじゃんじゃんふりしきる。

もちろん雷もやってきた。

しばらく懐かしいブラジルの嵐のエネルギーと激しいリズムに

耳を澄ませていたが眠くなったのでベッドに入った。

雨は一向に手を緩めず激しく地面をたたいてる。

とうとう眠りに落ちたけどあまりの激しい雨と雷に

半分意識は嵐を体験し続けていた。

次第に嵐の心地よさに不安の色も交ざってきた。

眠りと覚醒の間で近づいて来る嵐の中心を感じつつ

雷はすぐそこで脅威を見せつけていた。

雷が落ちる度に地面が響き、窓がびりびりとゆれた。

そんな中でロックバンドの会場のようになってる我が家の外で

おこってる出来事に関係なく壁一枚隔ててこんなにも

穏やかな眠りを守ってくれている事に

しみじみと感謝していた。もちろん半分夢の中で。

 

そう。

私は嵐を体験してる時のこのコントラストが好きだ。

もし今外に放り出されたら,私は一体どうなってしまうのだろう?と

思うほど激しい自然の驚異のただ中にあって、

たった一枚の壁、屋根、窓ガラスのある家というものの

中に佇んでいられるだけで、こんなにも安心していられるのだ。

いや、この家だってたいした物じゃない。

壁はレンガを積み上げただけの物だし、窓だってアルミサッシのように

密閉されていないガラスがはまった木枠で網戸もないし

雨戸だって隙間だらけなんだ。

屋根だって、雨漏りするような簡単な作りで、到底この家に

シェルターのような完全な要塞は期待出来ない。

でも

こんな家でも、実際嵐の時に私達を守ってくれる。

屋根が家があるおかげで

雨にぬれず風に吹かれず、雷からも守ってくれる。

この安心感というのは一体どこからくるのだろうか?

壁や屋根や家であるだけでなくもっと他のなにかが

安心感をもっと確かな物にしているように思えてならなかった。

そしてはたとひらめいた。

嵐の中で家の中にいる安心感は、人生を歩き始めた自分が

家族を思う気持ちに似ているのではないだろうか。

人生を歩み始めたとき、大海原に放り出されたように感じる事も

また嵐にもみくちゃにされることもある。

だけど心の何処かに家族が,もしくは家族と思えるような

心の家をもてたなら

そんな嵐も大海原も何故か安心してわたっていけるような

気がしないだろうか?

いよいよやってきたブラジルの嵐の季節。

真夜中の激しい雷の地響きのなかで

夢と現実の狭間でふとそんな風に家族のことを

想った。

 

 

 

 

 

 

誕生日

とうとう私のアラフォーで先日35歳の誕生日を迎えた。

もう今や自分の誕生日などどうでも良いと思ってしまうのだけど

子供たちは誕生日を楽しみにしている。

だって、誰の誕生日でもおいしいケーキが食べられるし

楽しいことが待ってるからだ。

双子君なんて

「あ、今日ママの誕生日だ!おれ、チョコケーキにして〜」

と。。。

おい!誕生日はわたしだっちゅうの!とつっこみたくなるのですが

まぁこうして皆でおいしい物食べるというのもいいもんですね。

 

さて、なにも期待していなかったのですが

主人は張り切って前日から「ケーキを作る!」といってくれて

さすがはドイツ人,色んなケーキを知ってるもんですね。

ドイツ語でなんちゃらとかいう(覚えてない;;)山の人のケーキみたいな

意味のケーキを作ってくれました。

なかなか材料を揃えるのが難しいブラジルで

一生懸命作ってくれたケーキ。うれしいなぁ。

ヘーゼルナッツを砕いてパーウダーにしたものがたっぷり

入った本当に山男が食べるんだろうなぁというケーキ。

こっちではふわふわへんちくりんチョコたっぷりのめちゃくちゃ

甘いケーキしかないから、こういう正統派のケーキはとても

嬉しい。ドイツにはこういう素敵なケーキのレシピがたくさん

あるらしいからこれは毎年違う物をつくっていただこうと

企んでいるのであります。

ケーキの上には甘酸っぱいクランベリージャムをたっぷり塗るのですが

それはここでは売ってないので桑の実のジャムを変わりに塗りました。

日本とおなじように桑の実がここにも沢山あるからね。

それに今日は特別、フレッシュクリームのホイップをたっぷりと。

あぁ、思い出してもよだれがでるケーキです。

そして、今年のプレゼントは前から欲しかった

パスタマシーン!

 

ブラジルに来たら中華麺がないからパスタマシーンで

中華麺を作って冷やし中華作ろうねって話してたのを

ちゃんと覚えててくれたんだぁ〜

そのために中島デコさんからも麺の作り方伝授して

もらってたんだから〜

めっちゃうれしい〜

早速作ろう作ろうってことで

もちろん,お姉ちゃん達も張り切って大参加!

そんな訳で今年の誕生日最大のイベントは

手作り冷やし中華でありました。

ほら、出来上がりはこんなかんじ。

見てみて〜ラーメンやさんじゃ〜ん!ってみんなで大興奮=)

今は暑いから冷やし中華で食べるけど

冬になったらラーメンやろう!と大盛り上がり。

塩ラーメン?醤油?出汁は何にする?今からわくわく。

ともあれ今日は冷やし中華なり。

日本からもってきたとっておきの紅しょうがも添えちゃうよ。

今日は特別ですからね。

あぁ、おいしかった〜

今年も良い年となりそうじゃ。

 

極めつけに,長女から詩のプレゼント。

以前学校で作った詩、とても素敵だったというか

すごいなぁって思った詩だった、タイトルは「春の命」

私の再婚とか引っ越しの予定とかいろいろあったから複雑な気持ちが

あっただろうそのときの長女。

でも彼女の命の強さ,素直さを感じさせる素敵な詩が

書かれていた。

詩の紙の横には学校で付けられた付箋がついたままだった。

それにはどうしてこの詩をかいたのか?という質問があった。

「私がこの詩を書いた理由は。。。」というところで

なにも書かないまま文章は途切れていた。

誕生日にこの詩をもらって、

「ねぇ、私がこの詩を書いた理由ってなんだったの?」と

きいてみた。すると

「ちょっと待ってて。」といって何かを書き始めた。

手渡されたメモをみると、続きが書かれていた。

「私がこの詩を書いた理由は、お母さんの誕生日にプレゼントする為です」

 

本当にはどんな気持ちで書いたんだろう。

辛かった時にどんな気持ちでこの詩をかいたのだろう。

「春の命」は死なない。

柔らかく,しなやかで、生まれたての命は

これからどんな季節を過ごし、大きくなるのだろう。

素敵なプレゼントをもらった今年の誕生日。

沢山の命と共に行きていこう。

 

 

赤ちゃん

5人目にして初めての布おむつ生活がはじまった。

ずっとやってみたかったけどそう思った時には子供は

4人で双子でおおわらわであえあく諦めてた。

あぁ念願のおむつ。

自分が布ナプキンを使っていて思ったのだけどやっぱり

プラスチックのものよりオーガニックコットンや布のものは

肌にきもちいい。そりゃあたりまえさって思うのに

なぜかおむつっていうと紙おむつにするのが当たり前って

思ってたなぁと振り返ってそう思う。

もちろん、紙おむつも場合に応じてうまく使う。でも基本は

布でいければ赤ちゃんも気持ちいいし,ゴミも少なくて

とてもいいでしょ。

 

なんでも南の国の方では赤ちゃんにパンツをはかせないでも

ママはおしっこするタイミングがわかってて

普通にトイレをさせたりするらしい。

お母さんと赤ちゃんがよくつながってるっていいなぁと思う。

 

布おむつにしたせいなのか、今朝は

今だ!と思った主人がトイレに連れて行ってくれたら

トイレでうんちをした。やれば出来るもんなんだなぁ。。

用をたしたあとは快適〜ってかんじで微笑みさえみせる

赤ちゃん。やっぱり気持ちいいんだよね。

 

赤ちゃんってよくみると体の内側を体全体で表現してる

みたいにみえる。

おなかの中がおかしいぞ。動いてるぞって時には

まるで耳かきで耳掃除をしてる人みたいな趣で

遠くを見つめながら

体の中を感じながら手足をばたばた動かしてる。

 

シュタイナー教育でオイリュトミーという踊りのようなものが

あるのだけど、そこで子音と母音がそれぞれ体の内部器官と

外部器官に働きかけるという話をきいたことがある。

音に合わせて体を動かしていく。確かに音、発音、音楽には

見えない動きがあってそれを体で表現してるのは

とても面白い。

そこには音符になるだけではない見えない動きが存在してて

それが確かに命に響いているのが感じられる。

体を形成する力。それは見えない世界から作られてるのかもしれない。

花を花の形にしているのはなんだろう?

草を草の形にしてるのはなんだろう?

 

それと同じような感覚を赤ちゃんを見ていると感じる。

見えない何かに動かされて赤ちゃんは生きてる。

動いてる。

そんな話を聞いたことがあるけど,今はそれを自分ではっきりと

感じることができる。理論ではないリアルさをもって感じることができる。

目に見える物に囲まれて目に見える形でこの世に生まれてきても

今ここで生きてる源にあるのは目に見えない何かだと

赤ちゃんを見ていると思う。

音楽も、衣服も,色も,食べ物も、見える形で存在するけど

それ以外に音楽にも見えない動きや波動があり、衣服や色にも

見えない世界への影響があり、食べ物にも栄養だけでなく

プラーナやエナジーがあり、そういうものが本当に

実は生きていく上で一番大事なんじゃないかって

改めてそう思う。

実はそういう物が命を作っているんじゃないかって。

 

赤ちゃんにささやきかける時

どんなに声を小さくしても,心の中が大きな声なら

赤ちゃんはそれを感じる。

見えない物も見える物も赤ちゃんは全てを吸い込んで

どんどん大きくなる。

全てがこの子の命の,体の,人生への

種となっていく。

赤ちゃんはそれを選べない。どんな物も全て受け入れて

大きくなる。

どんな芽を出して来るかは大きくなるまでわからない。

 

気がつけば9年ぶりの出産で5人目の赤ちゃん。

21歳の時に長女を出産してから干支が一回りして

その分わたしも年をとったせいか、孫を見るような不思議な気持ちで

改めて赤ちゃんの神秘を見つめてる。

 

その小さな手,小さな体。

おなかの中でそれが完成されたなんて奇蹟のよう。

何度生んでもそう思う。

必死におっぱいを飲む赤ちゃん。

どんな大人も,どんな悪人でも生まれたときは

こうして小さく美しく奇蹟に満ちているのに。

 

どうか世界中の子供たちが,世界中の新しい命が

守られ、善きものを吸い込んで

大きく育っていきますように。

それを支える大人たちが善きものを与えられる世の中で

あるように。。